東方ProjectSS「紅き瞳の薬売り」



―ここは、とある山の奥の奥、大結界によって閉ざされた世界―幻想郷。外界と隔離され、人と人ならざる者が共存し
ているこの世では、それに見合ったこんな光景が垣間見られたりする。―





 「毎度ー。八意(やごころ)の薬屋です」
 「来たか。速かったな」
 里に設けられた屋敷の一つ、その玄関先で向かい合う2つの存在は、そのどちらもが人にあらざる者。薬箱を肩に掛ける、頭
から伸びる一対の耳に紅い色の瞳を備えた「月から降りてきた兎」――鈴仙・優曇華院(うどんげいん)・イナバと、見た目人間と
変わらぬ半獣人「歴史を消し、創るワーハクタク」――上白沢慧音である。外見こそ年端の行かぬ少女たちだが、その内に秘め
られた力は、並の人間が到底かなうものではない。
 「? なんで、あんたがここに?」
 「この家の息子が、うちの寺子屋で学んでいてな。その縁で使いを出させてもらった」
 「あの不死人がいきなり来た時は、何事かと思ったけど……納得。で、薬が要るってのは?」
 「案内する。こっちだ」
 慧音に促される形で、彼女の後に付いて廊下を歩く鈴仙。幾つかの人の気配が見え隠れしているようだったが、敢えて無視し、
そのまま通り過ぎて行く。
 「ここだ」
 程なくして、一つの部屋へと入る2人。畳敷きのそこには布団が敷かれ、その中で齢十前後の少年が顔を赤くしていた。高熱
である事、それによる著しい体力の低下を悟って、鈴仙の顔に僅かの険しさが加わる。
 「この子に薬を作って欲しい。手持ちの薬では、ある程度症状を抑えられても、すぐにまたぶり返してしまうそうだ。……具
合はどうだ?」
 慧音の言葉の語尾は、少年の枕元に寄って紡がれたもの。気を遣っている為なのだろう、その声音には柔らかな響きがある。
 「医者には診せた?」
 薬箱を床に置きながら、受け答えを続ける鈴仙と慧音。
 「出来る限りの処置はしてもらったが、人間の医者では限界があってな」
 「親の姿が見えないけど――」
 「母親は精が付くものの買い出しに行かせた、もうすぐ戻ってくるだろう。父親の方は仕事。『看病は私が請け負う』と説得
していないと、2人して倒れるまでここにいそうだったよ」
 自分たちも共倒れしていたら意味無いだろうに、と呟きつつ、慧音は頭を掻く代わりに、頭上の帽子飾りを抱えて一つ溜め息。
 「歴史を食べたり創ったりする事は出来ても、こういう事は不得手だ。……頼めるか?」
 「……とにかく、やってみるわ。それと、少し手伝って欲しいのだけど」
 これまでに、この少年に対してどれだけの種類、どれだけの量の薬を与えてきたか、大まかにでも調べて欲しい――それが、
鈴仙が慧音に頼んだ事だった。一つ頷いた慧音は部屋を出て行き、残るは少年と鈴仙の2人だけ。
 「……おねえさん……だ、れ……?」
 先程の会話で目を覚ましたのか、少年の目が鈴仙を捉える。もっとも、その焦点は定まっておらず、口調も途切れ途切れだか
ら、意識はぼんやりとしているだろうが。
 「おい、しゃ……さん?」
 「八意の薬売り。苦しいのなら、静かにしてなさい」
 ぴしゃりとそう言いながら、3段になっている薬箱の棚を次々と開け、道具と薬の元を取り出していく鈴仙。調合に使う薬の
みならず、それらをスムーズに行う為の粉末やら、畳に薬が飛ばない為の和紙やら――気付けば、部屋の一角は瞬く間に簡単な
薬品工房の様相を呈していた。
 「――さて」
 と、準備の第一段階を整えたところで、彼女は部屋の戸を開け――1人の少女と、視線を合わせる羽目となる。見た所少年と
同じ年頃、しっかりと二本の足で立っている所から見て、病人というわけではなさそうだ。
 「あ――」
 「あ――えと、あっ、あの! けけ、けーねせんせーが、せん、あ――」
 「――いや、落ち着いて。ね?」
 慌てふためき、まくし立て、つっかえつっかえに喋る少女を、鈴仙はどうどうとなだめにかかる。なるべく怯えさせないよう
笑顔を作り、自然な所作で少しだけかがみ込む。あまりまともに視線は合わせられなかったが、それでも少女の次なる言葉は、
きちんと形になっていた。
 「え、えーと――けーね先生が、兎のお薬屋さんが何か困っていたら、手伝って上げなさい――って。自分は、皆と一緒にお
ばさんを探してくるから、って」
 「……この子の母親、ね。皆、ってのは、ひょっとしてさっき、物陰にいた子たち?」
 「あ――はい」
 目をぱちくりと見開く少女からは「どうして分かったの」と、声無き言葉が溢れて来ている。まあ、気配を隠す術なんてこの
年頃の子が持っているわけも無いから、気付くなと言う方が無理だったが。
 こちらに対しての警戒心が大分薄れた事を感じ、鈴仙は少女に「水が入るから、台所の場所を教えて欲しい」と頼む。先導を
する少女の足取りは、自分が役に立てた事を嬉しがっているのか、弾んだ様子を抑えられずにいるようだった。

 「――あれも、貴方の教え子たち?」
 暫しの時が過ぎて、再び場所は畳敷きの部屋。これまでに服用した薬の種類、材料を読み上げてもらっている途中、鈴仙は慧
音に問いかけを寄越す。
 「ああ。この子が床に伏した時から、入れ替わり立ち替わり、ほぼ毎日やって来ている。色々と心配なのだろう」
 「仲が良いのね」
 「彼らは『慧音先生の宿題を、なんとか分担してすまそう会』で結託している子達からな。その縁で仲睦まじくなったのだろ
うよ」
 さらりと言っているが、そういう名前の会が作られる、というのも、教育の現場としてどうだろう――とは、鈴仙の心の隅で
生まれた突っ込み。
 苦笑を堪えつつ、彼女の両の手は、とある薬を持ったり別々の薬を幾つか混ぜたりと、忙しない動きを続ける。
 「師匠の薬――あんまり効かなかったのかな。珍しい事もある……っと。さて、こんなところね」
 「ああ、その件なんだが――もう仕上がりか? 速いな」
 「仮にも『八意の薬売り』で商売しているんだもの、師の名は貶められないわ」
 調合を終えた粉薬を、鈴仙は幾つかの小さな袋に小分け。てきぱきと服用方法やその作用を慧音に伝えつつ、散らばった薬剤
類と道具を丁寧に包んで、薬箱へと戻して行く。
 「それじゃ、私はこれで。今後とも八意の薬をよろし――きゃひぁぅっ!?」
 言葉の語尾に付く珍妙な叫びは、整理を終わらせるや立ち上がり、部屋を出て行こうとした刹那のもの。見ると、鈴仙の服の
下より飛び出している兎特有の丸い尻尾を、慧音の手がむんずと掴んでいたのだった。
 「な、何やってんのよあんたはぁ〜」
 「言うだけ言って、こちらが話を切り出そうとした途端、荷物を纏めて撤収か。どこぞの、魔法使いと称する物盗りの如しだ
な」
 「あんな魔法ぶっ放しの奴と一緒にしないで、それと尻尾も離して。――なに?」
 恨みがましい視線を作る鈴仙に、慧音は無言のまま、先程渡された包み紙をそっと開いて小指を付ける。そして、それを口に
含み――瞬間、思いっきり眉根を寄せていた。
 「置き薬もそうだったが――こんなきつい苦みに、今のこの子の舌が耐えられるものか。吐き出して終わりだぞ」
 「な――」
 「分割もしたし、甘味料に溶かしもしたが、苦さは一向に消えないし、緩みもしない。様子を直に見て貰えれば、或いは――
と、思ったんだがな」
 「はぁ……もっと先に言ってよ、そう言うのは……」
 頭を抱えて呻く鈴仙。その脳裏に、薬の師匠――八意永淋の顔が浮かぶ。そういえば今日、永遠亭から外出する折、妙に彼女
の笑顔が明るく弾んでいたような気がしていたのだが――
 「他の薬にしても、飲む時に随分と苦労をさせてしまったらしい。この苦味を抑える薬も、出来れば併せて貰えないだろうか」
 「そう、ねぇ……」
 師匠、もしかしてこういう展開を予想していたのではないだろうか――と胸中で呟きながら、思案をしてみる鈴仙。担いだ薬
箱を置き、改めてその中を確認してみるが、少しして首を横に振る。
 「……幾つかあるにはあるけれど、どれも、さっき渡した薬の効果を潰してしまう。簡単には渡せないわ」
 とは言え、ここまで出向いて来ている以上、打つ手無しで引き上げれば八意の名に傷が付きかねない。つい先程、その言葉を
鈴仙が口に出していただけに、なんとか対処法を考えなければならなかった。
 「どうにか、ならないか?」
 「うーん……」
 腕を組んだり、頭から伸びる耳をくいくいと引っ張ってみたりと、鈴仙の思案は続く。それが暫し経って、「――やってみま
しょうか」と、小さな呟きが彼女の口から漏れ出ていた。
 「策があるか?」
 「まあ――大丈夫だとは思うけど」
 言いつつ、鈴仙はそっと布団に近付き、床に伏せる少年の元へ身体を寄せる。そして、その手を彼の額へ静かに置き、意識が
覚醒するのを待った。
 「……ぁ」
 やがて、少年の瞳がゆっくりと開かれ、視界の中に鈴仙の顔が描き出される。
 「具合、どう? 首を振るだけで良いから、答えて欲しいんだけど――私の顔、見える?」
 「……」
 眼を二度三度とこすった上で、首をゆっくり縦に振る少年。「……うさ、ぎ……?」と、合間にそう呟いた声が聞こえた事も
手伝い、鈴仙は彼の視界と意識を確認する。
 無言のまま、彼女はさらに少年へと身体を寄せ、頭を寄せ――出来る限り向かい合うような形で、自分の額と彼の額とを、こ
つん、と軽く接触させた。
 「……?」
 「私の目、見える? どんな色?」
 「……きれ、いな、赤……」
 「そう。――有り難う」

 ――キン、と。
 互いの間で、何かの波長が、ごく僅かに――ずれた。

 「――飲んでくれたな」
 さらに時は過ぎ、今度は家屋の玄関前。少年が薬を服用し、布団の中で寝息を立て始めたのを見計らって、鈴仙と慧音は出来
るだけ静かにここまでやって来ていた。今は彼の母親が看病を請け負っているが、これから体調は回復に向かう事だろう、と鈴
仙が告げた為か、疲労一辺倒だった表情の中に僅かの喜色が混じっていた。
 「月の兎の瞳は、力無き者がまともに見ると狂う、と聞いているが――」
 「そう。あの薬に対する味覚をね、あの子の内でほんの少しだけ『ずらした』わ。薬を服用する必要が無くなれば、その作用
も消えて後には何も残らない」
 少々反則気味だったけどね、と、鈴仙の溜め息には自嘲の色が見える。
 慧音の言葉の通り、鈴仙・優曇華院・イナバの瞳は、それを見る者の波長を本来のものとずらし、狂気を産み出すものである。
基本的には、月の姫君を守る時や、永遠亭への不法侵入者に相対する時に武器として用いる代物なのだが――今回のような使い
方は、ほとんど初めてと言って良いものだった。
 「師匠だったら、こう言う事にもすぐに対応できてしまうんだろうけど――私もまだまだね」
 「まあ、自分の事をどう思うか、それは各々の自由だが。……皆、お前には感謝しているぞ」
 言い終わるや、慧音は自分の後方、丁度死角になっていた廊下の角を視線で指し示す。同時に「皆、出て来なさい」という彼
女の声が響くと、そこから数人の子供たちがおずおずと姿を現した。その中の1人には、あの、鈴仙とばったり顔を合わせた少
女も含まれている。
 「この子たち――例の、同盟の?」
 「そう。で、母親探しに協力もしてもらっていた。……さて、皆。どう言えば良いか、分かっているな? きちんと自分達の
言葉で、伝えるように」
 『…………』
 お互いに顔を合わせ、その合間にか細い声で「お前が先に」などと呟く声が聞こえて来る。やがて、先程の少女が意を決した
ようにごくりと一つ唾を飲み込み――1歩、2歩と鈴仙の側まで寄って来て、
 「――鈴仙先生、ありがとう、ございました!」
 大げさなくらいに頭を下げ、緊張でガチガチになった声で――それゆえ、嘘偽りの無き心を剥き出しにした、お礼の言葉。そ
れに続き、「ありがとうございました」の声が、子供達のお辞儀が、幾重もの束になって鈴仙の耳朶を次々と打つ。
 「え――あ」
 「『お礼を言いたい』と私に言って来たんだ。で、直接言いなさい、と切り返した。……私からも礼を言う、ありがとう」
 「――あ……え、うん」
 言葉を失い、硬直してしまう鈴仙。暫し経ってようやくそのこわばりが溶け、くるりと玄関に振り向き、
 「――や、八意の薬を、これからもご贔屓にっ!」
 眼のみならず、その頬まで真っ赤に染め上げた鈴仙。そんな彼女が必死で搾り出した声は、見事なくらいに裏返ってしまって
いた。

 緊張、焦燥、戸惑い――そんな感情を抱え、どこか浮き足立ったまま、鈴仙は帰路を辿る。
 「…………」
 誰かに言うべきようなものではなく、自慢すべき事とも言えない。褒められて舞い上がっているのか、と問われれば「否」で
あるし、誇っているわけでもない。
 だから……少なくとも、当分は自分1人の中で、この気持ちを抱きたい。邪魔されたりせずに、ゆっくりと時間をかけて噛み
砕き、消化してみたい。歩きのペースを少しずつ落としながら、鈴仙の心中にそんな言葉が次々と並び立つ。
 「――ふぅ」
 一つ深呼吸して、肩の薬箱を掛け直す。そんな彼女の表情は、何時もと比べて心なしか少しだけ穏やか。一度立ち止まった後、
踏み出す次の一歩は、心なしか軽く弾んでいる。

−そして。今日のこれからも、明日も明後日もまた。人と妖怪、彼らの織り成す幻想郷に日常が紡がれてゆく。
ここは遥か東方、人の理に縛られぬ、幻想の地―


・了・


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