―Sky Clouder―

―第1話「雲取り人の少年」(後編)―


〈4〉

 ――後に。レナ=ベルンストは、その時の事を「生きた心地がしなかった出来事」の内において、五本の指に数えている。
 ナビゲート範囲の外部という高高度まで上昇し、探知出来なくなったシプセルスに近付こうと必死でエンジンを吹かした時の焦り。フォートの
ナビが伝えて来る「シプセルスが失速し、落下して来ている」という言葉を聞いた時の絶望……どれもこれも、正直、もう二度と味わいたいとは
思わない代物だった。
 だからこそ、その落下して来たシプセルスが自分の眼の前で持ち直し、二人してこちらに合図を送ってきた時は、心底安堵した。揃って家に戻
った後で、彼らの頭に本気で拳骨を落とし、叱りながら、込み上げて来る嬉しさと涙を必死になって抑えていた。
 ――まだまだ未熟な弟弟子と妹から、一つの報告を聞く、その時までは。

 「あの雲の中に……だってぇ!?」
 レナの素っ頓狂な叫びに、はっきりと頷く二人。
 「そんな――本当なのかい? 君たちが上昇して行った、あの巨大な積乱雲の上部に……本当に、そんなものが?」
 眼を見開くフォートにも、カイトとハルカは再び頷きを返す。
 「そもそも、あの雲の事を『変だ』って感じたのは、ハルカの方だった。俺たち、機体が流されてしまうほどの気流の中を飛んでいたのに……
あの巨大な雲だけが、良く見ると、その形さえもほとんど変えていなかったんだ」
 「遠くから見ていたら『単に動きの鈍い雲』なんだけど、他の雲と様子があまりにも違っていて……マテリアルを含む晶含雲かもしれない、と
も思ったけれど……」
 二人の言葉にある「巨大な雲」。それは、ルーセスの街を三年ほど前から常に見下ろしている、周囲のそれらと比べても一際巨大に立ち上った
積乱雲の事を指す。空中からでも地上からでも、頂上を見上げようとすれば首が痛くなるほどの高さを誇り、最早その姿は街の名物も同然なのだ
が――
 「幾らマテリアルを含んで形を一定に保つからって、三年間ずっと同じ形なんて……そんな事、どう考えても有り得ない。普通のマテリアルが
霧散せずに形を保っていられるのなんて、一週間が限度だ。それに、俺やレナ姉が半年間、訓練の間を縫ってここら一帯の空域を探し回っていた
けど……他に残っている場所は、もうあの場所だけだったんだ」
 「だから、二人してあんな急上昇を行った、って言うのか? 失速して墜落、という可能性を棒に振って? お互い、止めようともせずに?」
 無茶するにしたってもっとマシなやり方があるだろうに、と、頭を掻きながら大きく溜め息を吐くレナ。
 「ま、そこから同じ轍を踏まずに、上手く持ち直した事は褒めてあげるけどね。それで……あんた達、これからどうする気だ?」
 主に言葉の後半、真剣な口調での問いかけは、偽り無き返答を見越した上でのものだった。カイトとハルカにもその意思が伝わったのか、ただ
強い意志を備えた瞳で、真っ直ぐにレナを見返している。
 「あんた達を探して飛びながら、思っていた事を言う。正直、皆にこんな心配をかけるような飛び方、少なくとも私は認めない。この子の姉と
しても、妹に余計な苦労や心配を背負い込ませるのは、御免。朝方にあんな手紙も来た……残り時間や捜索範囲だって、もう無い。はっきり言う
よ、これがラストチャンスと考えな。失敗や読みの外れが有れば、これっきり。すっぱりと諦めるんだね」
 『っ!!』
 「機体整備やデータの洗い直しを考えたら、日が昇る頃に準備は完了すると思う。その時までに覚悟を固めなければ、君たちには飛ばさせない
し、ナビだってやらせないよ。いいね、二人とも?」
 レナの宣言に相乗される、フォートの静かな、しかし反論を許さぬ強い口調。
 カイトとハルカは、そんな「師匠の顔」をする二人に気圧されつつも、決して眼を逸らそうとせず、
 『…………』
 ――ゆっくりと、頷いた。

 シプセルスの力を最大値まで引き出すための整備、それにきちんと対応するためのナビデータ改良、見直し。サルディノの整備も並行する為、
各々の作業は夜を徹して続いていた。
 その途中、簡単な夜食を頬張っていた四人は、それぞれの抱えていた思いや言葉を口にし、談話に小さな花を咲かせる。
 「それじゃあシプセルスは、下から吹き上がって来た強風と、それに乗って来たマテリアル群にぶつかって……?」
 「うん。バランスが崩れた瞬間、思わずパニックを起こしかけて、そのまま立て直せずに……。ハルカがいなかったら、どうなっていたか分か
らなかった」
 口の中の握り飯を飲み込んで、有難う、とハルカに礼を言うカイト。
 「怖くは無かったかい? 下手をすれば……」
 「正直……物凄く、怖かったです。でも、カイトを……パートナーを信じてましたから。姉さんと義兄さんのように」
 手に付いたご飯粒を取って口に運び、御絞りで手を拭きながら、ハルカがぽつぽつと言葉を吐き出して行く。
 「――雲の真っ只中が、あんなに凄い世界だったなんて。私、あんなに長い時間飛雲機の中にいたのって、初めてだった……」
 「そうか――CSC(Clouder School Center――クラウダー・ナビの養成学校)じゃあ、あまり機会は無かったんだっけ」
 カイトの言葉に頷くハルカ。彼女の瞳に灯る輝きには、新鮮な感動の色が塗りたくられている。
 視界を守るためのゴーグルを通して、ハルカの眼に映った空の世界。それは、どれだけの言葉を費やしたところでおいそれと説明しきれない程、
新鮮な感動を彼女に与える事となっていた。
 上空を流れる気流によって刻々と形を変化させる数多の雲、蒼い光によってすぐ真下の雲海に映りこむ機体の影、そしてちらほらと姿を見せる、
加工されていない原型のマテリアルが放つ青空の輝き――全てが、彼女にとって直に初めて見るものばかりであった。
 「それに……雲の中があんなにも真っ白で、何一つ見えなかったなんて。二人とも、いつもあんな場所を飛んでいるんだ……」
 「そう。だから、ナビはきちんと行われるべきだし、クラウダーも常にそれに耳を傾けないといけない。マテリアルが雲の中枢に集まって来れ
ば、その力で巨大な空洞が生まれて、『雲取り場』になるけど……そこに辿りつくまでに落ちれば、結局元も子もなくなってしまうからね」
 「……うん」
 レナに明瞭な頷きを返すと、ハルカは、部屋の窓から外に見えている、天を付くかのような入道雲に視線を向ける。
 「あの、雲……。思い出してみたら、リガレクスが爆発事故を起こした時から、生まれたんだよね。それからずっと、あのままの形で……」
 「で、俺達はこれから、あの雲に挑もうとしている。こんな事、あまりに出来すぎてるとは思うけど……けど、あれを超えなきゃ、これ以上先
には進めない……」
 『…………』

 ――やがて。空が、雲が少しずつ白んで行き……朝日が水平線から顔を出す。
 月光とは打って変わった太陽光は、その強さでマテリアルの光を打ち消し、一面の雲海を眩い白へと染め上げてゆく。
 そんな只中に、今。揺るがぬ決意と覚悟を秘めて、二機の飛雲機が飛び出して行った。

〈5〉

 「作戦、復唱!」
 「了解! まず最初にサルディノが先行し、周囲の状況を報告する! 確認の後、シプセルスが目的地まで移動し、急上昇! 目的を達成する!」
 「OK! ……調整の限界高度まで、ナビをするからね! 下から雲へと吹き上げる風はマテリアル群を併せ持っているから、気をつけて!」
 了解――と、ハルカの通信に応えた、つもりだった。後方から飛んで来た数機の飛雲機が、こちらの横方向を通り過ぎる際に駆動音を撒き散ら
し、声に被さってしまったのだ。
 今までと明らかに異なるその状況は、時期と場所に大きく関係している。『リガレクス追悼』の場にして、カイトの目的地でもある巨大積乱雲
の直下はルーセス空域におけるマテリアルの集積地なのだが、よもや追悼の真っ最中に場を荒らすわけにもいかず、式の終了まで多くのクラウダ
ー達がこの空域で飛ぶ事を自粛していたのである。
 カイト達も勿論それを承知であり、昨日までの練習場所は街から少し離れた静かな空域だったのだが――現状は最早、そんな甘えを許さない。
ハルカやレナ、フォートの助けを借りているとは言え、飛び交う飛雲機をかいくぐって目的地に辿りつくのは、紛れも無いカイト自身の腕に掛か
っていた。
 「上から4、左から3! どんどん飛雲機が集まって来てる……カイト、注意して進んで!」
 「ああ、分かってる! ……くっ!」
 アンフィプリオンの操縦で培ってきたこれまでの経験と勘を頼りに、すでに大半を白い闇に覆われた視界の中、シプセルスを操っていくカイト。
 ――やがて。
 「雲を抜けるよ!」
 ハルカの通信とほぼ同時。眼前の白色が唐突に消え、一面の蒼色へと取って代わる。
 雲内に突っ込んだ時間からしても、向こう側に抜けるにはまだ早い。すなわちそれは、シプセルスがマテリアル採取の場――『雲取り場』へと
到着したという事だった。
 「…………!」
 青空の色を貼り付けた、一面の雲の壁。直径にして百メートルは優に超えているであろう、巨大な円形のホール。
 その中において、既に数十を越す飛雲機が、まるで周囲一帯にぶちまけられたかのように散在する数多のマテリアルを、次々に自機の翼へとぶ
つけ、採取、回収していた。
 一秒にも満たない差での競り合い、そして奪取。それぞれの翼端がコンマ数センチ単位の隙間をぎりぎりでニアミスして行く、かすめ合い。耐
久性にものを言わせた、荒っぽいぶつかり合い。バランスを崩した果てに、ふらふらと雲外へ消えて行く機体も見て取れる。そんな光景が、同時
に幾つも幾つも――
 「後方から一機! 上昇して!」
 通信が聞こえるや否や、カイトは操縦桿を引いて迫り来ていた飛雲機を回避する。この場で、一方向のみに注意を集中させる、等という愚考を
行えば、それは即刻墜落へと直結するのだ。
 と、
 「カイト!」
 聞き慣れた声と駆動音が耳に届く。サルディノが、雲取り場の外周を回るように旋回して、彼の元へと近付いて来ていた。
 「流石に結構な数だけど……幸い、ここには顔の効く連中が多い。話の分かる奴もいるし、ある程度なら道は作ってやれると思う」
 「レナ姉……」
 「今更だけど準備は万端? Eマテリアルの残量や機体状況、どちらにも抜かりはないね?」
 離陸前にもチェックし、今現在も気を配り続けている事柄を指摘される。改めて確認を済ませ、カイトはレナに強い頷きを返して答えた。
 「分かった。……っし、じゃあ行くよっ!」
 彼女の声と共にサルディノが加速し、飛雲機の飛び交う真っただ中へと突っ込み……その性能を如何なく発揮して、狭苦しい筈の空間を縦横無
尽に飛び回ってゆく。
 「熾烈な場をかいくぐる」事をコンセプトに、特に旋回性能を強化された、翼の大きなオレンジカラーの機体は、その操縦技術と相まって、瞬
く間に、数多有る飛雲機の中でもことさらに目立った存在へと成り上がる。
 ――と。事の次第を事前に聞いたであろう者や、興味を惹かれた者、あるいはその操縦に対抗、挑戦しようとする者達が、サルディノの誘導へ
と従う形で、少しずつ雲取り場の中心より離れ始め、……眼に見えて、前方の空間が大きく開けていった。
 少数ながらも飛雲機が残ってはいるが……これなら、行ける!
 レナ、フォートの助力は、実質的にはここまで。後は――
 「カイト、今だよ! 一気に加速して、そのまま上へ!」
 信じて、真っ直ぐに突き進む。飛雲機と、そして――共に覚悟を決めた、ナビパートナーの事を!

 操縦桿を引き上げると同時にEマテリアルを燃焼させ、ブーストを発動する。
 突然の急な衝撃によって、真下を覆っていた雲海が、まるで爆弾の破裂を受けたかのように弾け、周囲に拡散し――白霧の中から生まれ出でる
かのようにシプセルスが飛び出す。銀と蒼の流線型機は、わずか数秒を要するだけで空色の空洞を瞬く間に駆け昇り、他の飛雲機の隙間をすり抜
けると、上部の雲海へ吸い込まれて行った。

 「機首は、今の高度を保って……修正、右に3! 高度から言って、10分前後で到着すると思う。しっかりね!」
 「了、解……っ!」
 機体を覆う絶え間無い振動の中、歯を食いしばった状態で通信に答える。
 下方からの強風と、視界を完全に遮断してしまっている白い闇。加えて高高度ゆえ吹き抜け、荒れ狂う強い気流。どの要素も、わずかでも気を
許した瞬間に機体へと襲い掛かり、一気にコントロールを奪い取って行く代物である。到底、気など許せる筈も無い。
 さらには――
 「避けて、右に4! マテリアル群!」
 上向きのままで機体をひねるや否や、一瞬間前まで自分の頭があった場所を、まるで放たれた矢の如き速さで上昇していくマテリアル群。既に
その速度は、シプセルスすら上回っている。
 「…………」
 早鐘のように鼓動を打つ心臓を、半ば無理やりに理性で抑え付ける。恐れおののく暇すら、この場所では与えられない。
 依然として白色に覆い尽くされている視界の中、ハルカの通信に従って機体の向きや速度を調整し、カイトはひたすら、遥か天空を目指して突
き進む。
 昨夜、期せずして辿り着いた、その場所へ。シプセルスを除けば恐らく誰も行く事を許されぬ、雲の頂へと。
 
 「マテリアルの集まり!? 『雲取り場』があるって言うのか!?」
 クラウダーの男の叫びを中心に、他のクラウダー達にも動揺が広がる。
 「あのシプセルス以外に行ける飛雲機がいない、って言うのに『雲取り場』は変だろうけどね。あいつにしたって、わざわざマテリアルを独り
占めする為にあそこまで昇ってるわけじゃないからさ」
 「だけどさ、レナちゃん。この入道雲の頂上にそんな場所があるって、どうして分かるの? ベテランのあんたの事だし、あんな新米の子の報
告をただ鵜呑みにした、ってわけでも無いんでしょ?」
 女性クラウダーの言葉に、整理した自分の考えを返すレナ。当然ながらそれは、周囲の者達に対しての投げかけでもある。
 「あの事故を契機に生まれて、それから三年間、ろくに変化すらしない巨大な雲。何かある、って思ったのは多分私らだけじゃないと思う。…
…じゃあどうして、そんな雲に向かってマテリアル混じりの強い風が常に吹き上がっている? 外の形が、肥大も変化もしていないのに?」
 ――確かに。風が雲の頂上へと至るのならば、その流れで、ある程度雲の形が変化、もしくは運ばれて来た水蒸気等を得て肥大してゆく筈であ
る。それが無い、と言う事は――
 「……まさか、風が起きてマテリアルを運んでいるんじゃなくて……逆に、マテリアルが上昇して行く時、風が?」
 「と言うか、気流を乱し、強い風を伴うほどの常識はずれな速度で、マテリアルが上に向かっているんだろうね。普通に考えて、あれがそんな
速度を持つ原因と言えば――」
 「度を越して強い力……ひょっとして、別のマテリアルに引き寄せられている、とでも言うのか?」
 「だろうね。それも、恐ろしく巨大な。自然界じゃまず存在し得ない代物だけど……もしも、人工のものだったら? 三年前の爆発のあおりを
喰らって吹っ飛んだ、リガレクスのEマテリアル。その内の一つだったとしたら?」
 誰一人として、二の句を継げなかった。

 「雲…、…切れる、よ…!」
 激しいノイズに遮られた通信と、ほぼ同時にだったろうか。眼前の視界から、一瞬にして白色が消失し――
 「……!」
 頂へと至った事を、カイトは悟る。
 上下に細長い楕円形状のホール内で浮遊を続けている、数え切れないほど大小様々のマテリアル。その周囲に広がる壁面は等しく、ペンキをぶ
ちまけたかのような青空の色に染め上げられていた。
 普通のクラウダーならば、一瞬その光景に狂喜し――そして、即刻この場所を離れるべきだと察するだろう。ここにあるのは最早、人々の生活
を支える為に採取出来るマテリアルではなく、近付いただけで機体に異常を誘発し、最悪破壊にまで至らしめる、巨大なエネルギー源の渦なのだ
から。
 バチリ、バチリと、マテリアルの間を蒼き稲妻が絶え間無く走り抜けていく。その中には、最早原型を留めておらず分解しかけたマテリアルま
でも見て取れる。力の行き場を失い、暴発を待つだけの危険物が、そこには溢れ返っていた。
 そんな場において、カイトの視界に映るのは――
 「三年間……どれもこれも、ずっとここにあったのか……」
 マテリアルの間に浮かび、蜘蛛の糸に掛かったかのごとく微動だにしない、数多くの道具類。
 爆発の衝撃でぼろぼろになった小型ラジオ、ひしゃげた船内用通信機、鎖のちぎれたネックレス――どれもこれも、マテリアルを加工して創り
上げたものだったり、使用時にマテリアルの力を用いたりする、いわば少なからず影響を受けているものばかり。そして、三年前の事故で空に消
えてしまった筈の、人々の遺品でもあった。
 人々の亡骸は衣服を除いてほとんど見つからなかったと聞いている。有機物である人体も、中空において強力なマテリアルの影響を受け続け…
…きっと、そのまま朽ち溶けて行ったのだろう。
 ――それら一切を。あの『でかぶつ』が、ずっと独占していた。
 空洞の中心に、まるでこの世界の王の如く、もはや蒼色を通り越して黒ずんだ藍色に変色した、巨大なEマテリアルが浮かぶ。その大きさは目
測だけでも、軽く全長1mを超えているだろう。
 そして、それに引っかかり……間近で影響を受け続けるうちに、持ち手である鎖の一部が取り込まれてしまったのだろう、マテリアルを動力電
池とする、銀色の懐中時計がくっ付いている。
 間違い無く、ハルカ達の祖母の遺品だった。

 「おいおい、待てよ! そんなものを無理に引きちぎったら!」
 「それこそマテリアルが暴発するんじゃ……危険じゃない!?」
 「けど、このままじゃ、どのみちあのEマテリアルに、ルーセスのマテリアルを全部かっさらわれて行くんだよ? 誰かが『解放』してやらな
いと、街だって衰退の道を辿るほかない。私らだって用無しになってしまう」
 「だけどよ。他の遺品は束縛から解放されて、そのまま海に落ちて行くとしても――あのカイトとか言うちび助は? あんな機体じゃ、振り回
された果てに落ちて来るのが関の山……」
 そこまで言って、クラウダーの男は自分の失言に気づく。半年前の出来事を知っているがゆえ、うっかり滑り出てしまった一言だった。
 「……すまねえ、レナ」
 彼の謝罪にレナは軽く首を振って、
 「確かに半年前、CSCを卒業したてのあいつは、身の程知らずのひよっこだった。自惚れと好奇心でシプセルスを乗り回した挙句、予想以上
の急上昇にパニックを起こして無様に落下して来た」
 その言葉に対して、「確かにな」などと回想の呟きを発する者、黙って首を振る者、笑いを噛み殺す者、等等。当時を知る一部のクラウダー達
より、様々な反応が返って来る。
 「いやあ……私も、手が痛くなるくらいぶん殴ったなあ、あの時は」
 ついでにぼろぼろと泣きじゃくっていたよね、と彼女だけに聞こえるフォートの通信。聞こえない振りをして、レナは言葉を続ける。
 「でも。昨夜同じ状況に陥った時、あいつは落ちながらも、自分の力で持ち直した。そして、今回は……もし落ちて来たら、許さない。何より、
あいつ自身が自分をね。そして――」

 「……、……カイトっっ!!」
 マテリアルの影響が強すぎる為だろう、ノイズに塗れてほとんど聞こえなくなってしまっているハルカとの通信。それでも、自分の名を呼ぶそ
の叫びだけは、はっきりと耳に届いていた。
 下方に意識を集中する。向きと翼の角度を即座に修正。瞬間――
 上昇して来たマテリアルの弾丸が下方の雲内より飛び出し、数発連続してシプセルスの翼に激突。砕け散った蒼き破片が、カイトの眼前をかす
めて行く――

 「あの飛雲機――シプセルスは、そんなあいつに力を貸してくれる。大丈夫さ、きっと」
 顔を空に向けて、静かに呟くレナ。その瞳に不信や迷いの色は無い。

 ――この瞬間。『飛行』というコンセプトを特化させた機体……シプセルスに装備された機能が、覚醒する。
 本来の飛雲機と比較すれば、それは正反対の考え方。マテリアルを機体保管庫に送り込んで貯蔵する、という本来の目的から見れば、まさに不
要としか言えない機能。
 より長く、より高く、安全に飛ぶため。墜落というアクシンデントにおいても、機体を持ち直せるため。
 昨夜、マテリアルの激突によってバランスを崩し、落下しつつも、自分を信じてくれた少女。恐怖に耐え、決して叫ぶまいと歯を食いしばり、
パニックの助長を抑えてくれた。彼女の姿に、我を取り戻せた。思い出す事が出来た。
 事態を打開出来る、空飛ぶ魚が備えし力――この『マテリアル瞬時変換機能』の事を!

 「――――っ!」
 手元のレバーをカイトが握り、前方へとスライドさせた瞬間。機体保管庫に送られる事無く、両の翼内にエネルギー体となって一時保存されて
いた先程のマテリアルが、その外枠を通って、両翼の端にある孔より凄まじい勢いで噴出される。その姿はまさに、蒼光の翼を大きく広げた、機
械仕掛けの飛び魚と形容すべきもの。
 機体後方に勢い良く吹き荒れる、飛沫混じりの気流。それに乗って、カイトは一気にシプセルスにブーストをかけた。
 いわばそれは、二重にかけられた急激加速。巨大なエネルギーの渦の中でも機体が巻き込まれず、突っ切る事の出来る、現時点において最も速
い飛雲機の姿である。
 ――その状態を保ったまま、カイトは、Eマテリアルに……いや、遺品の銀時計に肉迫。キャノピーをスライドさせ、開け放たれたコクピット
より手を伸ばす。

 ――が。既に音速の半分以上を優に超えた速度で、直接外界の何かを取ると言う行為は、自殺にも等しい。幾ら安全な角度や速度を頭に叩き込
んでいるとは言え、成功する確率は限りなく低かった。
 結果として、カイトの手は銀時計に触れる事すら叶わず――
 「その時計……、こっちに返してもらうぜっ!!」
 手を用いて計ったのは、双方の距離感だった。既に途切れてしまった通信の中、自分の勘を頼りにカイトは機体の向きを一気にひねり――大き
く伸びる蒼の翼に銀時計をかすめ当て、そしてEマテリアルから引きちぎり、大きく上方に跳ね上げる。
 その時計に向かって、今度こそ手を伸ばし――しっかりとキャッチ、手中に収めてぐっと握り締める。そしてシプセルスは、雲の頂を突き抜け
るために、そのままの勢いで上昇を続けてゆく。
 全ての動作一つ一つが、刹那の遅れすら許されないタイミングを要求していた。強く、純粋な想いの集合によってのみ成し得た――まさにそれ
は、ある種の『奇跡』と呼べるものだった。

 バチィ、と。高速で時計をもぎ取った拍子に破損したEマテリアルから、一際大きな稲妻が溢れ出た。
 それは瞬く間に、他のマテリアルへと伝播。著しく乱れ、均衡を損なったエネルギーが巨大な雲の中で荒れ狂い、雲取り場のみならず軒並み全
ての空間を掻き乱す。

 「……! 義兄さん、あれ!」
 「何だ? 雲が……蒼く、光ってる!?」
 真正面の窓から見える光景に、眼を見開くハルカとフォート。二人の視線の先で展開されているのは、巨大な入道雲から間断無く蒼光の束が溢
れている様だった。
 たまらずハルカはすぐ傍に設けられたドアから外へと飛び出し、天高きその頂上を見上げ、
 ――瞬間。眩い閃光に、空が、地が、覆われた。
 「きゃぁ……っ!」
 凄まじい光に包まれ、とても眼を開けられぬ世界の中で。空に浮かぶ質量の塊が割れ、粉々になって弾け飛んで行く――

 そして。
 「……っ!」
 ――しばしの後、白色の奔流が収まったその場所に。雨のように降り注ぐマテリアルの粒子と、巨大な青空が見えていた。

 後々の報道によれば。その時、ルーセスの街にいた誰もが、空を見上げたと言う。
 普段ならば、そのほとんどを白い雲に覆われる空。その中で、常にルーセスを見下ろしていた巨大入道雲が突如蒼い光を放ち、そして爆砕。結
果、雲は跡形も無く消失し、その時生まれた衝撃波によって周囲の雲までもが吹き飛んで行った。
 後に残ったのは、雲の中に蓄積されていたマテリアルの雨と直径数キロに渡る雲のクレーター、そして落下して来た数々の遺品。(これらは全
て海へと着水。一ヶ月を経て軍の手で残らず回収され、遺族らに返還された)
 レナ=ベルンストの誘導によって、あらかじめ雲の下方に集まっていたクラウダー達には――元々、それほどの高度でマテリアル採取を行って
いたわけでもないのだが――影響無し。爆発が非常に高高度で起きたために、その影響を受けたような生活用品も存在しなかった。
 夕陽が落ち、雲が戻ってくるまでの約半日。普段はめったに見られない生の太陽を珍しがって、空を見上げる街の人々が目立ったと言う。
 最後に。事態の張本人とも言える、カイト=レーヴェスについてだが――

 それから数日後。ルーセスから遠く離れた、とある貴族の館にて。
 「っはっはっはっは、ふはっはっはっはっははは!!! いや全く、愉快千万! はっはっはっは!」
 広く、豪奢な部屋に設けられた、巨大なベッド。そこに身体を横たえたまま、しわがれた哄笑を続ける老人が一人。細く、しわの浮いたその手
には、あの銀時計が握り締められている。
 「よもや、再びこれを生きて拝める日が来るとはなあ……おまけに、取り戻してくれたのがあのちび助とは! っはっはっは!!」
 「お義父さん、そんなに笑っては身体に障ります。お義母さんの時計が戻って、嬉しい気持ちは分かりますが……」
 「は、馬鹿もん。『親友の子供を巻き込んで、これ以上心配をかけてくれるな』と、はっきり顔に出ておるわ。全く二人とも、お前の若い頃に
似て、じゃじゃ馬な娘どもだのう? ちび助やフォート君の苦労が目に浮かぶわい」
 ベッドの傍らで椅子に座る壮年男性は、老人の言葉に苦笑で応える。
 「時に、だ。先日、娘二人に『いい加減帰って来い』とか何とか、文を当てたそうだが……はて、お前が今の地位に収まって、その人柄が丸く
なったのは、果たして何時の頃からだったかのう?」
 少なくとも、あの子と同じ二十四や五の頃ではないわなぁ……と、老人。その口に浮かんでいるのは、にやり、と形容すべき、意地の悪さが露
骨な笑みである。
 「若い盛りの猛禽を鳥かごに押し込めるのは、流石に時期尚早と言うものだ。もうしばらく、待ってやるがよい」
 「…………」
 義父の言葉に、男は肩をすくめる他無い。
 もしかするとこの人には、自分が先日上の娘と家継の件で話し合った事、『空高く上昇して行っただけじゃ、あれを操ったとは到底言えない。
あの無茶な青二才がこんな事で増長しないように、まだまだ鍛える必要がある』と彼女が告げた事、自分が結局それに折れてしまった事……何も
かも全てお見通しなのではないだろうか?
 「全く、泣き言を連ねておった頃が情けないわ。あやつらの大成する姿を見ん事には、当分お前の元へは逝けんて……」
 「……。では、私はこれで。これから、国王らとの会議が控えておりますので」
 「うむ。まぁ、精々国を悪くなどせんようにな」
 椅子から立ち上がり、部屋を出て行こうとする彼の背中に、老人は問う。その顔は、厳しさの中に優しさと慈愛を内包した「孫を心配する祖父」
としてのものだった。
 「ところで、あやつらはどうした? この時計を渡して、泊まりもせずに戻って行きおったが……また、顔を見せてくれるのか?」
 「ええ。近々、シプセルスを立派に乗りこなす姿をお披露目する、と約束してゆきましたよ。その時を、楽しみにしていましょう」

 白空の内外を、鋼の翼が舞い踊る。蒼き空を映すかのような光を機体に纏い、セルナスの雲海を切り裂いて、ナビパートナーと共にクラウダー
が空を駆けて行く。
 このルーセスの街より、シプセルスを駆る若きクラウダーとナビが独立を果たして行くのは……今この時より、もうしばし後の事である。
 真に一人前のクラウダーを目指して、少年は今日も白い空に挑んでゆく。若く猛々しい心を、その内にしっかりと抱き締めて。




――第1話:了



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