―Sky Clouder―





 ドン、と言う鈍い音が、静かに艇内で反響した。
 幾重にも設けられた衝撃を吸収する機構は、遥か空中からの降下をごくゆっくりとした、且つ安全なものへと変化
させていた。乗務員と作業員らの手によって人々はゆるゆると定められた通路を導かれ、旅客艇『リガレクス』から
空港へとその身を移動させて行く。
 「……よりルーセス空港へお越しの皆様、長時間に渡る空の旅はお楽しみ頂けましたでしょうか。乗降箇所より直
進されました所に荷物カウンターが設けてありますので、くれぐれもお忘れ物の無き様、ご注意くださいませ……」
 頭上より聞こえて来るアナウンスに従って、空港の通路を足早に歩いていく人々。その波からやや外れた辺り、一
面に広がる雲海を映したガラス窓の前にて、足を止めている二つの影が有った。
 「――――」
 影の一つは、年の頃四十に満たないであろう、物腰柔らかに思われる長い薄茶髪の女性。発した声は人の喧騒に紛
れていたが、そのたおやかな指は、伸び上がった入道雲の山脈に指し示されていた。
 「――――」
 傍らのもう一つの影は、サングラスをかけた男だった。女性とは同年代か、もう少しほど上の年齢と言ったところ。
白みがかった髪を短く刈り上げた、がっしりとした体格が羽織ったジャケット越しにも分かる、見事な体躯の壮年で
ある。
 彼の声もまた、人の喧騒に流される。その渦中、耳聡い一人の青年が僅かにその言葉尻を捉えたが、首を傾げるに
留まっていた。
 「……『あの機はやられる』? 何だ、予言でもしてるのか?」
 後ろからの人の勢いに押され、それに伴って通路を進む過程で、言葉は彼の脳裏より綺麗に忘却されていく。
 さして思い悩む事でもない、と結論付けたのだ。そういや、何か風や気流がどうだとかも言っていたが――まあ適
当に言ったのだろう。例えあの『雲取人(クラウダー)』にだって、地上からそんな細かいものを見付けられるとは思
えない。ちょっとでも空に関心があれば、その程度の事なんてすぐに分かる――

 青年の言葉は、半分ほどが正解と言って良いだろう。事実、彼は空についての学問を勉強している大学生の一人で
あり、教え込まされた知識にも基本的な間違いは無い。空と雲が複雑に創りあげる微細な気流の流れは、空一面に敷
かれた白色にも紛れる形で、地上から見つける事はまず不可能な代物である。
 ――だが。
 「――あの、機体――やっぱり」
 「……ふむ。立て直し方は悪くない、か」
 遥か上空、急激に変化した気流に翻弄されたのか、一機の飛雲機が唐突にバランスを崩す。持ち直すのに数秒、決
して遅くは無い。とは言え、あくまで新米の域を出ない腕で見れば、だが。
 「さあレドゥア、俺たちもギルドへ急ごう。あの気流、早々に雨を呼ぶようだからな」
 「そうね、早く貴方達を飛ばせてあげたいわ。――数年ぶりのルーセスの街、そして雲と空。さてさて、ガル=ラ
バルクのお眼鏡に果たして叶うかしら?」
 トーンを変化させずにそう言うや、くるりと踵を返して空港の出口へと向かって行く男性。そして歌うような呟き
の後、彼の後を付いて行く女性。
 世界に名を知られるエース・クラウダー、ガル=ラバルク。その妻でありナビパートナーである、レドゥア=ラバ
ルク。『生きた伝説』の一ページを、クラウダーのそれとして確実に占有する二人は、未だ静かなルーセスの街と空を、
それぞれの視界に収めていた。



                                            ・Story‐3rd・
                                           「白き星の道しるべ」

〈1〉

 温暖さの増した大気を、無数の雨粒が切り裂いてゆく。
 大陸の気候は既に春の陽気を通り過ぎ、長袖では暑いと感じられるほどの気温が常日頃続いていた。だがそれと対
照的に、時折訪れる降雨は冷涼な空気をルーセスの街へと次々に運び届け、忙しく立ち回る人々に程よい快適さを提
供している。
 『――――』
 とは言え、それにも時と場合というものがある。ざぁ、という突然の雨音に鼓膜を震わされた拍子、少女は咄嗟に
耳に当てていた通話機を外して、格納庫の窓から外の様子を伺っていた。
 「うわぁ――とうとう本降りになってきちゃったよ。カイト、傘持って家を出たんだっけ? 確か、姉さんは持っ
ていかなかった筈だから……」
 「俺もだよ、ったく参ったなあ――と、まあそれは後の事だ、話を報告に戻そうぜ。フォートさんの作業具合だけ
ど、今のところどうなってる?」
 「うん、私がこうして通話しているんだもの、もう少しで――」
 パートナーの少年――カイト=レーヴェスの言葉に相槌を打ちつつ、ナビの少女――ハルカ=ベルンストは、己が
後方に鎮座する朱色の複葉飛雲機『サルディノ』に視線を移し、
 「――終了した、みたい。姉さんにも伝えておいてね、よろしく」
 つい先ほどまで、機体下腹部で動かしていた腕を休ませている青年――フォート=オーティスの姿を視界に納めて
いた。
 その後簡単な会話を二度三度ほど交わして、ハルカは耳から通話機を外し、格納庫の壁に飛び出たフックへと引っ
掛ける。カチャン、という音で通話が切れた事を確認すると、彼女はくるりと踵を返してフォートの元へと歩み寄っ
た。
 いつもの通り、眼鏡の奥に和やかな微笑を湛える彼の傍らには、全長およそ30センチ程度の円柱ケースが二個、
木製テーブルの上に揃って置かれている。両端を六角形のパネルに挟まれたそのケースは、細長い円柱の部分がスカ
イ・マテリアルと同じ蒼色の光に包み込まれており、その明滅の度合いは静かながらも、見ているとまるで引き込ま
れそうな錯覚を思い起こさせていた。
 「ご苦労様、ハルカ。サルディノの『ストッカー』も無事に引き出した事だし、これを保管して少し休んだらクラ
ウダー達のお迎えに向かうとしようか」
 飛雲機に設置されている機内保管庫(ストッカー)――その正体とでも言うべきこの円柱形のケースは、飛雲機本
体と比べてもあまりに小さな代物である。一年間の四分の一、一〇〇日間と言う季節の区切り目の内に、どれだけの
量のマテリアルを採取し、満杯になったこのケースの数を増やせるか――今現在、クラウダー達の賃金決定と技能レ
ベルの定義は、その採取具合が大勢を占める形となっていた。
 「はい、義兄さんもご苦労様。さっき話していた事なんだけど、カイトの言葉通りなら、姉さんの書類記入とかに
はもう暫く時間がかかるみたいで……『二時半頃になったら傘を頼む』って」
 「ふむ――って事は、もう三十分ほど余裕がある、か……」
 ケースの両側に接着した六角形のパネルを厚手の手袋越しにそれぞれ挟み込んで、二人はそんな会話を交わしつつ、
並び立つ飛雲機の間を縫って自宅へと歩いて行く。
 ――と。サルディノの下を通り、カイトの飛雲機である『シプセルス』の脇を抜けたあたりで、ハルカはふと歩み
を止め、頭上に覆い被さった影を見上げた。
 「…………」
 「――ハルカ? どうしたんだい?」
 そこで何かの思案を巡らせたのも一瞬、かけられた言葉にはっとなり、慌てて彼女はフォートの背中を追って格納
庫の中を歩いて行く。――その視線の先にあったのは、今や少しずつ、だが確実に使用頻度を下げている練習用飛雲
機『アンフィプリオン』の姿。ここ数日に渡って彼女が胸中に抱いている感情は、その機体を見る度に少しずつ複雑
さを増して、蓄積の一途を辿り続けていた。

 「……『保存マテリアル回収日時』今期の九十六……で、レナ=ベルンスト、っと。はいこれ、よろしく頼むよ」
 「確認いたします、少々お待ち下さいませ……」
 ハルカとの通話を切り、師であるレナ=ベルンストに伝達すべき事項を伝えた後。カイトは広々とした空間の一角
を席巻する長椅子の群に腰を落ち着け、雨の降りしきる窓の外に視線を向けていた。
 現在、彼ら二人がいる場所は、自宅から徒歩で二十分強の所に立地している古い建物――その一階部分に設けられ
た、街のクラウダー達が集うギルド『フェラーザ』。ルーセスにおいて雲取り業を成す者達にとって、決して無縁でい
ることの出来ない所である。
 「――ふぅ、とりあえずはこれで、暫く待っていればOKだ。……しかしまあ、こりゃちょっと傘無しじゃきつい
ね」
 先ほどまで所定カウンターにて書類にペンを走らせていたレナが、そんな呟きと共にカイトの元へと歩み寄り、隣
に腰を下ろして外を見やる。彼女の言葉に違わず、つい十分ほど前まで外に見えていた筈の景色は、今や完全に分厚
い雨の幕に覆い隠されてしまっていた。
 「とりあえず、後三十分ほどしたら迎えに来て欲しい、ってハルカに伝えたよ。購買で傘を買うのも何だか勿体無
いしさ」
 「書類のチェックとそれに次ぐ確認だから――まあ、それくらいが適当だろうね。うーむ、三時くらいまでは持ち
こたえると思っていたんだけどな――……まだまだ読みが甘いってことか」
 腕を組み、悔しそうに唸るレナ。この『雨が降るか降らないかと言う時、果たしてそれが何時ごろなのかを予想す
る』――という彼女の習慣は、カイトがこれまで知る限り五割、甘く見ても六割半ほどの割合で当たりと外れを積み
重ねている。
 「ちょくちょくそれやってるよな、レナ姉ってさ……確か、師匠が得意としていたんだっけ?」
 「ああ。空気と雲、風に気流……それらの微細な流れや違いを地上からでもきちんと見定めてこれからの天候を予
測、んで結果は九割方的中と来た。今更ながらに、よくもまああれだけぽんぽん当てられていたと思うよ……」
 「――――」
 己が師の事について言葉を重ねるうち、レナは片手で軽く顔を覆い、そして溜め息を一つ。その中に込められてい
るのは――あくまで推し量る程度のものだが、過去を思い出す事で圧し掛かってくる、疲労と重圧と言うところだろ
うか。少なくとも、良い類の思い出ではなかったようである。
 「――ったく、つくづく化け者だったと痛感するよあのお二方は。大体、四十歳を超えて何故に未だクラウダーと
ナビの頂点に君臨しているのやら……くそ、来年になってもまだトップに居座り続けるのなら、これで四季連続、一
年に渡る負け越しだ……」
 「――って。ひょっとしてそれ、前々からセディアさん達とずーっと賭け続けている勝負の事かよ? 一体何を話
題にしているのかと思ったら、自分の師匠の頂点陥落だなんて……」
 「ふむ――ま、世辞にも誉められたものではないな」
 唐突に二人の会話に割り込んで来た低い声は、彼らの頭上、すぐ真後ろより降って来たものだった。途端、二人の
身体は硬直――のみならず、レナに至っては、ビシリという音を立てて身体を凍結させてしまう。
 「けれど……まあ、それだけ元気にやっているって事じゃないかしら? 見た所、お隣の坊やはレナのお弟子さん
みたいだしねぇ」
 無骨さと重厚さを備えた男の声に対し、次のそれは柔和さと温かさを備えた年配の女性のもの。にもかかわらず、
レナの身体はさらに一段階硬直。氷の彫像から、ガキン、という音が付随しても可笑しくない岩盤へと変貌してしま
う。
 「――な――な――ん、で――はは、嘘、幻聴――」
 そして。そんなレナにとどめの一撃を加えたのは……誰あろう、彼女よりも先に硬直を解いて後ろを振り返った、
カイトの言葉だった。
 「貴方たちは……ガル=ラバルク、それにレドゥア=ラバルク! どうして、この街に!?」
 ――バキィ、と亀裂の走ったすぐ隣の岩から、師匠の魂が今まさに抜け出そうとしている事など、その弟子は驚愕
の為、生憎と眼中にすら入れていなかったのである。

 「すいませんでした本っ当にすいませんでしたあんな賭けはもう金輪際一切致しません、師匠お二方のイメージを
下げるかもしれない真似も絶対に絶対にやりません、キュエル三天に誠心誠意誓います」
 「…………」
 受付のロビーから少し離れた、ギルドに隣接する喫茶店の片隅席。
 場所が場所じゃなかったら、単に深々と頭を下げる程度じゃなく、間違いなく額を地に擦り付けての土下座だった
ろう、と思えるくらいの渾身の謝罪を、レナは机を挟んで座る二人に行っていた。
 で、彼女の隣に腰掛けているカイトはと言うと、そんな師匠の姿を初めて目の当たりにし、ただただ眼を白黒させ
るばかり。
 「はいはいレナ、謝罪はそこまでで結構よ。カイト君……だったわよね、弟子の坊やも戸惑っているみたいじゃな
い」
 「うう、面目ありません……。しかしお二方とも、世界を放浪しているのは知っていましたけど、この街に来るな
ら来るで、連絡の一つくらい寄越してくれても……」
 ガルとレドゥアの二人が『現在、セルナスの空を飛ぶクラウダー達の頂点』としてこの世界に名を轟かせている理
由は、単純にその熟達した腕のみならず、彼らが常に世界を放浪している、という事にある。一つの場所に滞在する
のは、そこで何かしらの然るべき理由が生まれた時のみ――例えば、見込みのあるクラウダーやナビと出会い、弟子
にして各々の技術を叩き込む、という時等。そうして今や世界中に散らばる「ガルとレドゥアの弟子」に、レナもし
っかりとその名を連ねているのであった。
 特に彼女の場合、クラウダーの技術も勿論、ナビの技術も彼ら夫婦にがっちりと仕込まれているだけあって、他の
弟子達より二人の怖さや恐ろしさが身に染みていたりするのである。
 「まあ、これはいつもの習慣だからな。出向いた先が滞在に不適切と判断すれば、次の街へ行くだけの事だ」
 「はぁ――そういう辺り、ほんっと変わってないですよね……」
 トーンを変えぬガルの言葉に、同意の頷きを返すレドゥア。そしてテーブルから頭を上げるや、そんな二人から視
線を離さぬレナ。彼女の瞳の中には、何だかんだと言いつつも久々の再会を喜ぶ感情の揺らぎが見受けられる。
 「…………」
 そんな表情を浮かべる彼女の傍らにて、カイトはどういう反応を返せば良いのか分からず、ただただ緊張して彼ら
の談話を聞くだけに留まっている。
 と、
 「――時に、坊主……カイトだったな。その手の怪我、『飛雲機をどう扱って付けた』?」
 それはあたかも、とりとめのない世間話をするかのようなさりげなさで、ガルの口から滑り出されていた。
 彼の言葉を理解した瞬間、困惑と驚愕によって咄嗟に声が出なくなる。別にことさら隠していたわけではないが、
手の甲に負った小さな炎症以上のものでない上、見せびらかしていたわけでもない。だのに、それがどうして飛雲機
の搭乗時に付いた傷とまで――
 「あ、これは、……えぇと、突然の風に煽られた拍子にです。回避するタイミングを見誤って……」
 「――ほう。なら、『正午前、高度二〇〇〇周辺の気流に煽られた折』と言う事だな。両親から折角譲ってもらった
シプセルスを、レーヴェスのせがれは未だ完全にものにしていないか」
 「――っ!?」
 先ほどのそれを遥かに凌ぐ、息が止まるほどの言葉の衝撃だった。半ば反射的に飛雲機の名を出した途端、さらり
と返して来たガルの言葉が、あまりにも完全に事の正鵠を射抜いていた為である。
 「な、なんで――ギルドで登録もしていないんじゃ、まだここの空に上がってもいない筈なのに……」
 「空港の窓から、飛行に特化した形の機体が気流に煽られる様を見ていた。狭い操縦席の中だ、あの揺さぶられ方
なら、拍子に身体や手先が席内の機器にぶつかってそんな傷が出来上がる」
 「空港の、窓から、って……」
 「――化け物だ、やっぱ」
 ぼそり、と呟いたレナは、一瞬の後、ガルの両瞳に見据えられた途端に――さして睨みを利かせたわけでもないの
に――ふい、と思いっきり顔をそむける。
 「ともあれ、だ。操縦桿を握る手を怪我する事は、俺たちにとってやってはならん事の上位だろう? 僅かにもた
ついたあの回避運動の折、一体何をやっていた? ジンクとフレアの創り上げた空飛ぶ魚……息子にしてレナの弟子
のお前が、そう何時までもあれを扱えておらぬ道理はあるまい」
 「…………」
 シプセルスという飛雲機を一から創り上げた『レーヴェス夫妻』の血を継ぎ、且つレナという彼らの教え子を師匠
に持っている――改めて自分の置かれている立場を明示され、カイトは口をつぐむ。
 『生きた伝説』とさえ呼ばれるこの二人は、彼自身とこそ面識は無いものの、その両親――ジンク=レーヴェス、
そしてフレア=レーヴェスと旧知の仲であり、飛雲機の事を話し合える親友同士でもある。ゆえに、彼らがシプセル
スの事を知っていたとしても、特に驚くべきことではない。
 それにしても。正直な話、あまりにも先ほどからの言葉一つ一つが実際見たかのように正確すぎて、取り繕う隙な
ど微塵も無い――
 「ガル、慎んで。御免なさいカイト君、レナ。この人、雲取りの事になると、途端に歯に衣着せぬ言葉になっちゃ
うのよ。差し出がましかったわね、面目ないわ」
 「あ、いえ、そんな――」
 あくまで声の響きは静かだが、本質的な部分で逆らう事の出来ない強さがある。そんなレドゥアの言葉に、むぅ、
と微かに唸って口を閉じるガル、そして反応に困って妙にかしこまるカイト。
 「……。……ご迷惑でなければ……相談に乗って頂けますか、お二方とも?」
 「レナ姉っ!?」
 「このまま悩みをひきずっていたって、良い事なんて何もない。カイトだって、一日も早く解決してしまいたいだ
ろう?」
 「そりゃあ、勿論……」
 『…………』
 ぎ、という小さな椅子の唸りは、ガルが改めて席に座りなおした拍子に出た音。レドゥアの毅然たる姿勢はと言う
と、先ほどより全く変わっていない。
 彼らが話を聞く姿勢を取った事を確認して、レナは少しずつ話し始めた。カイトが傷を負ってしまった理由、そし
てそれに連なる、近頃浮かび上がってきた問題を――

 「『依存』――か」
 「発症確立はおおよそ全体の二割ほど、と聞いていたけど……よりにもよって、それがカイトとハルカとはね」
 同日――いや、今日と明日の境目である、午後十二時頃。夜の帳が降り、静けさに覆われた自宅寝室にて、それぞ
れのベッドに身体を突っ込んだままレナとフォートは会話を交わしていた。
 「アンフィプとシプセルスを使い分けての飛行訓練……けど、このまま続ければ、アンフィプの低性能にあいつら
の感覚が引きずられて行ってしまう。上達どころか技量が落ちる可能性がある、か……」
 二人のベッドの間には淡い燈色光を放つ電気スタンドが設けられており、寝室を柔らかな光で照らしている。今宵
はカイト達二人も寝付けていないだろうな、と思いつつ、レナは天井を向いたまま小さく溜め息を吐いた。
 「私の時は、全然そんな事無かったんだけどなー……そのせいで、師匠らに聞くまで確信を持てなかった」
 「右に同じ。けどまあ、今季は色々な意味で立て続けに騒がしかったからね。結果的にあれらが、二人の成長を僕
らの見立て以上に促したんだと思うよ」
 「乗り切って一安心、ってわけにはいられなかった、か……」
 『依存』――それは、訓練期間の必須段階である『アンフィプリオンよりの卒業』前後に、クラウダーやナビ達が
稀に陥る特有の現象。いや、一種の職業病と言い換えても、会話に支障は無いだろう。
 通常、新米のクラウダーとナビは『アンフィプリオンを専門とした訓練』を、専門の学校から弟子期間の初期に行
う。これが第一段階であり、ある程度の時期を経ると第二段階『アンフィプリオンと、自分が搭乗する専用飛雲機を
交替で扱い、相互に補うべき点や伸ばす点をフィードバックし合う』事へと移行する。そこから抜け出した後、いよ
いよ第三段階『専門飛雲機による訓練』が待っている、と言う手はずを取るのだが――
 「普通は、アンフィプを扱い続ける内『この機で出来る事には限界がある』と身体で感じて、自分のほうから乗る
機会をどんどん減らして行くものなんだけどな……」
 「彼ら二人はそれを見極める時期が足りないまま、互いの腕を上達させてしまった。だから腕はともかく、まだ心
情や感覚の上でアンフィプを卒業しきれていない――むぅ、困ったねどうも」
 交集季の序盤に起きた、巨大入道雲を巡る一連の飛行。次いで同季の半ばに、あの巨大生物に追い掛け回された経
験――よもやそれが、こんな形を取って降りかかって来るとは。
 「アンフィプから『卒業』させる――いや、この場合、無理やり引き剥がすしか無い、ってのかなあ……下手にや
ったらあいつらに悪い影響を与えそうで、正直あまり気が進まないけど」
 このまま同じように訓練を続けていれば今以上に、シプセルスを操縦する上で、アンフィプリオンで身に付けた感
覚が枷となる。しかしろくに心構えの出来ていない心情にやたらと手を加えれば――カイト達にどんな悪影響が出る
やら、分かったものではない。
 何より。そう言う『依存』の期間を抜け出せなかったが為に、正規クラウダーへの道を閉ざされた者たちや、空へ
と散って行った者たちを知っている以上、幾ら大げさであろうとも心配を募らせざるを得ないのが、二人の現況であ
った。
 「それで……かのラバルク夫妻は、何と言って来たんだい? あの二人は、ちょうど僕やハルカと入れ違いにお店
を出て行ったんだよね?」
 「『この場で会って話を聞けたのも縁だ、俺達のほうでも何か手立てを考えてみよう』――だってさ。カイトがいる
前では流石に言えない事だけど……あの瞬間、間違いなくほっとしていた。だって、あいつら二人が『依存』を発症
しているなんて――そんな――」
 「…………」
 天井を向いた姿勢のまま、ゆっくりと両手の平を顔の上へと持って行くレナ。彼女の口から押し出される言葉は、
時を刻むごとにトーンが重くなり、そして徐々に詰まり始めて行く。身を起こしてその様子を見守るフォートは、た
だ静かに口をつぐんでいた。
 彼女も自分も、既に「新人」と呼ばれる時期を卒業して久しい。今現在までに様々なトラブルを経験し、その度に
対処法を学んで確実に年月を重ねて来た。けれど――今回の事態に直面しているのは、自分達の弟子であり、そして
何より、血の繋がった妹とその相方の弟分。……抑えようの無い不安は悪い想像を呼び、心臓を早鐘のように打ち鳴
らして、整えようと務める息を片端から乱して行く。
 落ち着け自分、悪いほうへ考えるな、そして皆の心に負担を与えるな。最悪の事態なんて万が一にも起こしてなる
ものか、彼らを、そして彼女を支える事に尽力するんだ。平常心の元に備えろ、努めろ、決して憂いたりするんじゃ
ない、するんじゃない――
 「――フォート」
 望まぬ方向へ引きずられかける思考を振り払おうと、頭を乱暴に振ろうとした矢先。何時しかこちらを向いていた
レナの呼びかけに、フォートは散らかっていた意識を即座に集結させ、視線を交わらせる。
 「ん……どうしたい、レナ?」
 先ほどまで思考を表には出さず、あくまで冷静に、何時も通りに。自分の胸にそう言い聞かせつつ彼女にそう問い
かけて、
 「――――」
 刹那の驚きは、レナの言葉がフォートの脳裏に届くまでの間だった。軽い頷きを一つ返して自分のベッドから降り
立ち――流れるような動作で、す、と。静かに、起き上がった彼女の半身を抱き締める。
 「――今だけ、御免。落ち着くまで……ちょっとだけ、このまま」
 「うん。……大丈夫、何があっても、どんな形ででも君を支える。絶対に、絶対にね」
 こくり、とレナの頷く気配。それと共に、フォートの肩を掴んでいる彼女の手に、ぐい、と強い力が込められる。
恐らく、彼のそれよりも一足先に思考を悪い方に巡らせた為、気性がささくれ立ってしまっているだろう。
 「――大丈夫。今まで色々な事を切り抜けてきたんだ、これくらいでどうにかなるものか。協力してくれる人もい
る、そして何より僕らは一人なんかじゃない。心配ない」
 また、こくりと頷きを一度。そんな彼女の細身がかった背中を、フォートはただ優しく撫でさすっていた。眠りに
落ちるその瞬間まで、ひたすら優しく、そして欠かすことなく。

〈2〉

 「…………っ!」
 操縦席を掠めるような飛び方で、数機の飛雲機がシプセルスの脇を通り過ぎて行く。ぶごぅ、と言う衝撃波が連な
って届き、キャノピーをカタカタと細かく振動させていた。
 「カイト、集中! 動揺が分からないわけじゃないけど、雲取り場へ出る前に墜落なんて、洒落にもならないよ!」
 「す、すまん! ――くっ!」
 一面を白色に塗り潰された視界の中、前方を見据える。視覚と同時に聴覚を研ぎ澄ませて、ナビの声を聞き逃すま
いとする。……だが、心の中で蠢く嫌な感覚を、カイトはどうしても無視出来ずにいた。
 ――十数日前より、飛雲機を動かす際に漠然と感じ始めていた違和感は、昨日の『依存』という言葉に感化され、
途端にはっきりとした形をもって心情を圧迫しようとしてくる。両機の性能の違いにひきずられてはいけない、と理
屈では分かっているのだが、感情や四肢の動きが、それらにどうしても僅差で伴ってくれない。
 「北東21、西11より飛雲機接近! 回避して!」
 通信機に叫ぶハルカとて、その思いは同じだった。「シプセルスの力ならもっと上手く飛ばせる」等とフォートに良
く注意されているのに、その感覚をどうしても得られなくなっている……自分の未熟さを弁解したくなどないが、も
しもこれが『依存』の症状に関係しているのなら、と考えると、今までに読んだ文献の記事を連想して、じわりと手
先に嫌な汗が滲むのである。
 『――……っ』
 まさか自分たちが、という驚きと、唐突に告げられた『アンフィプからの早期卒業』に対する、取り払いきれない
愛着と未練。無自覚の内に歯を食いしばる彼ら二人を、師匠ら二人もまた見守るしかない。――それぞれにとって、
息苦しい朝の雲取りだった。
 と、そんな時。『他者よりの通信の接続』を示す間隔の短いブザー音が、各々の操縦席とナビコンより鳴り響く。ス
イッチを入れてチャンネルを開いたところ、クラウダー二人には既に聞き知った声が通信機の向こうより届いてきて
いた。
 「――聞こえているか、カイト=レーヴェスにレナ、そしてそのナビパートナー達? こちらはガル=ラバルク、
そして飛雲機『ウォルバウム』だ」
 側面よりゆっくりと近付いて来る、飛雲機の駆動音。視線を向けたカイトの瞳に、雲の中から姿を現す、スマート
な翼が映り込む。
 「あれが――〈雲を往く翼〉……」
 黄色を僅かに交えたクリーム色の全体と、その外枠を囲むブラウンの二本ライン。普通の飛雲機よりもやや長大に
作られた胴体と単葉は、省ける限りの無駄を省いたシンプルさと流麗さを際立たせている。両翼のそれぞれ中央に設
けられた二つのプロペラは、シプセルスやサルディノのそれよりも二回りほど小さく、しかし力強さを露にして忙し
なく回転し続けていた。通称〈雲を往く翼〉――飛雲機、ウォルバウムである。
 「ガル、さん……」
 「ガルで構わんさ。……昨日、あれからレドゥアと話をしてな。俺達とお前達で一つ雲取り勝負をして、力の入り
具合を見定めてみよう、という事で落ち着いた」
 「勝負!? エ、エースクラウダーと私達がですか!?」
 「ええ、そうよ。レナから聞いているわ、ハルカちゃんね? 初めまして、ガルのナビを担当しているレドゥア=
ラバルクよ」
 「え、あ、はい……けど、私達がそんな……」
 「師匠……」
 交錯し合う六人それぞれの通信。レナは驚きによって、ハルカは戸惑いによって、そしてカイトは提案の意味を噛
み砕く思考によって、その後の言葉を途絶させていた。
 「レナ、ついでにお前も参加だ、どれだけ力を伸ばしたか見せてもらうとしよう。フォート=オーティス君――だ
ったな、君の意見はどうかね?」
 「そう、ですね……突然の事でちょっとびっくりしてますけど、……僕は賛成です。今の時点で僕らがカイト達に
教えきれない事を、一緒になって学ばせて頂ければ、と。それが良い結果に繋がるのであれば、僕は何だってやるつ
もりです」
 『…………』
 一字一句と噛み締めるように、その場にいる全員に向けて言葉を放つフォート。急かす事無く返答を待つガルにレ
ドゥア、逡巡を繰り返すカイト達――絶え間の無い駆動音だけが、各々のナビルームや操縦席に轟いて行く。
 ややあって、
 「――やろう、ハルカ」
 「カイトっ!?」
 「今まで積み重ねて来た事、費やしてきた月日、こんな形で無駄にしたくない。どこまで出来るか分からないけど
……フォートさんの言うとおりだ、やれる事は何だってやってみよう」
 数秒間の沈黙を経て、口元を結びなおし「うん」と頷くハルカ。そんな二人の様子を見た後、レナとフォートも同
意の返答を寄越す。
 「よし、ならば決まりだ。時刻は現在九時二十三分だから、三十分ジャストに始めよう。この方角にある雲取り場
はおよそ三つ、そこを用いて一時間内のマテリアル採取量を競う――何か意見は?」
 「ありません」という宣言が、四人の口から重複した。

 交集季八十八日、午前九時二十九分四十五秒。先ほどの位置より少し進んだ場所、最も近い雲取り場の外壁部分。
 緊張の面持ちを保ちつつ、カイトは操縦桿を握り締め、ハルカはナビモニターを凝視する。度合いは幾分少ないも
のの、レナとフォートも同じような状態。操縦席の中は勿論、十分に開けた空間がある筈なのに、ナビルームまでも
が心なしか息苦しい。
 他方、ガルは至って平静。他所から来たクラウダー達の利用する専用宿舎、その部屋内にてラップトップ型のナビ
コンを開いているレドゥアにも、硬くなっている素振りは皆無である。
 ――そして。
 「カウント、……5、4、3、2、1、――『Go』!!」
 レドゥアの宣言に続く、全員の叫びを合図に。三機の飛雲機は一気にスロットルを噴かすと、雲取りを始めにかか
っていった。

 最初に飛び出したのは、シプセルスだった。エンジンの回転数を上げるや、『空を飛ぶ為』に開発された推進機構が
如何なくその力を発揮し、他の二機に先んじてマテリアル群の真っ只中へと突っ込んで行く。
 パリ、パリ、パリン、と言う連続した軽い破砕音は、飛雲機の翼がマテリアルを捉えた証。双方が激突した一瞬の
後、マテリアルは粉々に砕けて結晶からエネルギーの粒子へ姿を変え、そして翼の内へと吸収される。他の飛雲機が
飛んでいる隙間をすり抜けるその姿は、あっという間に小さくなっていった。
 「フォート」
 「ああ、分かってる。……分かってるよ、本気でだね」
 同時に、サルディノも動き出した。扱いやすさとコーナリングを重視させたオレンジ色の複葉機は『飛雲機ひしめ
く雲取り場』においてその真価を発揮する機体である。故に、シプセルスよりもそのコース取りは縦横無尽であり―
―ある程度は基礎の扱いが簡単であるとは言え、その力を引き出す為に必要とされる判断力と瞬発力は、決して他の
飛雲機に引けを取らない。
 「っ!」
 舵を切り、機体の傾きを利用して鋭くコーナリング。飛雲機がマテリアルを取りあぐねている密集地帯をいとも容
易く潜り抜け、そして続けざまにブレーキ旋回。コンマ数秒で激突する、という機体間の隙間にその複葉をねじ込む
や、あたかも空気そのものが流れてゆくかのようにかすめ抜けていく。
 「ふむ――悪くない」
 「こっちでも動きは確認しているわ。……腕を上げているのが嬉しいなら、素直にそう言っても良いのではなくて?」
 「――いや、なに」
 通信機からの声に、苦笑を一つ。そしてガルは、二機とまた別コースに進路を向けるとスロットルを叩き込み、
 「こちらとしても、自負というものがあるからな」
 喜びを滲ませた呟きを漏らし、ウォルバウムに火を入れた。

 何も飛雲機のみに限った話ではないのだが、全てを備えうる万能の力、という存在は、およそ有り得るものではな
い。ある一定の量までならともかく、一点集中の形で力を極めた場合、他の部分のどこかが必ず犠牲となる。スピー
ド専門ならばコーナリング性能をある程度見限らねばならず、またその逆も然り。――その観点から言うなれば、彼
ら三組の飛雲機は、それぞれタイプが異なるものだった。
 飛行性能とスピードが優れるが故、コーナリングや『飛雲機としての性能』に劣るシプセルス。旋回性能と扱いや
すさに長ける一方、速度は他機へ譲らざるを得ないサルディノ。そして、残る一機……ウォルバウムはと言えば。
 「――――っ!?」
 耳朶に届く現況報告が、頭の中で反響を続けていた。まさか、と瞠目し、首を回して周囲を確かめ、――カイトは
初めて、新聞や映画等ではない生で、ウォルバウムの飛行を目の当たりにする。
 速度と旋回性能は、それぞれシプセルスとサルディノの中間……いや、それよりはややシプセルス寄りと言ったと
ころか。
 だが――とにかく、速度が落ちない。スピードの調整、旋回からの立ち上がり、他の飛雲機と翼を擦れあわせるほ
どの接近、それら全ての動作がことごとく、一定以上の速度の基に行われていた。
 シプセルスが仮に同じような軌道を取ろうとすれば、旋回時の速度やタイムはせいぜいその速度の六割か七割が良
い所だろう。例え、外に膨らもうとする機体を必死に抑えつけた所で、である。サルディノとて旋回でぎりぎり同速、
直線勝負になれば離されるだけだ。
 「本当にあれが、扱いにくい機体なのかよ……?」
 ラバルク夫妻の名前が世界に広まっているだけあって、その愛機であるウォルバウムにも熱心なファンや研究家が
付いており、今現在そのスペックまでもが白日の下に晒されていた。
 カイト達も、かつてそんな類の雑誌に目を通した記憶があるが――どこぞの高名な学者先生曰く『大出力エンジン
〈Unf:e―3327〉と長い両単翼の兼ね合いは凄まじい飛行性能を誇っているが、それゆえ一度飛ばすと速度の
上下は著しく、一定以下にまで落としてしまった場合は極めて立て直しが難しい。飛び始めたら常に早く飛ぶ事を強
いられる、さながら空の鮫である』――云々。
 つまり、ガルの操縦方法は、ウォルバウムという暴れ馬の如き機体を制御する、唯一にして最善の形、と言うわけ
なのだが――それを自分の手足の如く、ましてや数時間も行うとは、一体どれだけの身体能力と精神力を備えている
というのか。先日の「化け物」と言うレナの言葉が、唐突にカイトの脳裏をよぎっていた。
 「3から12、4から7へ。カウント5でコース6よ」
 そして。そんな尋常ならざるクラウダーの腕に対して、ナビパートナーはあくまで己がペースを崩さず、むしろハ
ルカやフォートよりもゆっくりとした口調でウォルバウムのコースを定めていた。
 空間を把握する能力は勿論、夫婦として連れ添った年月がそこには活きている。互いの呼吸や思考を相互に理解し、
読み取り、「どのように動けば最適であるか」を必要最小限の言葉で伝え、そして交し合っていく。可能な限り詳細に
コースをナビゲートする、と言う大勢のナビパートナーの立ち位置を、レドゥアは完全に通り越していた。
 「嘘……始めて十分で、ウォルバウムが60stを超えてる!?」
 「呑まれちゃ駄目だ、ハルカ! 俺たちが25でレナ姉達が35、残り五十分で力を尽くすぞ!」
 『st』――マテリアルの採取度数を表す単位は、それぞれの状況と各々が持つ力の差をまざまざと伝えて来てい
る。だがそれでも諦めたくない、離されるままでは終われない……!

 勝負開始より、二十分が経過。数多の飛雲機が駆動音を奏でて喧騒の渦を創り出し、あくまで自分中心の周囲に対
してクラウダー達は神経を張り詰め、それぞれの心を砕いている。この一飛び、一採取に稼ぎがかかっている以上、
呑気に呆けてなどいられないのが常なのだが……そんな彼らでも、今日の雲取り場の雰囲気がいつもと違っている事
には、流石に気付き始めていた。
 「あの飛雲機ども……ひょっとして、競っているのか?」
 「うおっ!? お、おい、今さっき俺の脇をすり抜けて行ったの、あのウォルバウムだったぜ!? 本当にここに来
ていたのか、ガル=ラバルク……!」
 「で、そのエースに挑んでいるのがカイト坊やとレナ――って、またあの二人なの? ほんっと、次から次へと見
てて飽きないねぇ」
 まじまじと観察する者、便乗して勝負に加わろうとする者、冷やかそうとする者、応援しようとする者。それぞれ
思い思いに勝手な事を繰り広げつつ、思考の流れの一部分には「恐らくは、ガルの一人勝ちで終わるだろう」と言う、
確信にも似た共通の予感があった。加えて、声にこそ出さないが、それをここにいる皆が共有しているだろう、とい
う推測も。

 三十分が経過。
 「くっ……Eマテリアルの減りが早い!」
 気流の渦を突っ切って他の雲取り場へ移動しようとするシプセルス、その操縦席。忙しない動きを繰り返すカイト
の瞳に、「Eマテリアル残量」が全体の半分、そして「一〇五st」の文字が映りこむ。普段なら蓄積に後十五分か二
十分程度はかかっている筈の、マテリアル採取保管量である。
 「大分ハイペースで飛ばしているからね……。……カイト、旋回の時、スロットルをもう少し開けるんじゃないか
な? そしたら、5%くらいはEマテリアルを節約できると思う」
 「え、嘘――俺、てっきりあれで一杯にしていると思ったのに」
 「そうみたい……これ、何時もの訓練や飛び方だったら、他の操縦に紛れていて分からなかったと思うよ」
 「…………」
 身体が覚え、思考がそれを良しとした、無意識な力のセーブ。改めて二人の脳裏が『依存』の二文字を明確に浮か
び上がらせる。

 四十分が経過。何時かはやって来るだろうと誰もが心に描いていた状況が、ついに訪れる。シプセルスのコースを、
ウォルバウムが捉え……その先に浮かぶマテリアルを奪い取ろうとしていた。
 「俺達を抑えられるか、レーヴェスの坊主にベルンスト嬢?」
 「……くっ!」
 「カイト、きついかもしれないけれど、コース2―6―1―9を飛んで! ウォルバウムを前に出したら、そのま
ま一気に離されるよ!」
 マテリアルがどの方向に、どれほどの距離で散在しているかを計測して、同時にそれをシプセルスや相方の技量と
照合する。その間に浮かび上がって来る最適コースを伝えるのがナビパートナーの仕事なのだが――ちら、とハルカ
の方を垣間見たフォートは、その外見からだけでも、彼女の緊張と不安をまざまざと感じ取っていた。
 「シプセルスのデータが言ってる、ナビコンの情報が伝えて来てる……『自分達はこれ以上の力が出る』って。カ
イト、そっちでも感じてるよね?」
 「――ああ。俺たちにとって分厚い壁だと思っていた所なのに……その先から、こいつらの声が俺たちを呼んでい
る……!」
 レナ達との訓練で得る事が出来なかった感覚に包まれる中、二人は何時しか確実に『依存』から抜け出た先の景色
を幻視し始めていた。だが、そこには誤魔化しようの無い恐怖も付き纏う。あまりにも唐突に出現した「先に見える」
領域に、果たして自分たちの手が届くのだろうか。もしも、失敗しようものなら――それこそ、二度と辿り着けなく
なっても不思議ではない。
 「――だけど!」
 「ああ! このまま向こう側に行けないままで終わるのは、もっともっと怖い!」
 ハルカの示した旋回コースは、今までのシプセルスで通った経験の無い急角度。だが――データは、可能であると
言っている。
 ――操縦桿を握りなおすと共に、迷いは吹っ切れた。
 「行くぞぉっ!」
 ぐ、と一気にアクセルを吹かす。ブレーキにも足をかけて備え、操縦桿がもぎ取れるくらいに倒し、持ち上げ、そ
してまた倒して、カイトはシプセルスを勢い良く旋回させて行く。
 急激な高度降下と空中を滑るかのような旋回を併せた、あたかもきりもみ墜落のようなターン。シプセルスの速度
が生み出す外向かいの遠心力が、カイトを操縦席から雲取り場の最中へ吹っ飛ばそうとするかの如く、その身を勢い
良く外側へと引っ張っていた。
 「うぐ、ぅ……、……ぁっ!」
 目まぐるしく回転する視界の中にマテリアルの群集体が見えた事で、無意識に力が緩んでしまったか。僅かに外に
膨らんだシプセルスの翼を、コンマ数センチの所で蒼光がすり抜けて――一瞬の後、それらはことごとく、ウォルバ
ウムの翼へと吸い込まれて行った。
 「く――こ、な、くそおぉっ!」
 シプセルスの後方にくっ付き、同じ軌道を通ってきた筈。だのに、さしてそれを苦にすることも無くウォルバウム
は優々とシプセルスの前を飛行し、マテリアルをかっさらい、なおかつその距離を少しずつ離して行く。
 一瞬、本当に僅かの間だったが、行ける手応えが指先に触れた気がした。しかもそれはまだ消えていない――壁を
ぶち破るチャンスは、まだ残っている!
 「もう一度行くぞハルカ、コース頼む! 『ウィング』を使って追いつくんだ、このままじゃどのみち何をしても
勝てっこない!」
 「……、……だね!」
 一瞬迷ったものの、同意の返答を通信機にぶつけるハルカ。それを聞くや、カイトは手元にあるレバーを勢い良く
押し出し、両翼よりさらなる蒼の翼を出現させ、同時に身体を襲うGを堪える為に身体をシートへ突っ張らせた。
 「――ほう。あくまで俺との勝負にこだわってくるか」
 『ウィング』――正式名称、マテリアル瞬時変換システム。保管庫に流れて行く前、翼に一時保管されるシプセル
スのマテリアル機構を利用した、何を置いても『空を飛ぶ事』を優先させた機能。
 正直なところ、マテリアルを採取してその量を競う勝負において、これ以上の無用なオプションは存在しないと言
って良いだろう。翼に一時保管されているマテリアルを直接機外へ噴射すると言う事は、つまる所、得られる速度を
犠牲に集めたマテリアルをわざわざ外へと捨ててしまう事なのだから。
 あれを使って、なおかつマテリアルの量を競えるようになれたとすれば――と、未熟な二人に期待の微笑みを浮か
べるガルだったが、今現在のこの勝負も決して悪くはない。追われる事にはすっかり慣れているが、さて、追いすが
っては来れるか小僧……!
 「ふ――良かろう、来い」
 「次こそは……! 行けぇ、シプセルス――――――っっ!!!」

 そして、……一時間が経過する。煮えあがった皆の気持ちを見越してそれに冷水をぶっかけるが如く、レドゥアが
落ち着いた声で「終了」を共有通信に告げた。
 「え――お……、終わった――のか」
 「うん……そうみたい。お疲れ様……カイト」
 「……終わ、った……。……そうだ、結果は?」
 「えぇ、っと――シプセルス、二三七st。サルディノが、四一二st。ウォルバウムが……八二四st、だって。
その差、およそ三倍以上……」
 「一時間で、ストッカー全体の三割弱、か。本当、エースって言うより、化け物じみているって言うほうがしっく
りくるよな……」
 レナ姉の気持ちが分かった気がする、と呟きながら、シプセルスの駆動系をチェックして異常の有無を確認して行
くカイト。ハルカもそれに並行して、ナビコンからのチェックを行い始めた。
 「勝てなかった、な……くそ、何度も何度も、後少しで……」
 「うん。でも……シプセルス、本当によく応えてくれたと思う」
 気流の流れに逆らう形で幾度か無茶な動きを行ったが為、小さな傷が其処ここに付いてはいるが、通常飛行、いや
雲取りにだって影響は無い。本当のところ、これでEマテリアルの残量が残り僅かになっていなかったら、そして身
体の節々にこびり付く疲労感が無かったら、そのままこの飛行を続けていたに違いない。
 「さて、俺もいささかはしゃぎ過ぎたようだ。もう少しウォルバウムをこの空に慣らしたら、一旦引き揚げること
にしよう。レナ、フォート君、今の両機の飛行データはきちんと取っているな? 後は自分たちで見て考える事だ」
 「――有難う御座いました、師匠」
 カイト達が雲取りに集中していた時間のうちに、サルディノもまたウォルバウムとぶつかり、競い合っていたよう
である。結果のほどは……充実感七割と悔しさ三割をない交ぜにしたレナの口調から、容易に推し量る事が出来た。
 「坊主ども、お前たちもだぞ。俺たちが介入出来るのはここまで、残った課題を克服出来るかは自分ら次第だ」
 「上手く行く事を祈っているわ、頑張ってね」
 ガルとレドゥアの言葉に「はい」と頷く二人。片やあくまで距離を置くかのような冷静な言葉、片や温かな優しさ
を滲ませる言葉だったが、「励まし」と言う根幹の想いはしっかりと相通じていた。
 「……じゃ、私たちも一旦戻ろうか。シプセルスの燃料もそろそろやばいんだろ? デブリーフィングの後で昼に
しよう」
 「了解。じゃあ……有難う御座いました、ガル」
 踵を返すと共に高度を下げ、シプセルスとサルディノは地上への道を辿り始める。二つの影が白い海の中に完全に
埋没するまで、ガルは彼らの姿をじっと見つめ続けていた。





 



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