――ポツ、と、頬を叩く冷たい感触。
一つ、二つ、三つと止まぬこと無く増えていくそれは、うとうとしていたわたしの意識を呼び覚まします。
「――雨」
ふるりと一つかぶりを振って空を見上げてみれば、黒々とした分厚い雲。遥かな天より落ちる雫は、目に見えて少しずつその勢
いを増し始めていました。
「――っ」
わたしの下で、きぅ、と甲高い声。半ば反射的に、応えるようにわたしは魔法を詠唱し、彼――わたしを乗せて飛んでくれている小
竜ごと包む、物理干渉を防いでくれる力場(フィールド)を展開させます。
直後、まるでそれを待っていたかのように、雨が本降りになりました。幾千幾万、もはや数え切れない雫の束が力場の表面を叩
いて流れ、光指さぬ地へと落ちて行きます。
「――ミニミ」
竜の名前を呼びながらその背を撫で、一瞬迷った後わたしは「ありがとう」と、小声で続けました。
集中力を切らして睡魔に負け、危うくびしょ濡れ一歩手前だった事を謝るよりも、ミニミの鳴き声が咄嗟にわたしの背を押してくれ
た事を感謝する。その方が良い、と思ったからです。
「……少し、休もうか?」
確か、外なる国よりの魔物の襲撃を最後に受けたのは、今日の朝方だったはず。雲で太陽が隠れている事を差し引いても、視界
を覆う暗さは夜更けも久しいことを示しています。わたしが睡魔に負けかけていたのだから、そのわたしを乗せて飛んでいる彼は、
どれほど疲れているでしょうか。
翼をはためかせながら、ミニミは首を少し曲げて、そのつぶらな瞳をわたしと交わらせます。ニャルラはそれで良いの?と、問い
かけられているようでした。
――ニャルラは少しでも早く、この先へ行きたいんだよね。
実際に声が聞こえるわけでは有りません。それでも、ミニミの瞳に映る問いかけは、わたしの耳を越えて直に胸へと響きます。
そう、それがわたしの願い。何をおいても重きに置く、わたしの身体と心を衝き動かす、強い強い想いでした。
だけど。
「……うん。でも、あなたの翼を休ませてあげたいし」
わたしにそう言わせたのは、「竜を手ひどく扱うわたしを、姉さまは果たしてどう思うだろう」という自問でした。
「高度を下げよう。どこか、洞穴のような場所でもあれば……」
ゆっくりと降下するミニミ。十分に用心し、その背に乗ったまま、決して力場(フィールド)を解かぬよう魔力を放ち続けます。
ここはもう、わたしの良く知る空の国ではありません。野を、山を、海をミニミの翼で越えて来た一人と一匹は、世界から放逐され
て久しい大地の国へ入っていたのです。
形あるものがおびただしく穢れ、瘴気がうずまく暗黒の地――例えそれが根拠の無い噂話だとしても、安心できる保障など何処
にも無いのですから。
やがて。ミニミの翼が折りたたまれ、その爪がゆっくりと地面を踏みしめました。
あらかじめ視認を怠らないようにはしていましたが、それでもそこが汚泥などでは無いことに、思わず安堵。彼が立ち上がる影響
で背中――つまりわたしの乗り場所に傾斜が付きますが、彼が身体をかがめてくれているので、転がり落ちることはありません。
草どころか苔すら生えぬ岩だなが、天の闇よりなお一層、質量を伴う漆黒の闇をまとって迫ってきています。初めて魔物に襲わ
れたときの恐怖が、胸中によみがえって来るようです。
きぅ、という鳴き声にはっとすると、ミニミがその首を闇の一点に向けています。「あっちに何かあるの?」と尋ねてみると、再び一
鳴き。
わたしは、彼を信じることにしました。
小さく「行って」と命じます。一歩、二歩と踏み出すミニミ。
程なくして。とある岩壁の下、大きく突き出る岩の出っ張りが見えてきました。わたしとミニミが一緒に入っても、十分に余裕があり
そうです。
彼の身体が、一緒にわたしが、岩の下へと滑り込みました。周囲を見渡しても、生物の気配を感じ取ることはできません。
恐る恐る、わたしはミニミの背より降ります。可能なら、このまま一昼夜わたしが魔力を放ち続けられるのが最も望ましいとは思
いますが、今のわたしにそこまでの力はありません。
大気干渉緩和の篭手があるとは言え、決して用心を欠かさずに。異常を感じたらすぐに力場を張りなおせるよう、ゆっくりと少しず
つ、放つ魔力を抑えてゆきます。
――気を付けて。彼の瞳が、語っていました。
ミニミの身体に手を当てながら、わたしは魔力を抑えます。はやる心を抑え、じわ、じわ、じわ、と。
……やがて。魔力を放っていないも同然のところまで抑えても、わたしとミニミの身体に異常が見て取れないと分かった瞬間、思
わずわたしはその場にどさりとへたり込んでしまいました。
「は……、はうぅ〜……」
思わず、情けない声が口からもれ出ていました。思わずミニミに視線をやったのですが、彼はいつもと変わらぬ瞳でわたしを見
つめています。
――お疲れ様、ニャルラ。
恥ずかしさよりも先にうれしさがこみ上げてきて、わたしは耳を赤くしながらも、彼に笑顔を向けたのでした。
姉さま。
姉さまならこんなとき、もっともっと上手く出来るのでしょうね。
魔法の扱いに長け、竜と深く心を交わしていた稀代の乗り手。わたしと同じ大地の国を故郷とする第二皇女――ディアドラ=アン
ホーリー。
わたし、ニャルラ=アンホーリーの、心より尊敬する姉さま。わたしの、愛しい人。
竜を労われる、わたしのこの心も。姉さま、あなたから教えられたものなのです。
――最初に、「それ」を見た時。わたしは「それ」を、戦いの一景だとは思っていませんでした。
この日。わたしは王宮の中央広場上空で行われている「それ」を、自室の窓からまばたきも忘れて見ていました。
「姫、いきます!」
叫んだのは、王宮に仕える竜騎士たちの束ね手。国の内外問わず、信頼と名声を集めてやまぬ、誉れ高い戦士隊長でした。
直後。彼を乗せた竜が、空を駆けます。それに続く部下の竜騎士、数は五。
彼らが向かう先にいるのは……やはり竜を駆る、姉さまでした。
流麗なる髪、きりと引き締められた瞳に宿る強い意志。脅えも気負いも見受けられず、いやそもそも、心にそよとも乱れが無いか
のようです。
「ふっ!」
掛け声と同時、隊長がその手に持っていた長棒をふるいます。その長さと重さが、実戦で彼らが持ちいる長槍と寸分違わぬ事を、
わたしはずいぶん後になってから知りました。
乗り手の意志に従い、竜は相手の竜の横腹を掠めるようにして飛びます。その勢いに乗って払われる棒は、直撃すれば、いとも
たやすく姉さまを吹き飛ばせる威力を備えていました。
しかし。
姉さまはわずかに身体を横へと逸らし、ほんのわずかな隙間を作って、棒の直撃を避けました。同時に、その懐にしまっていた
短い棒――これも、姉さまの装備である短剣の代わりだったのです――を抜き、隊長の手を鋭く打ち据えます。
「っ!」
ほんのわずか、一瞬の出来事。しかし当たりも浅かったのか、隊長は姉さまと距離を取った後、打たれた手の甲の感触を確かめ
て、棒を再び握り締めていました。
続いて、戦士ら五人の襲撃。手に持つ棒の長さがそれぞれ異なっているのは、それぞれの得意とする武器に合わせたがためで
しょう。
一人ひとりは隊長に劣る技量の彼らですが、それを補うのが抜群の連携でした。一人が打ち込み、それを避けたところにもう一
人が仕掛ける。さらに三人が、追撃と攻撃補助、相手の逃亡阻止などを臨機応変に行っているのです。
だけど。姉さまと竜は、それを突破しました。
「――――」
力ある言葉が短く紡がれて、魔法の詠唱が完了します。射程を一気につめる戦士たち。
一の手、回避。二の手、防御。三の手、四の手、寸前で回避。五の手を避ける道はどこにもありません。
姉さまは、避けませんでした。姉さまの魔力を得て竜の口から突如光弾が放たれ、兵士がひるみます。一瞬のすきに、姉さまは
竜を走らせ、鎧の継ぎ目を正確に狙って、――一閃。
それが終わりの合図だとわたしにも分かりました。でも、繰り返しますが、わたしはそれを戦いだと……模擬戦だとすら思っては
いませんでした。
竜と人とが織り成す、とても美しくてあでやかな舞踏。そう思わせるだけの力が、姉さまとその竜には存在していたのです。
当時のわたしは、どうして姉さまたちがそんなことをしているのか、という事すら知らずにいました。ただただ理由も二の次で、姉
さまの美しさに心酔していたのです。
(付け足すなら、全ての攻撃を魔法無しで回避しきるのがこの時の姉さまの目標だ、とも、もちろん知りませんでした)
今になって思えば。
そんな思いはことごとく、この時点で姉さまに見透かされていたのだろうと……そう、感じます。
それから数日後の夜更け。わたしの部屋の戸が、軽くノックされました。
心地よく夢の世界に入ろうとしていたわたしは、頭の中の気だるさといきなりの訪問者に対する不機嫌さをないまぜにしつつ、寝
ぼけ眼で戸に近づき、鍵を開けます。
戸を開けると――やさしい瞳をした姉さまが、そこに立っていました。
「姉さま!」
けだるさも不機嫌さも一気に吹っ飛んで、思わずはじけたわたしの声に、姉さまは「しっ」と口に人差し指を当てます。
「ごめんね、こんな夜更けに」
一瞬、もう自分は夢の中にいるのかとも思いましたが、姉さまの声もその仕草も、あまりに現実感があります。
「ニャルラに、一緒に来て欲しいと思って」
「一緒に? ……どこへ?」
わたしの問いかけに、姉さまは小さく微笑むと、答えてくれました。
「――空へ」
空?とたずね返すわたしに、姉さまは「来れば分かるわ」と一言告げて、着替えを促しました。どうして? 空ってどこ?など、疑
問は尽きなくとも、姉さまと一緒に行けるといううれしさが、わたしの心を埋め尽くします。
寝巻きから軽装に着替えたとき、姉さまが「冷えるかもしれないから」と、手に持っていた布製のケープをわたしに羽織らせてくれ
ました。わたしの準備が整うと、姉さまは「それじゃあ、行きましょうか」と、その手を差し出してくれたのです。
あの時繋いだ手の暖かさは、数年経った今でも思い出すことが出来ます。
「……」
夜更けのお城はとても静かで、なんだか別世界のようでした。静かに静かに息を潜め、わたしは姉さまに引っ張られて廊下を進
みます。浮き足立った心がどきどきと絶え間なく脈打って、わたしはこの音が周囲に漏れたりしないかと心配になるほどでした。
廊下を歩き、部屋を抜け、裏口から外へ出ます。満月の明かりに照らされ、うっすらと浮き上がる城影の群れ。
その中に。わたしの良く知る、しかし近くまで来て見るのは初めてな、姉さまの竜の姿がありました。
均衡の取れた肢体。時折はためく翼は、広がっていなくともその強靭さと美しさが推し量れます。敵の刃を防ぐうろこ、四肢の先よ
り伸びる爪は、不用意に近づいた者の攻撃を寄せ付けず、逆に簡単に引き裂いてしまうことでしょう。
「ね、姉さま……」
「さっき言った通りよ。空へ、一緒に来てほしい――そう思って」
戸惑い交じりのわたしの問いに、姉さまは静かに答えます。それに対してわたしは、言葉を失ってしまっていました。
どうして、姉さまはわたしと一緒に。それも勿論ですが、しかし。わたしはそのとき、こうも思っていました。どうして、今――わたし
がいつかやろうと計画していた、この時に。
そう。姉さまの舞踏に心酔していたわたしは、純粋に、かつあまりにも無計画に「わたしも、竜に乗りたい」と考え、その為に子供
心に無い知恵を絞っている最中でした。
どうすれば見張りの兵士たちを出し抜けるか。どうすれば竜に言うことを聞かせられるか。どうすれば姉さまと一緒に踊れるか。
……そもそもそれを、深夜ならまだしも、夕食を過ぎてすぐ(つまり、当時の自分がまだきちんと起きていられる時間)に行おうとし
ていたのだから、まさに無謀の極みです。
「あ、あの、えと、あの」
姉さまに全部ばれたのでは。手厳しく怒られて、愛想を尽かされるのでは。なんて馬鹿な事をするの、貴方なんかもう妹じゃない、
そんな風に言われてしまうのでは。嫌だ嫌だと心の中で渦巻く言葉は、ちぢこまった喉に引っかかって通りません。なんとか外に
出ようともがく中で、それは嗚咽と涙に形を変えようとします。
「ね、姉さま、わ、わた、わたし、」
姉さまの手がわたしに伸びてきます。ぶたれる、そう考えて咄嗟に目をぎゅっと閉じるわたし。……けど、姉さまの手は、わたし
の頬ではなく頭に。
撫でられている、と分かったわたしは、ゆっくりと目を開けます。いつもと同じ、優しい顔の姉さまがそこにいました。
「叱られる、叩かれるって……そう思った? ニャルラ」
緩んだ心の中で、嘘を付こうという意志はとうに萎えています。こくり、と頷くと、姉さまは続けました。
「そうね。もしもニャルラが、私や他のお姉さま方、そして女王様の言いつけにそむいて、一人で勝手に竜を盗み出そうとして
いたら……そうしていたかもしれないわ」
「――っ! ごめんなさい姉さま、ごめんなさい!」
半ばわめくように謝罪します。姉さまは、そんなわたしを、優しく抱きしめてくれました。
「このところニャルラのこそこそしている姿を城のあちこちで見かける、って侍女から聞いていたの。『いつかわたしも姉さまみた
いになりたい』と目を輝かせて言っていた、とも聞いていてね、ひょっとしたらって」
当たり前とはいえ、自分の言動は城の者たちに筒抜けでした。当時のわたしもここでようやく、自分の計画が最初の一歩から完
全につまずいていた事を悟ります。
「しばらくの間、私も自分のことにかかりっきりで、あなたと一緒にすごす時間が減っていたものね。……もし気づくのが遅れてい
たら、私はあなたを失ってしまっていたかもしれない。本当に、本当に良かった、ニャルラ」
「ねえ、さま……」
「なんとか捕まえようとする兵士たちに追いかけられて、怖い思いをするかもしれない。竜たちは良くしつけられているけど、どん
なはずみであなたを傷つけてしまうか分からない。そして、もし、もし空に上がって、落ちてしまうようなことがあれば」
そんな事無い、と、浮き足立ったわたしなら返していたかもしれませんが、今となっては無理も良いところです。むしろ、ここまで
姉さまを心配させてしまっている自分を、なんという馬鹿なんだと責めたい気持ちでいっぱいでした。
「でもね、ニャルラ。私には、あなたに願いたい。このことで、空を、竜を、皆を嫌いにならないでほしいって」
「そんな――」
「ええ、あなたがそんな子じゃないというのは、私にも良く分かる。でも、知っていてほしいの。竜と共に空を飛ぶ事の素敵さ、そし
て出来れば、怖さを」
素敵さは想像出来ます。でも、怖さってなんでしょう。怖い思いをしないといけないのだろうか――考えが顔に出ていたのでしょう、
くすりと一つ微笑んだ姉さまは「大丈夫、あなたを危険な目にはあわせない」と言ってくれました。
「だから、ね。ニャルラ、あなたに一緒に来て欲しいの。私と一緒に、空へ」
「姉さまと、一緒に」
反復された言葉が、わたしの中で暖かな熱を帯びました。自然とわたしはこくりと頷いて、姉さまの手を握り返したのです。
見慣れたお城の風景は、見上げるばかりのもの。見下ろした時の形なんて、想像していませんでした。
月明かりを受けて鈍い光を返す、横に大きく広がった翼。姉さまに操られ、夜空を竜がゆっくりと旋回します。
そんな中で、わたしは――興奮すれば良いのか、それとも恐怖すれば良いのか、その狭間で混乱していました。
当時のわたしでも、この高さから下に落っこちればどうなるかくらいは分かります。ましてや今いる高さは、窓のある自室より、ず
っとずっと上なのです。
加えてこの時、少し風が吹いていました。地上にいればどうということも無い風ですが、それを寄る辺無い形で全身に受けるのが、
こんなに強く、そして冷たく感じるものだったなんて。
羽織っているケープで風はかなり防がれているはずなのに、奥歯がカチカチと震えます。姉さまの腰に回した手が、ぎゅっとかた
くなったまま離れません。
「ねえ、さま――」
「ニャルラ、大丈夫? ほら――周りが、見える?」
言われて、わたしは恐る恐る首をめぐらせます。上、右、左、そして後ろ……そこに。
「わぁ――」
連なる山の稜線が見え、そこから天まではさえぎる物の無い自然のドーム。その中で、月明かりに負けず輝き続ける星の姿があ
りました。
お城の中から見上げるだけでは、決して見ることの出来ない景色です。星の数は決して多くないですが、そんな景色を見れたと
いうことで、わたしは感動していたのです。
「月が隠れて見えない時は、空が星で埋まるのよ」
「向こうの山から上まで、ずっと? 全部?」
「そう、全部。川みたいに連なるわ」
信じられないけど、姉さまの言葉なら信じられる。そんな思いを胸のうちでつぶやいたとき、ぐぁぅ、という低いうなり声がわたしの
耳に届きました。
「あら。――ニャルラ。この子、あなたを心配しているわ」
声は、姉さまとわたしを乗せてくれる竜のものでした。長い首をわたしに振り向け、じっとこちらを見つめてきています。
「あなたの脅えや不安な気持ちを感じ取ったみたいね。竜たちって、そう言う事にとても聡いから」
「…………」
「そして、とても純粋な心を持っているわ。……ニャルラ、今でも怖い?」
話を振られて困惑しつつも、わたしは胸の内で気持ちを反芻させてみました。少なくとも、今こうして姉さまと一緒に飛んでいる空
が、そしてわたし達を乗せてくれているこの竜が、怖いとはもう思いません。
沈黙を経て。姉さまに、そして竜の瞳に向け、わたしは笑顔を作りました。怖くない、と答えるよりも、首をふるふると横に振るより
も、これが一番良い答え方なのだと、そのときは考えたのです。
竜の口より、いななきが一つ。まるでそれは、わたしの意思を受け取った、という合図のようでした。
自分の想いを受け取ってもらえる事の嬉しさが、暖かな本流になってわたしの胸へと染み渡ります。姉さまの腰に回していた手
から、ほんの少しだけ硬さが取れて行きました。
「その気持ちをどうか忘れないで、ニャルラ。この子に対しての気持ち、この世界に対しての気持ち……どうかその思いを、大切
にはぐくんで頂戴」
姉さまの言葉は、その半分以上が独白めいた響きを帯びていました。これほどまでに近くにいてくれる姉さまを、わたしはその刹
那、ひどく遠い存在のように感じたのです。
けどそれは、本当に刹那。次の瞬間には姉さまの柔らかい眼差しがわたしを見つめてくれていて、心の大半が幸せに塗りつぶさ
れていました。
「はい、姉さま」
頷く声は、満面の笑顔と共に。ディアドラ=アンホーリーの妹である事の幸福を、強く、強く実感できた瞬間でした。
――もう、何年も前のお話。
姉さまが大地の国へ向かい、そして消息を絶つなど、想像もしていなかった頃のことでした。
『――――っ!!!』
悪意と害意の波動を伴い、わたしとミニミめがけて魔物たちの魔力が放たれます。
大小合わせて百や二百を軽く越えるそれらは、気付けば中空のわたし達を包囲するかのように展開していました。ただでさえ重
苦しい空気が、妙刻みで怖気立つかのような淀みを備えてきます。
けれど。
「――」
怖さをこらえ、震える手を握り締め、じっと前を見据えます。ニャルラ、行こう――ミニミが言葉を小さな咆哮に乗せてくれます。
こんなところで、立ち止まってなどいられません。怖さも脅えも不安も、一切合財の弱音や泣き言も……すべて、姉さまと再会出
来た後に回します。
唱える魔法は、短く、早く。想いよ届けと、強く、強く。
「一気に突っ切るよ! ――ミニミ!」
叫ぶと同時、ミニミの翼に魔物を蹴散らす光が宿りました。
一気にスピードを上げた竜の背につかまりながら、私はまばたきもせず、目的の地に視線を定めます。
――姉さま。
私の想いが、ほんの僅かでもあなたに届いているのなら。
どうか、ニャルラを見守っていてください。あなたの元へと、導いてください。
私は決して足を止めません。前へ前へと進みます。
どうか、どうか。姉さま――
<導きの思い出:了>
創作ページへ