―Sky Clouder―

―第2話「蒼き闇への挑戦者」(後編:1)―



〈5〉

 ――空で起こった激戦の発端は、数日を遡った所にある。それは、カイトが艦内にて、意識を失ったすぐ後の事――

 ――交集季五十一日、午前十一時二十八分。ルーセス中央空港、一番滑走路付近。
 低く重い唸りを上げ、優雅にすら思える体勢で着地しようとするリンコドン向かって、力の限り走ってゆく三つの影があった。
 「カイトおおぉぉぉ―――――――っっ!!」
 「ルイン……! そうか、来たのはあいつの方か……!」
 「…………」
 影の主は、ハルカ、レナ、そしてフォート。アスファルトの滑走路を全力疾走する事暫し、着陸したリンコドンがその動きを完全に停止させる頃、三人は艦に肉迫可能な距離へと至る。
 艦体の後方下部に設けられた巨大な開閉口が、音を立ててゆっくりと開いてゆき――回り込んで中を見た一同は、そこにあった光景に思わず息を呑んだ。
 「シプセルス……! 何だよあれ、ぼろぼろじゃないか!」
 あらかじめ艦内に納められていた、王国専用の軍用四輪車『ドーンドルフ』に台車牽引されて、傷付いたシプセルスがリンコドンより運び出されて来る。白空の明るさに照らし出されたその機体は、あちこちに汚れと傷を作り、何とも痛々しい様相を呈していた。
 「これは……随分と酷いな。操縦席、両翼、保管庫、他諸々……どこもかしこも、かなりダメージが大きい」
 「シプセルス……、……カイトっ……」
 シプセルスに続き、艦内より出て来たのは、もう一台のドーンドルフ。その車体側面には「負傷者に治癒の加護を与える三天使」のイラストが比較的明るい色で描かれており、病院への搬送車である事が明示されていた。
 車はリンコドンから少し離れると向きを変え、ハルカ達の眼前までやって来るとブレーキ。カイト=レーヴェスさんのご家族の方ですか、と、運転手が彼女らに聞いて来る。
 「え、あ……はい、そうです! あの、カイトはその中に!?」
 「はい、今は麻酔を打っている事もあって、車内寝台で眠っておられます。これから病院へ向かうのですが、皆様も付き添われますか?」
 「いえ、私とフォートは、ここに用がありますので。ハルカ、あんたが一緒にいってあげな。カイトの事、頼むよ」
 「う……うん、分かった」
 頷き、開けられた後部ドアより車に乗り込むハルカ。それを確認すると、アクセルを唸らせてドーンドルフは発進し、空港を後にする。
 無言のままそれを見送る二人。と、その背中に声がかかる。
 「一緒に付いて行かないで、良かったのですか?」
 「弟子の命を救っていただいて感謝の言葉も述べぬままでは、文字通り失礼だと思いまして。うちのカイトを助けていただいて、本当に有難う御座いました」
 声の主――ルインにくるりと向き直って、レナは言葉と共に深くお辞儀。同時にフォートも「有難う御座いました」と頭を下げる。
 「私たちは、最後に助力をしただけ。何より彼が生き延びようとしたからこそ、ハルカちゃんと力を尽くしあったからこそ、ああして地上に戻って来られたのです」
 柔和な表情を保ったまま、王女はそう切り返す。実際、今までの経緯をかいつまんで見るに――リンコドンのレーダーがその範囲ぎりぎりの所でタンストゥールとシプセルスを補足できたのは、カイトとハルカが少しずつでも飛雲機の高度を落とし、雲の中心部から離れようと奮闘していた為だった、との事。
 「そう、ですか……」
 「ええ、間違いは無いでしょう。……ところで」
 言葉を続けながら、ルインはその口をレナの耳に近付けて、
 「ちらりと見えたんだけど、ハルカちゃん、眼が赤かったわよね。レナ=ベルンストとフォート=オーティスの二人が傍に付いていながら、泣かせたの?」
 「……面目ない。お祭りで街に出ていた最中に通信が来て、ダッシュで家に戻ったらルイン達が来た後……ナビコンの上、涙の跡がくっきりだった」
 「え――それじゃまさかあの二人、自力で……!? レナ、貴方、一体どんなスパルタ教育をすれば、タンストゥールから生き延びる新人を育てられるって言うのよ?」
 滑走路周辺にて、荷物の点検やこれからの打ち合わせを行っている兵士たちになるべく聞こえないよう、音量を絞っての会話だった。幾ら古来よりの親友同士とは言え、身分の違う両者がおおっぴらに砕けた口調で話す事は、流石にはばかられる。まあこの辺りが、せめてもの大人の社交辞令というものだ。
 彼女らから少し離れたところでは、フォートとセティルが奇しくも同じような話題を口にしている。と、そんな二人に近付いていく兵士が一人。短い漆黒髪の下にある瞳は、孤高の獣か何かを思わせるくらいに鋭く、同時に刺々しい光を放っていた。
 「こんな所で――軍を抜けて、一体何をしているのかと思えば。本当にあの嬢のナビをやっていたとはな、フォート=オーティス」
 「その口ぶり――君のほうは相も変わらずのようだね、ロバート=ディフック」
 「ロバート、慎め! すまないなフォート、こいつの方は見ての通りだ。お前に代わる人材がそうそういないものだから、隊の中でも色々と難しくやっている」
 「お気になさらず、セティル隊長。……しかし、確かにダメージの酷いシプセルスですが、自分の危惧した最悪の事態と比べれば、その半分にも満たない。内心覚悟していただけに、ほっとしました」
 言いながら、視線をシプセルスに向けるフォート。次いで、黒髪の兵士――ロバートも、セティルも、それに倣う。
 「あんな小僧を乗せて空の王から逃げ切れたとは、余程優秀なエンジニアの逸品と見える。どんな人間が乗っていたのかと垣間見ていたが、何とも強運に恵まれた奴だ」
 「ふぅん、君はカイトをそう見たわけか――一つ聞くけど、それだけでタンストゥールから逃げられると? あの飛雲機、正直に言って僕らの『シーフィアス』よりもじゃじゃ馬な代物なんだがね。昔の僕があれに乗っていたら、まず間違いなく死んでいた」
 「――――」
 反論認めぬ、と言わんばかりの真剣さと強い響きを伴ったフォートの言葉。そして、その様子に息を呑む二人。纏っている空気が他の場所と明らかに違う為だろう、彼らの様子に眼を向けた兵士たちのざわめきがちらほらと聞こえて来る。
 「あれは、ディフックと、セティル殿? 一緒にいるのは……おい、オーティスの奴じゃないのか?」
 「ええぇっ、オーティス隊長!? な、なんでこの街って、こんなにオルザリスの関係者がぞろぞろと見つかるんだ!?」
 「にしても、何なんだあの空気は……師匠と戦友の兄弟弟子が久々に集まった時の雰囲気じゃないよな、絶対……」
 広がり始めた喧騒は、それらを漸く耳に入れたのであろう、セティルの一瞥によって瞬く間に静まっていく。元々が切れ長の瞳である上、そこに湛えられている光が冷たく感じられる事と相まって、その効果はてき面と言うべきものだった。
 「……隊長こそ、昔とお変わりなく」
 「何、王女の護衛を勤めているのだから、寧ろこれくらいが望ましい。皆を明るくする役割は、生憎と私には不適だよ」
 王女の話題を出す時や気心の知れた者と話す時、瞳に宿る冷たさはたちどころに消失する。そういった所まで含めて昔と変わっていない、とフォートは言っているのだが、さて、そこまで彼女に伝わっているかどうか。
 「しかし――あんな奴がこの街の空を飛んでいるとなれば、我々が街で待機している道理は無いでしょう。恐らくその内、上のほうから隊長にも指示が……」
 「ああ。本当はこういう時こそあの方を守りたいと思うが、そうもいかないだろうな。先んじて来ていたコロナトゥスで、近々タンストゥールを討つための作戦が展開されるだろう……早ければ、明日からでも」
 「隊長、ロバート……」
 「軍を抜けた、しかも空晶義眼持ちの奴が心配する事じゃない。軍の威信に賭けて、この白い空に安寧を戻す」
 「まあ、そう言うことだ。余程でない限り、声はかけんよ――なるたけ、彼らと共に街で大人しくしておいてくれ。お前はレナやあの子達を守るんだ、良いな」
 突き放すような無骨さと、仄かに柔らかさを備える暖かさ。対照的ではあるが同じ意図の言葉を残し、セティルとロバートは踵を返す。丁度、レナとの話も終わったらしいルインが二人の元へと駆け寄り、三人は連れ立ってリンコドンへと戻っていった。
 「…………」
 入れ替わるように彼の元へレナがやって来て、先ほどまでルインと話題に挙げていた事を告げる。予想に違わず、その中心は「タンストゥール討伐作戦に際し、セティルを筆答したオルザリス兵が多数参加する事になる」と、これまた両者の間で重複していた。
 「さて、これ以上は働いている皆の邪魔になるね。少し遅れたが、僕達も病院へ向かおう」
 「だね。あ、シプセルスなんだけど、向こうの方で可能な限り修復してくれるんだってさ。カイトも、命に別状はないって聞いているんだけど……」
 言いつつ、二人は病院へと急ぎ始める。その足取りと表情には、隠しきれない焦燥と不安。じわじわと深層より滲み出てくる負の感情を、どうしても抑える事が出来なかった。

 ――翌日。ルインやセティル、ロバートの予想したとおり、和やかなものになる筈だった隣国会議は一気に深刻さの度合いを増す。有益無益を問わぬ様々な意見が飛び交う中、セルナス市長や貴族、官僚らを始めとした出席者達の意見は「なんとかして対策を講じ、タンストゥールをこの街の空から退去させる」事に、満場一致で決定した。
 これがオルザリスだったら討伐で即決一致なんだろうけれど、と胸中で呟くルインだが、しかしそれも、このラティメリスという国家に長らく平穏が保たれているからこその事。ましてやこういう事態に陥った前例の無い国であるし、空の王の対処に慎重策が当てられるのは当然と言えた。
「今更ながら、奴の兆候を見逃したのは我等の失策でした。あの破片の雨が、奴が大量のマテリアルを雲の中より食らい、浮力が失われた事の結果だったとは……」
 「――ルイン王女。リュゼイル王から作戦の承諾を得る事は、果たして可能でありましょうか?」
 「父ならば恐らく二つ返事でしょう、その点に関しては問題ありません。民の平和を想う気持ちは、例え国が違おうと同じです」
 意図せず漏れる安堵の溜め息が、二つ三つと連なって円卓上を流れ行く。
 「戒厳令の発令とタンストゥールが出現した原因の究明、これらを作戦と並行して行っていってください。……しかしこうなると、街の経済は少なからず滞ってしまいますね」
 「いささか心苦しいですが、仕方がありません。それにしても、あのタンストゥール、どうしてわざわざこんな北の方に……」
 呟きながら机上の資料に目を落とした壮年男性は、この街を取り仕切る市長。その髭面に浮かんだ渋い表情の先には、南北に細長く伸びたラティオール大陸を表す地形図が広げられている。
 「あ奴らの生息地は、オルザリスの南端から寒海、そしてアブソルト・サウス北端周辺の筈。ただ一匹だけが、しかも航空管制の網をすり抜けてやって来るなど、一体どうやって対処すべきか……」
 「重ねて言いますが、そちらの方は私達が引き受けます。市長、状況の次第を人々にきちんと行き渡らせ、浸透させる役目の適任者は、貴方をおいて他にいないのですよ」
 「……そう、ですな。何よりも今はまず、他所に被害を広めぬ事が先決。王女、そして皆様方。思わず手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
 響く声は重く、低いが、そこに悲壮さや情けなさは微塵も感じられない。自分が果たすべき責任をしっかと見据えた眼光に、それでこそです、と相槌を打つルイン。
 「一刻も早い事態の早期解決を目指す為、ルーセスの空に安寧を戻す為、同盟国として我らオルザリスは協力を惜しみません。故に各々方もまた、くれぐれも尽力の程を」
 彼女の宣言に続く頷きは、誰もが力強い意思を伴っていた。

 オルザリス王国建造の軍事用護衛S級艦『コロナトゥス』一機、戦闘用小型飛行機『シーフィアス』三十七機。一週間ほど待つ事が出来れば増援の到着を見込めるが、タンストゥールによって海と空の航路が塞がれ、何より雲取り業の大幅な制限を行わざるを得ない以上、それを悠長に待ってなどいられない。会議が終了した直後より慌しい部隊編成と軍備整理が行われ、次の日の夜明けを待たずしてコロナトゥスは空へと昇ってゆく。
 『…………』
 その姿を見送る人々の視線には、ハルカ達のそれも含まれていた。眠り続けるカイトの傍ら、長方形に縁取られた開放的な出窓から、コロナトゥスの黒影を視線で追いかけてゆく彼女ら三人。
 黒を基調としたダークグレーのカラーリングと、無骨かつ頑強なイメージを抱かせる姿は、まさに戦いへと出陣してゆく甲冑兵士そのもの。広大な雲は相変わらず白く輝き、時間と共に艦のシルエットはより一層くっきりと浮かび上がってくる。
 日が出る前に飛び立ち、絶え間なく周囲を探索。そして日が落ちた後、静かに空港へと着陸して翌日の準備を済ませる。反復動作のような日々は、二日目、三日目と過ぎ――そして。
 「! 現れました、奴です! タンストゥール、急速接近!」
 オペレーターの報告が、白化した景色の只中において、開戦の鐘を打ち鳴らす。時に、交集季五十六日、午前十時三分――探索開始より五日目の事だった。

〈6〉

 「――――――――、っっっ!!!」
 「『セラサルム』、用意! 全門開放、障壁展開!」
 「突っ込んでくる……! 衝撃、来ます!」
 周囲の雲海を吹き飛ばす程の高速で、咆哮しつつコロナトゥスに迫り来るタンストゥール。いかなコロナトゥスが大型の戦艦とは言え、その全長が30メートルほどでは、あたかも成魚に襲われる成長途中の幼魚。これに比べれば、先日のシプセルスなど、物珍しい撒き餌みたいなものである。
 いずれにしても、空の王が恐れるものではない。その胴体に牙をかけた瞬間、胴体の半分以上をえぐって捕食は呆気なく成功――する、筈だったが。
 双方が接触する刹那、コロナトゥスの機体表面を走る稲妻の壁。バチィ、という鋭い爆音が雲の中に溶けるや、勢いそのままにばねの如く弾き飛ばされていたのはタンストゥールの方だった。
 「斉射!」
 彫りの見える整った面立ちを軍用帽の下に収め、艦の指揮者は凛と声を張り上げる。それに応えたのは部下達の声ではなく、幾重にも連なった艦砲射撃の爆音と轟音。びりびり、と、間近に起こった衝撃を続けざまに受けて、艦橋が小刻みな揺れを繰り返す。
 「艦長、シーフィアス全機、出撃準備が整っています。発進の許可をお願いします」
 「うむ。タンストゥールの出鼻は挫いたが、決して隙は見せるなよ。出撃後、奴へのかく乱と攻撃にかかれ!」
 命令を受け、蒼銀色の鋼翼を持つ闘鳥――シーフィアスが、艦の後部より次々に空の只中へと排出されて行く。三つのグループに分けられた内の一つに、ロバートの姿を見て取る事が出来た。
 「……映像と実物では、やはり雲泥の差があるものだな。『セラサルム』のシールドが一秒でも遅れていたら、この艦は先の一撃で落ちてしまっている……まさしく、空の王だ」
 「僅かでも油断すれば、戦いの流れはいとも簡単に奴へと流れて行くでしょう。畳み掛けていかなければ勝てない相手です」
 「さりとて、ラティメリスのシーフィアス部隊まで借り受けている以上、決して皆の命を落とさせるわけにはいかない。セティル、『眼』と『耳』を常に研ぎ澄ませておくのだよ」
 「尽力致します、艦長。『救母』アーティス=ジルハートの名は、決して汚させません」
 傍らに控えたセティルの言葉に、信頼の意を乗せて頷く壮年の女性――アーティスの顔には、緩やかに刻まれた皺を見て取る事が出来る。瞳に湛えられた光は揺らぎ無く前方を見つめ、目じりと口元のそれらは彼女の威厳を何ら損なう事が無い。
 「……さて。これで、どれほどの打撃を与えられるか」
 彼女ら二人の瞳に映り込む光景は、前方百メートル程度の距離にて、シーフィアス部隊が波状攻撃を仕掛けている様子。状況のかく乱を主眼とした第一部隊、隙を突いて近接攻撃を狙う第二部隊、追い討ちと他部隊の陣形が整う時間を稼ぐ第三部隊――今のところ、タンストゥールはそれらに良いように翻弄されていた。
 勿論、奴とてただその場に漂っているだけではない。牙を振りかざして群れの中に突っ込み、唾液を撒き散らしてシーフィアスを落とそうと躍起になる。だが、掴みどころのない雲の如く各部隊は編成の形を変え、するすると攻撃の隙間をすり抜けてゆく。
 「―――、―、――っっ!!!」
 シーフィアスの下部に取り付けられた砲身から、ある機体は連続して弾丸を吐き出し、ある機体は細長い蒼光の刃を伸ばして、引っ切り無しに空の王へと叩きつけている。その連射速度や弾丸の大きさ、刃の長さや形は、よくよく見てみれば千差万別。形はある程度似通っていても、厳密に同じものは一つとして存在していない。
 本来、万物に生命力を与えるスカイ・マテリアル。その強い力を応用する事で、対象から生命力を奪い取り、殺傷に至らしめる兵器――『セラサルム』。エネルギー状態のマテリアルを流動体の域にまで硬化させ、指定したプログラム信号を流し込む事で、対象者の意のままに形を変化させる事が可能な武器である。高密度に圧縮されたエネルギーを加工すれば、砲弾にも近接武器にも、そしてコロナトゥスを先ほど守った盾にさえも、転用が可能となる。
 ――そう。まさに今、このような形で。
 「再度、攻撃用意! 『セラサルム・B』、掃射!」
 「『セラサルム・A』、接近! 翼の付け根や腹を狙え、奴の唾液と血液は避けていけよ!」
 第一部隊〈ノルム〉の集中砲撃は、必要以上に耳障りな爆音と立ち上る煙を起こし、タンストゥールを混乱させる。その只中に突っ込む第二部隊〈ティクス〉は、まず鋭利な刃で身体に傷口を作り、続けざまに別機が意図的に歪めた巨刃を閃かせて特攻、相乗的な斬撃を与えていった。
 さらに続く、第三部隊〈フティ〉。ロバートを含めた彼らは、創られたダメージを見定めるやさらなる攻撃を仕掛け、並行してわざと大げさな挙動を取って、あからさまな挑発をかける。痛みと血の昇った思考は、相手の正常な判断力をたちどころに奪い取っており――そして、気をとられた隙に、隊列を整えた第一部隊の攻撃が再びやって来るという繰り返し。隣国同盟の絆を長年に渡って強め、常日頃より合同で軍事演習を行っているからこその、隙を見せない見事な連携攻撃だった。
 「『セラサルム』消費量、全機総量の四〇パーセントに達します。信じられない……リガレクスだったら、ここまでで優に二機は落とせる量なのに……」
 「! 奴が逃げ出します、十時方向!」
 オペレーターの報告に違わず、踵を返して雲の中へ逃げ込もうとするタンストゥール。だが、先ほどまでの攻撃でセラサルムのエネルギーはいまや方々にばら撒かれ、爆発と相まって周囲数百メートルの雲を吹き飛ばしてしまっていた。
 幾らその速度が度を越しているとは言え、少なくないダメージに加えて姿はレーダーにしっかりと補足出来ている。前もって、ある程度分割していた部隊に雲の中から奇襲させれば、続けざまに攻撃網に引っ掛ける事は難しくなかった。
 「タンストゥールを追尾、『ハープーン』の用意を。速度の低下は三割減を念頭に、タイミングを計っておけ」
 アーティスの指令に、了解、とオペレーター達の言葉が唱和した。コロナトゥスはレーダーを頼りに雲の中を忍び足で進み、程無くして、シーフィアス達を振り払おうと躍起なタンストゥールを雲の壁越しに捉える。その後、幾分余裕を取った上で、艦は奴に気付かれない程度の距離にまで接近を試みていた。両者の感覚は直線にして300から400メートル、気付かれている様子は無い。
 「胸びれ、尾ひれ、背びれ、それぞれの局部ダメージを照合、計算。ダメージは規定値に至っていると思われます」
 「うむ。シーフィアス部隊に通達、射線上から離れた後、タンストゥールを指定ポイントに張り付けておくように。カウント9で、ハープーンを発射せよ」
 指示が通るや、艦橋内の緊張が一段階跳ね上がる。その場にいる乗員の誰もが口を真一文字に結び、程なくして、女性オペレーターのカウントダウンが始まる。
 「……カウント7、6、5……」
 命令に従い、シーフィアス部隊三十七機は隊列を変更、各々がタンストゥールの周囲を旋回し始める。それはあたかも敵を閉じ込める空の檻であり、彼らはつかず離れず、ぎりぎり安全圏を確保出来る距離をとって、100メートルもの巨体を一点に縛り付けていた。
 そして、
 「3、2、1……目標ロック、ハープーン発射!」
 叫び声に続く形で、巨砲の爆裂音が艦橋の床を震動させた。
 ――コロナトゥスに設けられた数十門の回転砲台は、その多くが両翼の前後や機体側面の装備であり、基本的にオールレンジ攻撃が可能となっている。そんな中で、機体の真正面に穿たれた大口径の砲口だけは、がっちりとその向きを前方に固定されていた。
 この瞬間、その砲口より一際大きな爆音が轟き、大質量の『セラサルム』が細長いレーザー状となってタンストゥールへと向かう。瞬間的な高速によって大気を震わせ、焼き、双方の間に隔たっていた雲を真円の形に貫いて――それは、
 「――――――――っっっ!!!!」
 途中で真中から四分割され、それぞれ緩やかなカーブを描いて外へ外へと拡散し――ことごとく、シーフィアス群に気をとられていたタンストゥールを射抜いて、直線状にあった尾ひれの付け根に深々と突き刺さる。見ればそれは単なるエネルギーの塊ではなく、強力な回転を施した巨大な銛が『セラサルム』のエネルギーを纏った代物。
 加えて、四本の銛の後方からは鋼鉄のワイヤーが伸び、穿たれた対象とコロナトゥスとを強固に繋ぎ止める。これが外れたりしない限り、ここ数日に渡るかくれんぼも鬼ごっこもおしまいである。
 ここまでは、まさに作戦通り。確かにあのタンストゥールは普通の固体よりも凶暴化しており、唾液や血液が濃硫酸の如く変質しているが、今のところ、誰もがきちんと対応し、臆することなく動いていけている。このまま順調に、距離を詰めて決定打を与える段階までいってくれれば――セティルは鉄面皮越しに、そんな思考を巡らす。
 だが、次の瞬間、
 「――っ!?」
 鈍い轟音に続いた艦橋の揺れ方は、今までに感じた事がないものだった。急激さから察するに、恐らくは何かしらの外的要因なのだろうが……もし奴だとするなら、攻撃の素振りは全く見えなかった。よもや、そんな事すら可能な何かを備えていると言うのか。
 「何だ、何が艦に激突した!?」
 「か、確認します! これは……艦長、モニターを!」
 男性オペレーターのコンソールが叩かれ、真正面の光景を見せていた強化ガラスが暗色化する。乗員達が見ていたモニターが、そこに映し出されているものと同じ情報を映し出し、
 『……!』
 全員が、揃ったように息を呑んでいた。
 「爆裂、それに伴う溶解ダメージ? 一体、何が――」
 「おい、あれはまさか……奴の、皮膚……?」
 ハープーンが打ち込まれる際、その勢いと衝撃、セラサルムのエネルギーによって削り取られたタンストゥールの外皮部分。流血の下から、それはぼろぼろと続けざまに剥がれ落ち、中空を飛んで――幾つかがコロナトゥスへと付着し、
 『わぁっ!』
 『ぐぅっ!』
 爆音と衝撃を伴って弾け飛び、艦の表面を溶かして消滅。先ほどのものと同じ揺れを作り出す要因となる。
 「あんなのまでが武器だと!? くそ、どこまで変異しているんだこいつは!」
 「あの外皮には血液が強く染み込んでいる……そうか、だから天然の硫酸爆弾になっているのか!」
 単体ならそれほどのダメージではない、と、モニターの情報を見て乗員達は思う――のだが。あたかも事態はそれを見透かし、嘲るかのように進行する。
 「が、外皮が血液と共に、次々にはがれて行きます! 急速接近、このままではまともに……!」
 「障壁を展開せよ、防御して収まる機会をうかがうんだ!」
 セラサルムのエネルギーで張られたシールドは、まさに刹那のタイミングで、コロナトゥスに襲い掛かってきた破片群と血液の雨を防ぐ。バシュバシュバシュ、と切れ目のない鋭い破裂音が響き、伴って前方で瞬くフラッシュの洪水。補足している筈のタンストゥールだが、あまりの眩しさで全く姿が見えない状態に陥ってしまう。
 ――「タンストゥールの外皮が、流れ出る濃硫酸の唾液より全身を保護する為に硬化している」という情報は、乗組員全員の知る所であった。だからこそ、ひれの間接部分に重点的にダメージを与え、局部破壊を狙って攻撃を繰り返していたのだが……よもや、それがそのまま武器へと転用するとは――
 『!?』
 ――ビシリ、とワイヤーが張り詰める音、次いで急速に傾いでゆく艦橋。動きから察するに、奴が尾ひれに食い込んだ棘を抜こうと必死に暴れまわっているようだ。
 ガァン、と言う衝撃が艦を叩いたのは、そんな最中。傾いたままで激しい振動にさいなまれる艦橋は、セティルの足をふら付かせ、アーティスをはじめ着席していた者達を椅子へとしたたかに打ち付ける。
 「くぅっ、これは……!?」
 「が、外皮です! 前方のバリアで捉えきれない欠片が、旋回した拍子に側面へ次々、――わあぁっ!」
 オペレーター達の上げる声は、もはや半分以上が絶叫と悲鳴。他の乗員達も、激しい揺れと傾きで散々に内部を振り回され、コロナトゥスの中は騒然となる。
 外部にいるシーフィアス部隊にしても、下手にタンストゥールに攻撃をしかければ、余計に相手を暴れさせて艦のダメージを増やしかねない。ハープーンのワイヤーを切ってしまえば済む事だが、シーフィアスの攻撃で決定打を与えられない以上、結局は危険を覚悟で同じ事を繰り返さざるを得ない。その事を理解しているからこそ、戦いに臨んでいる誰もが口に出すことは無いのである。
 第一、捜索五日目にして漸く掴み取った機会を逃せば、果たして次は何時の事になるか。街の事を考えても、何も出来ぬままに戦いを中断させるなど、出来ようも無い。
 「ダメージ、両側面に集中しています! これでは、三十秒と経たない内に、損傷率が三割を超える計算に……!」
 「――っ……。艦長、このまま耐えているだけでは、機を見つける前に艦が損なわれます。ここは、私を行かせてください」
 「セティル……、――ぐっ!」
 爆裂による絶え間の無い震動は、少しずつ、だが確実に、その度合いを強くして行く。100メートルの巨体が暴れ狂う力は、30メートルの戦艦一隻に何処までも抑えられるものではない。必死に抵抗を続け、セラサルムの全エネルギーを防御に回しているが……果たしてそれも、一体いつまで続くだろうか。
 アーティスの逡巡は、震動や部下の苦闘等にも影響されたか、短いものだった。
 「……出てくれるか、アーティス。では、コードをここに承認する――『三天の加護、汝に有れ』」
 「了解しました。『ヴァルキネア』、特定声紋によるコードを受諾。戦闘シークエンスに移行します」
 彼女の口から特定の言葉が紡がれた瞬間、正立して告げるセティル。その瞳があたかも無機物のように硬質な光を瞬かせるや、銀髪をなびかせた長身が艦橋を駆け、そして矢のように飛び出して行く。
 「!? セティル殿、何処へ!?」
 着任してまだ若い乗員達のざわめきを近くにいる古株らが諌め、そして口々に事の詳細を説明している。そんな様子を席から見ながら、アーティスは半ば無意識に渋面を作っていた。
 決断そのものに迷いは無い。だが彼女が傷付けば、あのお方は間違いなくお悲しみになられる。間接的にとは言え、その引き金に指をかけた身としては、胸の痛みを禁じえない。
 『空晶機人(マテリアヒューム)』、セティル――ここからは、彼女のバックアップが最重要課題となる。少しでも戦闘の負担を軽減させ、戦いを有利に進めて行かなければならないのだ――

 艦橋を飛び出すこと数分。セティルの両足は一切の淀みなく全速力で身体を前に進め、たちどころに目的地へと至らせる。
 「! セティル殿、準備はあとわずかで完了します! しかし、本当にこれを……!?」
 彼女の姿を見て取った整備士の一人が、敬礼の後、隠せぬためらいを露わにして、言葉と共に近付いて来る。勿論、未だ続く激しい揺れのせいで、その足取りはぐらぐらとふらつく形になっているのだが、当のセティルはと言うと、
 「危険は承知だ。これだけの速度を奴が出している以上、艦後部からシーフィアスを出しても追いつけない。ならば――『私を撃つ』しかなかろう?」
 つい先ほど、ハープーンを打ち出した砲塔に視線を向け、さらりととんでもない事を言い放つ。その身体は、両足がまるで床に引っ付いているかのように、微塵も揺れに影響されず直立していた。
 「ここのみならず、艦橋にも通信を送った。艦の動きが先ほどから変化しているのも、それが伝わっている証拠だろう。……急げ、あまり時間は残されていないぞ!」
 「りょ、了解しました!」
 再度の敬礼と共に踵を返す作業員を見送ると、セティルは今現在いる場所――主砲口の管理や整備を行うメンテナンスルームから、通路を伝って砲口そのものへと近付いて行く。
 相も変わらず絶え間の無い揺れと震動、そしてごくたまに鼻を突き刺してくる爆煙の香り。困難な状況の中で、整備士の面々が必死に自分達の成すべき事をこなしている様が見える。彼らは今、艦に搭載されているハープーンの一つに改造を施し、セティルが『乗れる』状態を作ろうとしているのだ。
 勿論、そんな無茶を普通の人間が出来る筈も無い。だが――
 「準備完了です!」
 手袋と軍服の上着を脱ぎつつ、作業員の報告に頷くセティル。露わになった彼女の左腕は、人間の皮膚によって占められる面積が全体の半分だけ。残り半分は……鋭い光を放つ、銀色の機械。それぞれの付着の仕方は、「機械の部分が、皮膚の下に隠れていた」事を如実に物語っている。
 注視してみれば彼女の瞳もまた常人の瞳孔にあらず、代わって精巧なモニターの集積体となっている事が分かる。何より自然の状態で、人間の瞳に空晶の蒼い光は宿ったりしないものだ。
 空晶機人(マテリアヒューム)――人間に機械を埋め込み、マテリアルの力によって双方の力を接続、融合させた存在。五感や四肢の力は、例え屈強な大の男が束になっても、到底かなうものではない。
 「そちらの準備は?」
 虚空に向かって放たれる彼女の言葉は即座に通信音波となって、艦橋オペレーター達の元へと届く。彼らの報告に軽く頷くと、セティルはその場で一気に跳躍し、数度壁を蹴りつけて階段昇りの手間を省略。そのまま、作業員らの前へと降り立つ。
 「カウントは、41+−5だ。皆はここから離れ、持ち場に戻っているように。……無茶をさせた、感謝する」
 「いつもながら、本当に無茶をするのは貴方ですよ。きちんとこっちに戻って来るまで、その感謝は保留にさせておいてくださいや」
 セティルのぎこちない微笑みに返って来たのは、整備士長の苦笑に伴う静かな、だが闊達な口調。そんな気風をしっかり受け継いでいる整備士の面々も、彼女の無事と健闘を願って笑顔を浮かべる。
 「――これより、最終確認を行う。皆、ここから離れてくれ」
 「了解、お気をつけて!」

 ――そして。
 カウントで42が数えられた瞬間、ワイヤーの長さ調節と焼け付く寸前まで稼動させたエンジンが功を奏し、コロナトゥスはタンストゥールの背中を斜め上より見下ろすような形を取る。敵の外皮は未だにぼろぼろとこぼれ落ち続けているが、それでも両者の位置関係次第である程度避けて行く事が出来るのだ。
 アーティスの指令が飛び、発射されるハープーン。先ほどのものとは違い、それは四分割などせず、10メートル近くはある巨大な銛のまま敵に向かって行くタイプ。加えて、
 「――状況、開始!」
 バァン、と中空に響く音を立てて、機械仕掛けの銛が一部その外壁を飛ばす。そこからセティルが姿を現すと同時に、後方のブースターが凄まじい勢いで火を噴いた。
 「…………っ!」
 風と気流の動き、艦の動き、そして空の王の動きを全て計算し、セティルは巨銛の突き刺さる場所を正確に見定めて、可変式ブースターを微調整する。彼女の右腕とハープーンの制御装置は今や強固に接続されて一体化しており、その挙動は意のまま。
 勿論、本来は敵に向かって吹っ飛んで行くものだから、ただでさえ濃縮したブースト燃料など、時間にして微々たるもの。ゆえに、斜め上からハンマーの如く銛を打ち下ろし、尚且つセティルによるコントロールと致命傷を与える追撃が必要、というわけである。
 コロナトゥスとタンストゥールの距離は、現在、350メートル。それを一秒と経たずに駆け抜けて、ハープーンはタンストゥールへと迫る。僅かにだが、付かず離れずのシーフィアス部隊が、彼女の視界の隅をよぎって消えて行った。
 先ほどまでに集中して傷を作られた箇所――尾ひれや両脇の胸びれにこの銛を突き刺せば、致命傷への糸口が生まれる。先んじた四本のワイヤーに連結して引っ張れば、いずれかの羽付きひれは引きちぎれて行くだろう。そうなれば、こいつは満足に飛べなくなる筈――
 「?」
 セティルの空晶モニターがタンストゥールの異常を捉えたのは、まさにそんな瞬間の直前。未だ流れ続ける血液の下より、時折にではあるが、皮膚に何か亀裂のようなものが見え隠れしている。
 あれは、まさか――そんな、だとすれば!
 「く――ぅ、……ああぁぁぁっ!」
 半ば無理やりにブースターの向きを変えて、セティルは落下する砲口を修正する。結果、ハープーンは目星を付けていた胸びれではなく、その横である背びれの近くへと――渾身の勢いと力をもって、深々と突き穿った。
 「――――――――――っっ!!!!」
 大気を割り裂くかのような絶叫の中、セティルはハープーン内に蓄積されていたマテリアルエネルギーにアクセス、体内に流し込む予定だった力を可能な限り広範囲に、外部へと拡散させる。タンストゥールの背より半ば突き出た銛に、細かな裂け目やひびがビシビシと生まれ――壁面の至る所よりエネルギーが噴出、刹那を待たず蒼光の巨壁がそこに表れていた。
 その光景に、彼女の行動に、誰もが疑問を抱き、

 ――口に出す、寸前。
 タンストゥールの背中に張り付いていた外皮が、先ほどまでと比較にならない大質量を持って、一気に爆砕。頭部付近から尾ひれの近くに残っていた、直線距離およそ80メートル、幅10メートル、高さ5メートルもの凄まじい体積分が、剥がれ落ちて空中に散布される。
 しかも、まさにそれは文字通りの「爆砕」。戦いの中か、それよりももっと前からか、外皮と内皮の間に強く濃く染み込んでいた血液が、一気に残り全ての外皮を全方向へと弾き飛ばしたのである。生存本能の果てに導き出した自爆技なのか、それとも連なる状況が偶然生み出してしまった光景なのかは、恐らくは当の空の王にすらも分かっていないであろう。
 セティルは勿論、コロナトゥスも、そしてシーフィアス部隊も、瞬く間に濃硫酸の洪水の中へと飲み込まれて行く。周辺を取り囲んでいた雲は、膨大な量の血液を含む事で、一瞬のうちに赤黒く変色を果たしていった。

 未だに赤い血潮を全身にまとわり付かせながらも、タンストゥールの体色は、黒と白の相反する二色が瑞々しさを新たにしている。そして、尾びれに突き刺さっていたハープーンが、次いでウィンチがぼろぼろと腐食し、巨躯の身を外れて空中へと踊り、その果てに崩れて解け消えてゆく。
 ――かくして。セティルの尽力とシールドによって二重の防御を施していたとは言え、一瞬にして大ダメージを受けたコロナトゥスは、コントロールを失ってルーセスの海へ。他方、タンストゥールは、あたかも先ほどのハープーンを体現するかのような速度で――街の方角へと向かっていった。

 ――雲を抜ける。数度ほど全身のひれを動かすも、完全に力が戻っていないのか、少々身体を浮かせるくらい。繰り返すうちに、二回りほど小さくなった80メートルあまりの肢体は、徐々に街の中心へと近付いて行く。
 地上が、街並みが、秒刻みで迫る。高度が下がり、血しぶきが次々に街へと滴り落ちる。

 交集季五十六日、午前十一時四十五分。コロナトゥス・シーフィアス部隊とタンストゥールとの戦いは、
 『―――――――――――――――――――っっ!!!!』
 数多の人々と、タンストゥールの悶絶が生み出す叫び声をもって、ここに終結。土煙を上げ、広範囲の建物や地面を轟音と共に破壊し、やがて街の中心付近にある建物――ルーセス大使館に真正面より激突するタンストゥール、という、凄絶な状況を作り出すに至ってしまったのである。

〈7〉

 コロナトゥスとタンストゥールとの戦いの最中、ルーセス市街へとそのどちらか、あるいは双方が落下して来る――と言う可能性は、決してゼロで無い以上きちんと検討され、航空管制は必死で眼を光らせていた。コロナトゥスとしても戦闘空域はなるべくルーセスから離す予定を立てていたし、事実、先の戦闘において、その場は市街より離れた沖合だったのである。
 だが、タンストゥールの誇るスピードと、その全身に付着した大量の血液が、レーダーによる補足を妨害。対応は遅れ、気付いた時には既に遅く――
 「――何だよ、これ……」
 「っ、酷い……」
 ――今、こうして。カイトとハルカを含む野次馬達の前方に、無惨にもその結果が曝け出されていた。
 正面からまともに突っ込まれた大使館は、建物は勿論、そこに至るまでの中庭や門、道路までもが全壊に近い状態。館内のどこかで燃料が漏れ出したのか、パチパチと音を立てて黒い煙が立ち昇っている。
 警備兵達が右往左往を繰り返し、何とか事態の沈静化に務めようとしているが、彼らの戸惑いも色濃いらしく、野次馬を抑えているのは僅か数人足らず。もっとも、リガレクスの2倍近くはあるという巨大魚に好きこのんで近付いていこうとする者もいないらしく、10メートル程の距離を保って事態の周囲に半円が形成されている。
 「あいつ、死んでいるのか? まさか、あんなに血まみれの状態で生きているなんて事……」
 「だと思うけどよ……タンストゥールだぞ、空の王なんだぞ?」
 「見るのは初めてだが、なんて馬鹿でかさだ……!」
 ざわめきの主は、老若男女さまざま。その中にまみれる形で、未だ目を離せず状況を注視するカイトら二人は、程無くして――
 「! そんな――おいハルカ、あれって!」
 大使館に激突して動きを止めたタンストゥールは、半ば引っ繰り返る過程で、野次馬の方に背中を向ける形となっている。見たところ、背に突き刺さっている槍が、その回転を遮ったようだが……その根元、地面に付く辺りの部分に、見慣れた人の姿があった。
 「嘘……セティル、さん!?」
 疑問や思考が差し挟まれる前に、足を動かす。傍にいた警備兵らの制止も聞かず、振り切り、全速力で駆け寄って行く。足元にちらばる数多の瓦礫に足を取られ、滝のように流れ落ち続ける鮮血に躊躇いながらも、二人は、血海の下から姿を現したセティルに近付いていた。
 「触っちゃ駄目だハルカ、手が焼ける! セティルさん……目を覚まして下さい、セティルさん!」
 「どうして、こんな事に……!? 眼を開けて、お願い!」
 側に近寄る事が出来るぎりぎりの場所で、二人はセティルに呼びかける。それぞれの距離は1メートルと無いというのに、大量の血液が邪魔をして、頑なにその接触を遮っているのがもどかしい。
 「……ぅ、く……」
 揃って呼びかける事、数度。ぴく、と身じろぎした後、呻き声と共にセティルがゆっくりとその瞳を開く。
 「その、声……レーヴェスに、……ハルカ、か。……私ら、は……こんな所に、まさか、こいつを……」
 「おいこら、お前達戻れ! ここに居ると危険だ、早く――」
 「――待、て!」
 カイトとハルカに近寄って来た警備兵の青年を、鋭い声で制すセティル。それに続く簡単な身分の紹介と、切れ切れの言葉は――この場から10メートル程離れた場所に、瓦礫に埋もれた数人の人間達がいる、というもの。
 「何とか、それくらいは……私の探知機能、で、確認できる。その中に、恐らく……姫様、までもが……」
 「ルイン王女が、ですって!? 馬鹿な、車で避難していた筈――」
 「早くしろ……手遅れになる、その、前にだっ! 頼むのは筋違いだと、分かっているが……レーヴェス、ハルカ……手助け、を!」
 「あ、ああ……けどそれなら、セティルさんだって怪我を!」
 カイトの言葉に違わず、セティルの状態も酷いもの。あちこちの衣服や皮下組織がぼろぼろになっている様が明白であり、強化繊維の服と半分以上が機械の身体だからこそ、辛うじて無事な有様だった。
 「私よりも、姫様、だ。それに、接続装置が故障していて、な……今のところ、それを外せるだけの力が、無い。まだ暫くは、大丈夫だから――早く、頼む……!」
 『…………』
 瞳を見合わせ、暫し逡巡する三人。だが、セティルの瞳に宿った光は、ここに留まる事を許してくれそうに無い。
 彼女に軽く頷きを返して、カイト達は指示された場所へと向かって足を進める。一分と経たない後、彼らの眼前に現れたのは――瓦礫との中に埋もれて半壊した、一目見てその高級さを窺える黒塗りの乗用車だった。
 「これは、避難の際に王女が乗られていた車……まさか、まさかそんな!」
 「ルインがこの中にいる……カイト!」
 「ああ! 瓦礫をどかして、この歪んだドアを開けるんだ!」
 その場所は位置的に、横倒しになったタンストゥールの頭頂から2メートル前後の距離を隔てた所。かなりの近距離で思わず叫び声を上げてしまったが、奴に動きは見られない。これなら多少荒っぽくとも大丈夫だろう、と三人は判断し、協力して作業に取り掛かって行く。
 「これと、これを……どかして、……よし、ドアが見えた!」
 「君は……確か、カイト、だったか。これを二人で一気に引っ張るぞ! せぇ――のぉっ!」
 カイトは兵士と協力し、渾身の力を込めて歪んだドアを車体より引き剥がす。内部を見回したところ、気を失っている運転手が一人と、歪みの酷い後部座席にて、同じく意識の無い――
 「――ルイン! くっ、こんな状態じゃあ、身体を折り曲げて進むしか……」
 「よし、運転手は引き出した! 後は姫様だ、頼むぞお嬢さん!」
 自動車の形は、前方と後方にドアが有る四ドアタイプの乗用車。その前方に有るドアを開けての作業の為、必然的に救出順番は限定される事となる。運転手を引き出した後、カイトよりも多少小柄なハルカが車内へと入り込み、ルインへとゆっくり手を伸ばす。車体にくっ付く形でカイトも待機し、運び役を請け負おうと、

 「――動いてる、逃げろおぉぉ――――――――――――っっ!!!」

 聞き慣れた声――レナのものか、それともフォートだったか。その時は分からなかったし、後から思い返してもはっきりしない――による絶叫、そしてその刹那。
 ぐぁ、と、周囲に立ち込める大気が震えて、――巨大な暗黒が、一同へと迫っていた。
 警備兵の青年は、運転手を運び出した後、少しの距離とはいえ離れて彼の状態を診察し、簡単な手当てを施していた。ゆえに、その事態に反応する事が出来た。運転手を抱え、全速力で離れていける時間があった。
 だが、残った二人は、
 『――!!』
 辛うじて反応は出来た。だが、このままでは逃げられない。思考は同時にそこまで至り、二人の口が相手の名を叫んだのも同時だった。
 が、それに続く行動は異なったもの。カイトはハルカを引っ張り出そうと、ハルカはカイトを突き飛ばそうとして――本当に僅かの差で、彼女が先手。

 半壊した乗用車を、突然動き出したタンストゥールの口が一瞬で覆い尽くし、包み込む。あまりにもあっけなく、丸ごと一飲みに。
 そして。態勢を立て直し、両胸ひれを大きく上下に振って、浮上。原理的に有り得ないその技能は、その身体に膨大な量のマテリアルが蓄積され、浮力を生み出すからこそ可能なもの。周囲に巻き起こる暴風もまた、その作用によって作り出される代物だった。
 ――飛んで行く。ぐんぐんと速度を上げ、物を、人を吹き飛ばし、街から飛び去って行く。雲の中へと、消えて行く。あたかも先ほどまでと同じように、背中に槍を突き刺したまま。セティルをそこにくっつけたまま。未だ乾いていなかった鮮血を、あちらこちらへとばら撒きながら。
 「――あ――」
 待て――待てよおい、待ってくれ。お前はその口の中に、今、何を入れたんだ。何を、何を飲み込んで――行くな、待て、待て、待てって言ってるだろ、聞こえないのかよおい……!
 行くんじゃない、返せ、返せ、その人を、彼女らを、彼女を、

 「――ハルカあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
 返せぇ――――――――――――っっっっっ!!!

 喉を潰すかのようなカイトの声は、虚空へと消えて行く。その瞳には、自分を突き飛ばした彼女と……そしてその一瞬の後、タンストゥールの口の中へと消えて行く自動車の映像が焼き付いていた。
 開かれた瞳とすぼまる瞳孔に、白い空は欠片も映っていなかった。

 ――その後。へたり込んだ身体を、気付けばやって来ていたレナとフォートに持ち上げられ、家路への道を歩いて行くカイト。だが、先ほどの事態を満足に受け止めきれない精神は、脳裏に一切の物事が刻まれる事を拒む。燃料の切れたエンジンの如く、言葉を発したりも考えたりする事無く、ただ、両脇を支える二人に己が身を預けている。
 どのくらい、そんな状態が続いていたか。ふと気が付いてみれば、カイトは自宅のソファに座り込み、何をするでもなくただ俯いていた。窓から差し込んで来る光の色は朱の色を帯び、時刻が既に夕方近くである事を示している。
 心の中に有るのは、幾つもの葛藤。今は何も考えるな、という慰めや、いい加減に現実を見ろ、という叱責、そして……あの手を掴めなかった、助ける事が出来なかった、という自責。それら全てが、明確な色分けのされていないごちゃ混ぜな状態になって、胸の奥でぐるぐると渦巻いている。
 「…………」
 少し顔を上げて、周囲を見回してみる。がらんとした部屋の中には自分以外誰の姿も見えない。一人にしておいた方が良いという、師匠二人の心遣いなのか。
 ――こういう場合って、泣いてしまえば良いのだろうか。泣いて何もかも吐き出してしまえば、大切な人がいなくなってしまった悲しみになって、心を洗ってくれるのだろうか。ハルカ達の祖母さんが死んだ時は、何も考えずに悲しくて泣いた記憶があるのだけれど――今はまだ、心がそこにまで至っていないように感じる。あまりの衝撃から立ち直れず、悲しみを受け止めきれないような感覚が有る。
 この先の事、今このときすらも、どうすれば良いか分からない。ただ、まだうまく泣けないのは確かのようだ。涙が自然にこぼれ落ちるまで、心のままに任せていた方が正解かも――カイトは思考の末、再びゆっくりと頭を垂れて俯く。
 と、
 「意外。泣いているかと思ったよ」
 足音に続く声は、頭上から投げかけられていた。
 「レナ姉……。――分からない、何だか涙が出ない。色々驚きすぎたのかな、まだどこかでぼうっとしてるままなんだ」
 もうちょっとしたら泣くかもしれないし、部屋に行っているよ――そう呟きつつ立ち上がり、歩き出そうとした瞬間。カイトを見つめていたレナの口が、
 「――しみったれた顔を、ハルカ達に見せるつもりかい? 折角助けたところで、そんなんじゃちっともしまらないよ」
 そんな言葉を紡ぎ出し、カイトの精神にさらなる衝撃を与える。縮み上がっていた心臓は、今度は逆に急激な膨張を行って――彼の理性がはっきりと言葉の意味を理解するまでに、たっぷり十秒以上。
 さび付いた機械が動くように、ぎりぎりとカイトは彼女に顔を向ける。見えてはいてもその実何一つ映す事の無かった瞳が、少しずつ、だが確実に、レナの姿を捉え始める。
 「レナ、姉……今の、って……」
 「ようやっと眼に光が戻ったね。フォートが待っているよ、付いて来な」

 家の前で二人を迎えたドーンドルフに乗り込み、揺られる事四十分近く。方々に目立つ倒壊箇所を時には迂回し、時には乗り越えた果て――カイトとレナが降り立った眼前には、ルーセス、いやラティメリスでも一、二を争う古来よりの建造物があった。
 「特別議事堂……? ここって確か、隣国会議をしてた……」
 「今は作戦本部になっているんだよ。さ、こっちへ」
 レナの後を追い、警備も厳かな議事堂の内部へとカイトは入って行く。きらびやかな雰囲気こそ無いものの、重厚な威圧感漂う幾つかの廊下を通り抜けた後、両開きのドアをくぐった先には、
 「やあ、来たね」
 「フォートさん、……!」
 軽く手を上げて二人を迎えるフォートと――その後方、大きく間取られた部屋の中にずらりと並ぶ人々。ざっと見たところ二十人から三十人、一様に厳しい顔を浮かべる彼らは、男女の違いこそあれど、そのだれもが青年から壮年と言ったところ。この事件の関係者なのか、と、漠然とした思いでカイトは各々の顔を見回し――
 「来てくれたか――久しいな、カイト=レーヴェス君。確かベルンスト家での葬儀以来だから……三年ぶりになるか」
 「――! その声、リュゼイル王……様!」
 スピーカーから低く、重く響くその声を、間違えようも無い。オルザリア国第12代国王――リュゼイル=ラーゲスト=オルザリアのものだった。だが、周囲の人垣を見回してもその姿は見えず、「拡声電話器を使っているんだ」と、傍らのレナが教えてくれる。人の出入りや場の状況は、多数いる部下の誰かが教えていたりするのだろう。
 「よもや、王女に一任させておいた会議の件が、こんな展開を迎える事になろうとは……聞く所では、かのハルカ嬢は、セティルの頼みを受け、王女を助けようとして共にさらわれてしまったとか。フォート君やレナ嬢にも、共々重ねてお詫びを申し上げる」
 「いえ、そんな。……さらわれた、って、やっぱり……」
 車の中で、レナがカイトに語った内容。それは『ルインとハルカの二人は、タンストゥールに食われたのではなく、攫われた』という言葉から始まった。
 ――カイトの思考が激しく揺らいでいた為、先ほどまで考えの至らぬ事だったが、タンストゥールという生物はそもそも、マテリアル以外の獲物を丸呑みになどしない。そんな事をするなら物を噛み砕く為の牙など不必要な筈だし、まして今回の一件みたく、自動車などという硬くて質量も有る代物ならば尚更である。胃酸で溶かす前に突起物が内臓器官を突き破る、という可能性があると言うのに、どうしてわざわざ取り除ける筈の危険を冒すというのか。
 加えて、対象物を口の中に含んだ後、奴は即座にその場を去っている。ダメージを受けながらも、自身に蓄えられていたエネルギーを用いてのその場からの逃走――
 「そう、該当ケースは一つ。『唾液を使って作った膜で対象物を包み、その中でゆっくりとマテリアルエネルギーへ融解させる』。……生涯で一度か二度のみ、タンストゥールが子供を設けている時にのみ見せる行動だ」
 「はい――それも聞きました。そして、思い出しました……採取した餌を融解させ、エネルギーそのものに変化させてしまうまで、タンストゥールはひたすら動かず、長い時間をかける。期間にして十日から二十日……それ以前に数日をかけて、対象の精神を破壊、行動不能に追い込む筈です」
 「獲った餌の効率化を図り、子をより健やかに育てる為の知恵、なのだろうな。……だからこそ、まだ機会はある。彼女たち二人を、そして動けなくなっているセティルを、タンストゥールの手より救い出す事が出来る。その為に、君たちの力を貸してもらいたいのだ」
 「――はい!」
 リュゼイルの言葉は、声の響きの柔らかさにも関わらず、その場にいる者たちの胸に染み渡って行く力がある。それを受けて、反射的に拳を強く握り締め、強い頷きをもって返すカイト。
 だが、他の者たちの想いまでが等しく同じ、というわけにはそうそう行かないようである。煮え上がった熱石に冷水をかけるが如く、棘の有る声で彼に言葉が投げかけられたのは、そんな時だった。
 「――俺たちではなく、この新米に任せるとおっしゃるか」
 声の方向へと振り返ったカイトは、瞬間、初めてでは無い感覚に襲われる。これは、確か……そう、リンコドンに助けられ、セティルに肩を借りて通路を歩いて行く時感じた、強い視線――
 「確かに彼は、タンストゥールの牙から一度逃げ延びる事は出来た。だがそれは、ひいき目に見ても偶然の範疇を抜けないでしょう。……フォート、そしてベルンスト嬢。自分や血縁者の命、隊長の命、何より王女の命を、お前達はそんなものに担わせようと言うのか?」
 「貴方は――」
 「オルザリス軍所属兵が一人、ロバート=ディフック。コロナトゥスによる作戦に参加していた者だよ、カイト=レーヴェス。先ほどまでの様子だと、どうも大よその事は聞き及んでいるようだな? ならば、貴様がどれだけの重責を任されているのか、と言う事も……」
 相変わらずの鋭い瞳でカイトに食って掛かるロバート、そんな彼を「待て、ディフック!」と、後方より肩を掴んで抑えようとするアーティス。彼ら二人の身体各所には、先ほどの戦いで負った傷なのだろう、包帯や大きな絆創膏がくっ付いている。彼らの後方、同じように大小様々な傷を身体にこしらえているのは……あの艦から助け出された兵士たちなのか。
 「ロバート、それは僕が先ほど話したと思うんだけど。奴に最接近した後で逃げきれるとしたら、そんな事が出来るのは、今ここにいるカイトとシプセルスだけだ。どれだけシーフィアスを修理したって、彼ら以上に速く飛ぶ事は出来ないよ。第一、僕らの部隊が得意とするかく乱戦法を行うには、数も時間も足りない――」
 「お前の場合『得意としていた』だろうが。……ああ確かに、俺たちのシーフィアスはそのほとんどがやられてしまって、修理する時間が足りない。だが、だからと言って、未だひよっ子のクラウダーに任せる事が本当に得策だと思うのか? それこそ、俺には軽率甚だしい暴挙と思える」
 仮にも電話越しとは言え、自国の君主が耳をそばだてている前であるにも関わらず、遠慮も容赦も無いロバートの糾弾だった。その瞳の奥、宿っている光を真正面に見据えて、カイトは――しかし、怒りとは別種の感情を昂ぶらせる。
 それを敢えて形容するなら、彼という人間の持ち得る『誇り』であり、『プライド』と呼称して然るべきもの。ロバートの備える瞳の光が蔑みや侮りであったなら、間違いなく怒りの一つも湧き起こっていただろうが……強い光の中に見えて来るのは、そんな代物ではない。オルザリス軍兵士である事、シーフィアス乗りである事に強い自負と誇りを持ち、それに基づいて何としても責務を果そうとする、ある種の純粋さを垣間見る事が出来る。先ほどまでの舌鋒鋭い言葉も、そんな感情から生まれた結果だろう。
 ――それが、飛雲機乗りとしての自分が持っている気持ちと、果たして何が違おうか。このロバートという青年は、ある意味で自分の先を、ひたすらに前を向いて走っている人間なのだ――
 「――やります、俺」
 『!?』
 ――だからこそ。そんな人に自分を認めてもらいたい、と思った。軽い気持ちでも口先だけでもなく、自分は貴方みたいな人の後ろを走っている種の人間なんだと、蔑ろにするでなく振り返って見て欲しいと、そんな気持ちがカイトの中に生まれていた。
 真っ直ぐに彼を見据えて、足を踏みしめ、拳を握る。臆する事無く決意を固め、はっきりともう一度声に出す。
 「ハルカ、ルイン王女、セティルさん。皆を助ける為に、俺とシプセルスの全力を出します。絶対にやられたりしない、必ず作戦を成功させてみせます。そして、生きて帰って来ます。必ず」
 「……この場所で、その眼で、その言葉が直に出るのを待っていたよ、カイト。どうだいロバート、これ以上は水掛け論だろう?」
 「…………、……ふん、らしいな。そんな眼をした奴には、これ以上何を言っても無駄のようだ」
 あっさりと引き下がるロバートの口調には、あたかも自分の過去を省みたかのような、複雑な感情の揺らぎが見え隠れしていた。
 その後、場のざわめきが収まった頃を見計らって、リュゼイルの発言により、場の統括権は市長へと移行。彼が司会を行ってゆく事で、作戦の概要が徐々に説明され始める――

 分厚い雲の下、更けゆく夜。天気予報によれば、午後八時以降の天候は雨模様との事。海を渡ってきた低気圧は、明日から暫しの間、ラティメリス北東部一帯に雨を降らせる、との事だった。
 「雲が増えて来るな……。雷雲では無いから飛ぶ事に支障は無いと思うけど、奴の隠れ場所が増えていくのはまずいね」
 「シプセルスの後部座席に乗って、空晶義眼でマテリアルだらけの雲の中を見る……そんなの、下手したら目が潰れてしまうよ。大丈夫なのかよ、フォートさん?」
 「ルイン王女、セティル隊長、そしてハルカ。誰一人欠ける事無く救おうとするんだ、ちょっとくらいは無茶しないとね」
 「しかもこの馬鹿、私に何て言ったと思う?『潰れた義眼は、取り替えてしまえば済む事だ』――だってさ。馴染むまでの期間が大変だって事、忘れたわけじゃないでしょうに」
 カイト、レナ、フォートの三人が今現在話し合っている場所は、議事堂の二階から外部へと突き出たテラス。思い思いの体勢で手すりに肘や腰をかけ、カイトを中心に据える形で話は進む。
 「あの女の人……アーティス艦長、だっけか。この作戦に俺を最も強く推薦した二人の名前、しっかり聞いてきたよ。……レナ姉、フォートさん……」
 「単にあの子のパートナーだから、とか、そんな感情論で推したわけじゃないよ。反対意見も少なくなかったし、最初に案を聞いた時は私だって反対した」
 「100パーセント迷いが無かったか、と聞かれたら、正直嘘になる。けど最終的に、君なら出来ると確信を持てたんだ。君の力なら、皆を助けてあげる事が出来る」
 「…………」
 救出対象の三人に浅からぬ縁が有り、また、クラウダーや一市民としての力も無視出来ない、と言う事で、作戦会議への参加を許可されたレナとフォート。そんな折に、二人の出した意見――初っ端はフォートである――が「シプセルスを駆るカイト=レーヴェスも作戦に参加させ、自分らの命を預けたい」というものだった。
 「俺が……皆の、命を握る……」
 「勿論それはあんた一人じゃないし、私たちだってそれぞれ皆の命を握り合っている。だからこそ、全員が全力をかける必要があるし……遠慮なく、助け合うことが出来るって事さ」
 「それとね――タンストゥール関連のことなんだけど、一つ、ちょっと興味深いデータがあるんだよ。23パーセント、っていう数字に、聞き覚えはないかい?」
 「? えぇ、っと……」
 タンストゥールに関係した数字で、23パーセント。こうやってわざわざ質問を出してくると言う事は、この世界である程度通じる意味の言葉、と言う事で――暫し記憶の棚を検索していたカイトは、やがて、思い当たる一つの事柄へと行き着く事になる。
 「……ここ五十年で、何かの要因によって奴に人間が襲撃された折、そこから生き残る確立……」
 「そう。で、五体満足のまま帰って来た人はその半分、誰かが囮役にならなかった――つまり一人で襲われた場合のそれは、さらに半分。……身体も機体もまだ十分飛べる状態での生還、なんて、両手足の数で足りるかどうかじゃないかな」
 「あのロバートとか言う奴は『偶然』とか『強運』とか纏めていたようだけど、直に私が聞いていたら張り飛ばしていたかもしれないね。それをクラウダーがやってのける事が、一体どれだけ難しいか……」
 「けど、カイト。君は、ハルカと一緒に、それをやり遂げたんだ。決して諦めずに生き延びようとしていた、だからこそ、君は今ここにいる。それは間違いなく、誇っていい」
 「それにさ――あんたの事だ、こうなった事態を、何処かしらで心の負い目にしてしまっている所があるんだろう?」
 レナの指摘はいちいち鋭い。今のうちならば立て続けに起こった出来事が余計な雑念を吹き飛ばしてしまっているが、今日明日と時間が経ち、整理が始まれば果たしてどうなるか。「巨大積乱雲の破壊と、それに伴う生物のリバウンド」が、芋づる式にこれまでの出来事と並列的に絡み合い、自分の心をより一層圧迫していた可能性すらある。ことさら物事を気に病んだりする性質ではないカイトだが、その結果が「ハルカを失ってしまう」事に行き着いていたら、それこそ二度と立ち上がれなくなっていたかもしれない。
 「幸か不幸か、あんたはクラウダーとして、当事者として、ここ一連の事態の移り変わりを近くで見過ぎていたんだね。……でもそれならこの際だ、いっその事、性根をすえてぶつかっていきな」
 「そして、これまでの因縁を断ち切って新しく進み出すんだ。自分の力で、自分の道を、ね」
 「レナ姉……フォートさん……」
 カイトが両脇に顔を向け、それぞれ目を合わせる都度、強く優しい頷きを返すレナとフォート。師匠二人の形には出さぬ、しかし確かな励ましと応援を受け、カイトは脈打つ心臓を服の上から握り締める。
 ――フォートの眼で、雲の中に隠れるマテリアルの巨大質量物……すなわちタンストゥールを、制限時間までに見つけ出す。操縦者はカイト、ナビパートナーはレナ。何度も出来る事ではないし、有限時間から救出の時間を差し引けば、どのみち失敗は許されない。
 「――良いね。皆の力で、絶対に助け出すんだよ。ルイン、セティル、ハルカ……誰にとっても、大事な命を」
 曇天の空を共に見上げ、彼らは誓う。作戦決行日は、さっそく翌日の朝からだった。

 一秒、一分、一時間と時間は確実に経過し、そのうちにぽつぽつと雨が降り始め――やがて、太陽が遥か雲の上へと顔を出し、広域を包む雨雲が徐々に白んでゆく。
 ――今、ここに。交集季五十七日の長い一日が、ゆっくりと幕を開けようとしていた。






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