―Sky Clouder―

―第2話「蒼き闇への挑戦者」(前:2)―



〈3〉

 「――んくっ……、……はぁ〜、美味しい」
 「それはそれは、真に重畳。さてお嬢様、他に何か所望するものは御座いますか?」
 昨日、カイト達と合流した中央公園にて。手頃なベンチに隣り合って座り、フォートとレナは祭りの喧騒から外れたひと時を過ごしていた。
 「ならば、我が忠実なる騎士よ。人がクレープを食べている様子ばかり観察していないで、お前も一緒に相食するが良いぞ――なんてね。つかさぁ、人が食べている姿なんて見て、楽しいもんなの?」
 「人の、と言うか、君のだね。で、楽しい、と言うか、嬉しい。君のそんな笑顔を見るのが、僕は何よりも好きなんだから」
 「はは――良くもまあ、臆面も無くそんな台詞を……」
 やや大げさに呆れてみせるのは、咄嗟に沸き起こって来た恥ずかしさと嬉しさを誤魔化す為。他の男に言われでもしたら、と考えるだけで鳥肌ものなのに、どうして彼の言葉はこうも素直に胸の奥を揺さぶって来るのだろう。少し考えた後、やっぱ惚れた弱みかね、と、レナは苦笑と共に結論付け、手中のクレープにかぶりつく。
 「んぐっ……ん〜、こりゃ良い商売してるねぇ。割と早くに無くなりそうだし、あいつらにも買っていってやるとしますか」
 「だね。……今日は飛んでいるクラウダーの数も少ないと思うけど、何事も無いかな?」
 「昨日の今日だけど、『雲取りに支障無し』ってギルドから通達が来ていたろ? ここの安全管理レベルは決して低くない。無茶に飛ばせたりはしないさ」
 「何かあったら、連絡するようにも言っているしね。……正直な話、あの破片の雨に関しては、あまり楽観視出来ないと思うけど」
 「オルザリスとの隣国会議を控えているし、折角の交集祭を中断させたくない、ってのは分かるけどね……やっぱどうなのかなぁ、あれは流石に」
 言いながら、公園の奥に設けられた草地の広場に視線を向けるレナ。そこには、イベント用に造られた壇上にて声を荒げる中年の男と、それに群がっている、ざわめき絶えない人だかり。距離は割と離れているし、無視を決め込もうと思えばそう難しくない事なのだが……先ほどから延々と男の口から繰り返されている主張は、どうにも心に引っ掛かってしまう。
 聞こえてくる言葉を要約すると、つまり――昨日の破片群は、三年前に空に散ったリガレクスのものに相違ない。これの意味するところはただ一つ、盛大に行われている祭りの雰囲気に導かれて、空に溶け消えた人々が我々の元へと戻ってきてくれたのだ、云々。
 「あのおっさん、どれだけ同じ言葉を繰り返すつもりなんだか。にしても、突然の乱入だってのにあれを止められない連中、少なからず演説に聞き入ってしまっているんだろうね。彼らも、きっと……」
 「事故に関わりのある者達――か」
 その立場は果たして、自分たちと何が違おう。あそこまで出向く気はさらさらないが、ざわつく心を『構うんじゃない』と叱り飛ばす事も出来ず、結果、二人の口は重く閉じる事となる。
 だが、その間は結局、五秒と続かなかった。こういう状況が変化するなら本来は歓迎なのだが、しかし。
 「――通信機か! この音って……!」
 「ECD!? 何だ一体、何があった……!?」
 Emergency Call‐Danger……緊急通信、タイプD。言葉を交わす暇すら惜しい、ただひたすらに助けを求める時の呼び出し音が、彼らの鼓膜を通り抜ける過程で弟子二人の悲鳴にスライドしていた。
 レナが着ている薄手のジャケット、その内ポケットから流れ出した甲高い音は、沈黙を鋭く切り裂き、見えない巨大な手となって二人の背中を勢い良く押す。拍子に、ぐしゃ、と彼女の手の中で、半分ほど残ったクレープが握りつぶされていた。
 「フォートっ!」
 「ああ! 戻ろう、レナ!」
 滅多に無い、ハルカからのECD――過去数度、手違いや悪戯でこれが流れた時は、それはもう厳しい罰と拳骨を落としたものだ。ゆえに、余程の事でなければ流れる筈が無い――に、全速力で家への道を走り出す二人。
 この時、時刻は十時十分。白い雲の中において、戦いは既に始まってしまっている。カイトとハルカの傍らに、今、頼る事の出来る人間は一人としていなかった。

 ――空は恐ろしいところだ、と、姉代わりでもある師匠は自分に告げた。他のクラウダー達以外にも、注意すべきこと、気を配ることは山ほどある、だから空に上がったら絶対に油断するな、と。
 分かっている、その事は十分に理解している……今の今まで、自分はそう思っていた。重々心に刻んできた、つもりだったのだが。
 「う、わ、あ、ぁぁぁっ……!!」
 操縦桿を振り回し、スロットルを渾身の力で叩き込んだ瞬間、翼の傍らを極大の質量が通り過ぎて行く。速度に伴って生まれる衝撃波により、ガタガタと激しい震動に晒される機体。
 一秒、二秒、三秒、四秒――一瞬のうちに流れゆく上下二色の巨躯は、それでも視界を数秒もの間埋め尽くしてしまう。人間が掲げた木の実を真下に落としたとして、その時、木の実の視点から人間を見たら、きっとこんな感じなのかもしれない。
 「く……っ、何で、この図体であれだけ速く!?」
 ぎりぎりの所でタンストゥールの牙を避けたシプセルスは、転換した方向に向かってブーストを吹かし、一気に最大速度を乗せて雲取り場を脱出。蒼い空間から、白い雲の只中へと突っ込む。とにかくこの場を逃げ出さねばならない――それだけを考え、カイトはアクセルを踏み込んでいた。
 「雲を、抜けてしまえば……! あいつは確か、この中でしか俊敏に動けない筈!」
 「――っ、避けてカイト上から来る早く!」
 ハルカの声は、押し殺された叫びと句読点の抜け落ちた報告。平静を失いかけている様が明白だったが、その事を考える前に、
 「な」
 上に向いたカイトの視界が、シプセルス目掛けて落ちて来る、タンストゥールの牙を捉えていた。身体に染み付いた危機回避の習性が、操縦桿をちぎれるくらいに折り曲げて、
 「っ!!」
 寸前の所で牙を回避し、次いで口から撒き散らされる涎をかわす。その並外れた質量と降下時の加速度によって、上下に敷き詰められていた白雲が揺れて乱れ、片端からちぎれて吹き飛ばされていた。勿論、シプセルスも一緒くたに巻き込んで。
 「まずい、バランスが――」
 機体の均衡を取り戻す事に、カイトは意識を取られる。と、その頭上から、今度は大きく左右に揺れる尾ひれが、さながら断頭台の刃のように落ちて来る。その面積だけでもシプセルスを包み込んでしまえる程なのだ、まともに叩き付けられでもしたら、
 「カイトぉっっ!!」
 ぐしゃり、と言う音は――幸いにも、通信機越しに聞こえて来る事はなかった。自らの脳内に湧き上がった想像に勝手にリフレインを続けられ、ハルカは思わず、自分の頭を殴り倒しそうになる。
 「回避! くっ、今度は下にいるのか!?」
 「え、あ……も、モニターでは……せ、旋回! 今度は前方斜め下から急上昇している!」
 「嘘だろ、こんなの反則――わ、あぁぁっ!!」
 ――こいつは、分かっているんだ。斜め見下ろし形の三次元モニターを凝視しながら、ハルカの心に絶望の念が芽吹く。
 自身の巨大さ、それにおいてもなお、他を圧倒する速度。その事によって生み出される気流、かく乱される獲物……全てを、この生物は理解し、把握し、活用している。加えて、乱れる気流を正確に読み、巨躯をそこに乗せて、異常なまでの旋回速度すらも生み出していた。……どうやって、こんな化け物に立ち向かえと言うのか。
 駄目だ、このままでは逃げ切れない。散々追い回された果てに疲労し、いつしか集中力が切れ、……そうなれば、瞬く間に餌食だ。カイトとシプセルスは奴に飲み込まれて、
 「く――ハルカ! 次は、奴はどこから!?」
 ――それを私は、ここで見ているだけなのか? 何も出来ず、ただ終わってしまった後で、自分を嘆いて、悲しんで? パートナーとして、何一つ役に立てないまま、彼を失ってしまって――
 「ハルカっ! おい、気をしっかり!」
 ――嫌だ……嫌だ、嫌だ! そんなの、絶対に嫌だ! 死なせたりしない、絶対に死なせたりなんてしない、そんな事させてたまるか、たまるものか――!
 「ハルカあぁぁ――っ!!」
 耳を突き抜け鼓膜を震わせる、大音量の叫び声。それは絶望と諦めの萌芽を瞬く間に吹き散らし、折れるぎりぎりの崖っぷちで踏み止まっていた彼女の心を、がっしりと立て直す。
 「――――っ!!」
 情けなくも安易に寄りかかろうとしたり、ただ状況に絶望するがゆえの悲鳴などではない。それは、通信機と絆で繋がったパートナーを信じ、鼓舞しようとする、揺ぎ無き強い意志の込められた叫びだった。
 「カイト、カウント4でコースの指示を出すから、準備を! タンストゥール接近、今度は右方より!」
 目を見開いてモニターを凝視する。どんな些細な動きすら見逃すまいと力を込め、理解出来る限りの情報を頭に流し込んで整理、一音一句明朗な声を反射的にマイクへとぶつける。応答するカイトの言葉からは「それで良い」と声ならぬ意思が伝わって来た。
 「っし、了解!」
 カイトもハルカも、互いを信じ、その想いを力にしている。突然降りかかってきた未曾有の苦境に僅かでも光を見い出そうと、不可視の手を取り合い、戦う事を決意している。
 二人の思いは同じ。こんな所で、こんな形で、流されるままにやられてなるものか――絶対に、この最悪な状況を切り抜けるんだ! 何があっても、死ねない、死なせないっ!!
 「コース6―7―1―2―4、次いで『ウィング』を展開後4―2―9! 奴に遮られたら、その都度指示を変更していく!」
 「おう! 絶対に、切り抜けてやる!」
 またもやぎりぎりの所でタンストゥールの牙を回避して、カイトは指示されたコースへシプセルスを飛ばす。それは、奴が旋回するであろうコースを読んだ上で、その内枠を緩やかにカーブすると言うもの。大口を開けてこちらを飲み込もうとする際、奴は一瞬だけ速度を僅かに落とす――その動作を直線上でやってもらう事こそが、大きな狙い目だった。
 一瞬の後、シプセルスの真後ろに広がっていた雲が大きく歪み、波打ち、そして爆発。牙を剥き出し、空の王が迫り来る――
 「カイト、今っ!」
 「!! 『ウィング』、展開っ!」
 手元に設けられた小型レバーを、カイトは叫びと共に一気に押し進める。瞬間、凄まじい速度の上昇によって、彼の身体はシートにべったりと張り付く事になった
 いささか妙な形とは言え、何の力も持たぬ筈の脆弱な小魚。その両翼の端から前触れ無く生えたさらなる翼が、巨躯を備えし空の王にどう見えたか。
 マテリアルと同じ蒼い光を湛えた翼は、後方の気流を凄絶に乱して一つ大きく羽ばたく。同時に、見えない針に巻き上げられるかのごとく、シプセルスはその流線型の機体を、前へ、前へとぐんぐん押し進め始めた。
 「ぐ……うっ、――このまま、指定、コースへ……!」
 ――正式名称『マテリアル瞬時変換システム』。機体内部の保管庫に送り込まれる前のマテリアルをそのまま翼の両端から噴き出して、あらかじめ備え付けられたブースト機能とは別に、機体に凄まじい推進力を与える機能である。
 『マテリアルを採取し、保管し、持ち帰る』事が至上優先の飛雲機にとって、本来ならそれは目的に相反する機能。だが、だからと言ってそれを無理に取り外したりする事は無かった。むしろ、この機能を使った独自の雲取りスタイルを確立してみせる……交集季二十日に経験した巨大雲の一件を経て、カイトとハルカはそう心に決めていた。
 シミュレーションにおいても可能な限り使用する状況を想定し、馴染みやすさを考えて『ウィング』と改めて名づけたりもした。これで、後は実践あるのみ、だったのだが――
 『(この前の件と言い、今の状況と言い……全く、つくづく想定外のところで役に立ってくれる!)』
 二人揃って、歯噛みを交えて胸中で呟く。僅かなりともそこに忸怩たる想いが滲んでしまうのを、どうにも堪える事が出来なかった。
 「――ハルカ、コースを!」
 「速度を保って3―4―6―……、……駄目! カイト、奴が!」
 「なにっ!?」
 後ろを振り向き、愕然とするカイト。シプセルスの飛行速度は今や音速の半分以上を優に超えていると言うのに――タンストゥールは距離を離す事も無く、百メートル弱ほど離れた後方にぴったりとくっ付いていた。いやそれどころか、僅かずつではあるが……一旦は大きく開いた双方の距離が、再び縮まり始めている。確実に追いすがって来ているのだ。
 「振り切れない、ってのかよ……!?」
 「『ウィング』の時間を稼いで、カイト! コース7―2―1を飛行、雲の間にマテリアルの欠片が散らばっている!」
 「分かった! くそ、こうなったら根競べだ!」
 それが明らかに分の悪い賭けである事は、承知の上だった。こちらが少しでもミスを犯せば『ウィング』はたちまちそのストック残量がゼロとなり、形と速度を維持できなくなる。そこから立て直せる可能性は、それこそ限りなく低い。
 対して、相手の方はと言えば――こちらが力尽きるのを、ただ追いかけて待っていれば良い。あれだけの体躯だ、その内に込められたエネルギーなど、一体どれほどの時間をかけたら消耗してくれるものか――
 「……ぐっ!」
 ぶん、と頭を大きく振って、カイトもハルカも、頭にこびり付く妄想を振り払う。不安に囚われるんじゃない、考えるんじゃない。今は生き抜く事だ、そしてそれを決して諦めない事だ。転機を見逃さぬようにするんだ、それが来る事を信じるんだ――
 「次、1―2―9―4! 11―2―3―5!」
 「な、11!? ……って、そうか!」
 指示されたコースを飛行、翼にマテリアルをぶつけて瞬間的エネルギーを補給するシプセルス。その間にあっても、僅かでも引き剥がす努力を惜しまない。可能な限り機体を旋回させ、雲の壁やその隙間へと身を隠す。
 だがそれでもなお、タンストゥールは距離を縮め――瞬間、カイトはためらい無く『ウィング』をカット、同時にブレーキペダルを叩きつけるように踏む。そこからさらに操縦桿を操って、タンストゥールの背中の上へ。結果、シプセルスは、空の王に前方の風景を明け渡す形となった。
 幾ら旋回能力が並外れているとは言え、流石に限度と言うものはある。恐らく数秒もあれば、その速度を以ってこちらを追いかけてくるだろうが……今は、それで充分。奴が通り過ぎた空間の真下に見えている、造られかけの雲取り場を通り抜けて、一気にマテリアルを大量補充。即、『ウィング』を再発動させる――
 「カイト――」
 「――大丈夫。信じろ、やってやるさ」
 繰り返されるあまりにも急激な速度変化に、全身が刺すような痛みを以って抗議の悲鳴を上げていた。恐らく彼女も危惧はしていたろうし、こちらの我慢だって見透かしているだろう。それでも、敢えて――貴方なら出来ると、信じてくれたからこそのナビゲート。
 ――ならば、応える。可能か否かじゃない、必ず応えてみせる!
 「っ!」
 奥歯を噛み締め直して、カイトは一気に下降。空間の内において勢いを殺さぬ範囲で二度三度と旋回、シプセルスの翼をマテリアル群に次々と叩きつけていく。
 と、
 「来た、――正面!」
 通信からの叫びが終わるや、その言葉に違わず、飛雲機の真正面で雲の壁が爆裂四散する。まがまがしさを露わにして、ぎらつく鋭い牙と、その奥でぽっかりと開けられた口が、凶悪な欲望の下で対象者へと向けられる――
 「――『ウィング』、展開っ!」
 だがそれは、カイトにとって――言葉にこそ出さなかったが、ハルカにとっても――考慮していた可能性の一つ。咄嗟に操縦桿を切り、同時にレバーを押し出して、彼は再び自機に蒼光の翼を纏わせた。
 スクール時代の訓練でとうに慣れていたはずの、胃の中のモノがせり上がって来る嫌な感覚。疲弊し、体力を消耗した身体に鞭打った影響か、それが激烈な勢いでカイトを襲う。
 「ぐぷ、ぅ……っ!」
 喉を絞り、歯を食いしばる。必死で堪えながら操縦桿を握り締めて機体を垂直にまで傾け、向きを修正しつつ旋回。相手の懐から腹下へと潜り込み、そのまま通り抜ける。その予定だったし、そうなる筈だった。
 だが刹那、ほんの僅かに手元が狂ってしまう。シプセルスは正直に、そして無常にも、操縦桿のブレに反応して――
 「――――――――――――――っっっ!!!」
 肉と皮を裂く刹那の斬音、同時に空気さえも引き裂こうかという絶叫。それは、カイトでもハルカでもなく、タンストゥールが放ったものだった。
 「!? カイト、何があったの!? モニターじゃ何も……!」
 「ウ、『ウィング』が奴の腹を……、――な、う、うわあぁっ!!」
 「カ……!」
 カイトの叫びは、その途中でいきなりの激しい雑音によって遮られ、そして聞こえなくなる。衝撃のあまり精神の糸がほつれかけ、今にも暗闇に落ちようとしている視界の中、ハルカは、三次元モニターに最悪の情報が映るのを予期して――
 「――え――」
 ――全く別の情報が、其処には明示されていた。シプセルスの反応と、もう一つ――モニターの隅にて、小さく「Message」と点滅するランプが。

 「……イト! カイト、カイト、返事してカイト!」
 「う、ぐ……」
 風音とノイズの間を縫って、聞き知った声が聞こえてくる。分厚い膜がかかったような視界は、その端に、バサバサと絶え間なくたなびく飛行服の様子を捉えていた。
 ……飛んでいる。自分は、まだ……こうして、落ちないでいる。
 「あ、痛ぅ……っ!」
 徐々に戻って来た感覚が、激しい全身の痛みを訴えていた。これは――そうだ、ついさっき。タンストゥールに『ウィング』が接触して、それから確か――
 「カイト、カイト、聞こえる!? ねえ、カイトっ!」
 「……あ……ああ、……何とか、な」
 言葉を紡ぐ度に、記憶と意識の鮮度が回復して行く。
 手元が狂い、コースがずれたあの瞬間。マテリアルの翼がタンストゥールの腹部を、その中心付近から尾ひれの近くまで、鋭利な刃となって切り裂いていった。で、拍子に機体バランスが崩れて安全装置が作動、『ウィング』が消失。速度が落ち、瞬間的に操縦を受け付けなくなったシプセルスは、同じく速度を落とした空の王に向かって行く形となり、そして勢い良く噴き出した鮮血の真下へ。
 瞬間、まるで高濃度の硫酸を被ったかのごとく、キャノピーが一気に溶けて行ったのだ。叫ぶと同時に無理やり操縦桿を切ったが、そこに丁度、悶え苦しみ、暴れ回る巨体の端が――
 「ぶつかって、弾き飛ばされた、のか……。だけど……はは、まだ俺、飛べてる……空の上に、いる……」
 「うん……うんっ! ……ねえ、カイト。シプセルス、まだ動かせるかな?」
 必死で平静を装ってはいるが、彼女の声は既に、半分ほど涙声になってしまっている。敢えて気付かぬ振りをしたまま、カイトは機体の状況を出来る範囲でチェックして行った。
 「どうやら、保管庫の辺りから奴にぶつかったみたいだな……とりあえず今まで集めたマテリアルは、ストッカーに空いた穴から抜けて残量ゼロ。キャノピーも吹っ飛んでしまったし、あちこちダメージもあるし、Eマテリアルも……くそ、残り後ちょっとだ。こんなの、無茶どころか、俺が吹っ飛ばない程度の遅さでしか飛べない……」
 「――カイト、奴が下の方からまたやって来てる。今からカウント6で、可能な限り上昇して」
 「え――上昇、だって――?」
 「うん、艦砲射撃が来るんだ。奴はまだ気付いてないみたい――話は後で、今は集中お願いカイト! カウント、3、2――」
 射撃、と言う余りにもこの場にそぐわぬ単語に、カイトは戸惑いを隠せない。が、今のハルカの言葉には、これまでと打って変わった、確信に基づく強さが滲み出ている。
 「り、了解だ。カウント、1……上昇っ!」
 操縦桿を引き上げて、機首を急角度で上へと向ける。ぐんぐんと高度を上げゆく機体の直下、これで何度目になろうかと言う、雲海の爆発が起きる。怒りに吼えるタンストゥールの身体が、凄まじい勢いでそこから出現し、

 ――連なる爆音、空気を響かせる震動、次々と立ち上る炎と煙。それらの全てが一瞬にして、鮮血で赤く染まったタンストゥールの腹部で起きていた。
 「――――――――っっっ…………!!!!」
 悲鳴と言っても何ら差し支え無い、びりびりと空間を揺さぶる咆哮。裸の操縦席上でまともにそれを受けるカイトには、脳の芯まで掻き乱されるような衝撃が伝わってくる。
 だが――それでも、王の巨体が墜ちていく事は無かった。鮮血を周囲にばら撒きながらきびすを返し、雲の壁を盛大に突き破って、タンストゥールは白い闇の中へと消えていったのである。
 「…………」
 一秒が経ち、二秒が経ち、――気配の残り香すらも薄まっていく。早鐘のように忙しなく鼓動する心臓、すっかり本来のペースを乱した呼吸音、風を受けてばさばさと波打つ飛行服、シプセルスの駆動音――今まで聞こえて来なかった諸々の音がやけに大きく膨れ上がって、カイトの鼓膜の中に吸い込まれる。
 と、
 「――すか? こちらの声が聞こえていますか、カイト=レーヴェス君?」
 外部へ向けられた開放通信が、自分の名前を呼んでいる。それに気づいた瞬間、ようやく呆けていた意識と思考のリンクが復旧した。
 「聞こえていたら、これから出す指示に従って、飛雲機を移動させて下さい。至急、そちらを艦内に収容します」
 艦内だって? それにこの声……何だか、聞き覚えがあるのだが。あの強力な砲撃と言い、一体誰が自分を助けてくれたのと言うだろうか……?
 「……あ……!」
 カイトの疑問が氷解するまでに、大して時間はかからなかった。
 今現在、彼がシプセルスを飛行させている場所は、未完成状態の雲取り場。面積はそれほど大きいものでなく、雲の壁はふわふわと不安定に揺らぎ、少ないマテリアルの蒼光を乱反射している。そんな場の下から、一つの大きな影が浮かび上がり、色の濃さを段々と増してゆき――やがて、姿を露にした。
 そのフォルムは、タンストゥールに似通っていた。細長く、丸みを帯びた全長約50メートルの機体は、光沢のある淡い緑色。ボディ両脇から伸びた特大口径の艦主砲は、複雑さと豪華さを兼ね備えた紋様と半ば一体化しており、その外観の調和を乱すことが無いよう配慮されれている。――そもそも、デザインからしてあの巨魚をモチーフとしているのだから、そっくりなのは当然なのだが。
 「はは、は……全く、珍しいものを良く見るな、今日は……」
 力も気もすっかり抜けた笑顔を浮かべて、カイトは外部通信の指示通り、機体を操作し始めた。収容場所は、昔の講義の折に聞かされたお陰でしっかりと頭に入っている。子供の頃にねだって見学ツアーにまで連れて行ってもらったくらいだ、間違える筈もない。
 ――オルザリス王国、王位継承者専用特S級艦『リンコドン』。それに乗っている者、尚且つ自分の名前を知っている者と言えば……思い浮かぶ人間は、数えるほどしかいない。
 「今から収容口を開きます。そこにシプセルスを」
 指示に従い、音を立てて開かれて行く艦の機体収容口に、シプセルスをゆっくりと滑り込ませて行く。身体をなぶり続けていた風が消失し、代わって、防音壁越しに聞こえる微かなエンジン音と鋼特有のツンとした匂いが、カイトの五感を刺激した。
 「……ふ、ぅ――……っ」
 シプセルスが着艦し、後方の収容口が閉じた事を確認すると、長く、ゆっくり、深呼吸を一つ。きちんと手足が動く事を確認した上で、そろそろと操縦席を離れ――ドスン、と音を立てて落下。その場に盛大な尻餅を付いていた。
 「! つっ、てぇ〜……」
 「カ、カイト君! 大丈夫!?」
 先ほどまで自分を誘導していた声が弾け、壁に響いて大きく反響した。節々の痛みを堪えつつ振り向いてみると、そこには手袋を纏うしなやかな五指がこちらに差し出されている。
 「――立てるか、レーヴェス? 掴まれ」
 「あ、は、はい……痛、ってて」
 手を握り返し、半身を引っ張り上げてもらいながら、ようやっと立ち上がるカイト。
 「……えと、助けて頂いて本当にありがとう御座いました、ルイン王女」
 「無事で何よりです、カイト。命の危機に晒されている者を救えぬ王族が、一体どこの世界にいましょう。セティル、貴方の事です、既に解析は済ませたのでしょう? 容態は?」
 「数多の擦過傷に打撲傷、軽度から中度の炎症も身体の端々に負っています。しかし、命に別状は有りません」
 カイトやハルカの故郷でもある、ラティメリスに隣接した大陸南部の大国――オルザリス。その国の第12代王女である、ルイン=アルバ=オルザリア。そして、彼女の従卒にして護衛兵を務める、カイトに肩を貸した長身の女性――セティル=ヴァルキネア。十数人の兵士を引き連れた二人の姿が、そこにあった。
 柔らかな光をたたえる丸い瞳と、硬質な強い輝きを放つ切れ長の瞳。ストレートに伸びたライトブラウンの長髪と、うなじのところで切り揃えられた光沢のある銀髪。ルインとセティル、彼女たち二人を見て感じる第一印象は「正反対の存在」という意見が大勢を占めるだろう。
 両者が身に纏っている落ち着いた色のスーツは、確か、諸国間外交の意思を示すものである。
 「医療スタッフは待機していますね? 空いている部屋に彼を運び込んだら、至急、詳細な検査と治療を。リンコドンはこのままルーセスに向かいます、病院と彼の家へ連絡をしておいて下さい。念のために注意しておきますが、彼の家主はレナ=ベルンストです、間違いの無いように」
 てきぱきとした言葉で、ルインは傍らに控える兵士達に指示を与えて行く。先ほどからカイトを凝視していたり、戸惑いを隠せずにいるのは、恐らく新米や新配属の兵たちなのだろう。
 「何故、ルイン王女は、あの少年の名や家を知っておられるのだ? 家主の事までも、どうして……」
 「そうか、お前は知らなかったか。彼は――カイト=レーヴェスは、ベルンストの家と繋がりが深いんだよ。その縁で、王女とも既知の間柄なのだ。勿論、セティル殿ともな」
 「な――あんな、小僧が……!?」
 ――悪かったなぁ、小僧で。セティルに肩を借りて艦内を進みながら、兵士らの呟きに胸中で毒づくカイト。と――その途中、こちらに視線を向けて来る兵士たちの中から、殊更に強い視線を感じ取る。
 「――?」
 これは……敵意、では無い。だが確かに、じっとこちらを見据えている。きょろきょろと周囲を見回しても、他の視線に紛れ込んでいてその主を見分ける事は出来ない……一体、誰が――
 「どうかしたのか?」
 「い、いえ――何でも無いです、……ぐぅっ……」
 ――それにしても。先ほどの尻餅から、何だかずっと身体が鈍い痛みを訴え始めているのだが、どうしてなんだろう。まさかとは思うが、打ち所でも悪かったのだろうか?
 「――おい、レーヴェス――?」
 ――ひょっとして。安心したせいで、気が、緩んだのだろうか。と言うか、……もう俺、助かったんだ、よな。……なら今、少しだけ、身体の力を抜いてしまっても、罰は――
 「――――っ!」
 『――――!? ――――!!』
 ――誰かの、声、が――耳、に――

 カイトの正確な記憶は、その時点で一旦、完全に途切れる。
 後々、霞のかかった映像と音声が数パターンほど――こちらを見下ろして必死に涙をこらえているハルカ、ルイン達と何やら話しているレナ達、痛々しい傷をあちこちに作ったシプセルス――そんな代物が夢の中で何度も何度も繰り返し再生され、彼の脳裏に刻み込まれていた。
 結果的にそれらは、疲弊しきった彼の精神を支える柱となる。ある時は成す術もなく墜落してゆき、ある時はタンストゥールの牙に捉えられ、ある時は一飲みにされて胃袋にすっぽりと吸い込まれる……といった諸々の悪夢にうなされ続けていたのだが、前述の映像や音声が、そこから受けるダメージを適度に緩和してくれて――

 「――――……」
 まぶたをゆっくり開いてみると、蛍光灯に眩く照らされた白塗りの天井。胸から腹部にかけては柔らかな毛布の感触があり、自分が仰向けになって眠っていた事を教えてくれる。どうやら服も寝巻きのようだ。
 首を捻ってみると、
 「……あ」
 椅子に座り、毛布に両肘と顔をくっ付けて、ハルカが静かな寝息を立てていた。その背後には、天井から吊られたレールカーテンで敷居がされており――それもまた、清潔感漂う薄いグリーン。
 「ここ、って……」
 くるくると、先程よりもやや忙しなく首を回し、出来る限りの範囲で――一応、ハルカを起こしたりしないように――情報を収集して行くカイト。結果、把握できた状況は、以下の通り。
 ――ここは、ルーセス街の中心部付近に建造されている、中央病院。そして、枕もとの時計とカレンダーを確認する限り、現在日時は『交集季五十四日、午後七時三十五分』。つまり、あれから優に三日半、眠り続けていた計算になる。
 「……う、ん……」
 もぞ、と身じろぎした拍子に、先ほどまで隠れていた顔を露わにするハルカ。――濃い隈が、目の縁に出来ていた。
 「…………」
 ――御免。そして、有難う。
 謝罪と感謝の眼差しを湛えて、カイトは彼女に視線を向け――起きるまでこのまま待っていよう、と、心情を固める意味を込めた深呼吸を行うのだった――

〈4〉

 「――戒厳令!?」
 「ああ。空だけじゃなく、海にもね」
 カイトが病院にて眼を覚ました、翌々日の朝である。無事に退院を果たし、家へと戻って来た彼が新聞に目を通していた所、一面を大々的に飾っていたのが「戒厳令」の三文字だった。
 「あんな化け物がうろつく空は勿論、落下して来た時に用心するって形で、海域の半分ほどが出入り禁止。何しろ前例がないからね、慎重を期しているのさ」
 「落下、って……?」
 カイトの質問に返って来たのは、言葉ではなく、視線で新聞を指し示すレナの仕草。どうやら「新聞の続きを読め」という事らしい。
 簡単にリビングを見回したところ、彼女のみならずハルカもフォートも、揃って張り詰めた表情を浮かべている。それらに促されるようにして、敷き詰められた文字を少しずつ辿って行くと――
 「――これ、って――」
 ……クラウダー達を襲い、あまつさえ喰らおうとする、ルーセス空域に突如出現した〈空の王〉タンストゥールの狂化変異体。これに対して、ラティメリス共和国軍とオルザリス王国軍の合同撃退作戦がここ数日に渡って行われており、その為にルーセス空域全般と海域のおよそ半分に戒厳令が敷かれた、との事。
 周知の如く、ラティメリスとオルザリスではその軍事力に大幅な差がある。ゆえに、リンコドン護衛の為に先んじて到着していた軍事用護衛S級艦『コロナトゥス』が全体の指揮を執る運びとなった。搭載される小型戦闘機『シーフィアス』にラティメリス側は人員と機体を提供、市民とクラウダーの安全の為、任務遂行に力を尽くす予定である――
 「つまり『注意はしたのだから、落っことした魚の下にいて潰されても責任は取れないぞ』って事だね。ま、余程の馬鹿か酔狂でない限り、頼まれても行ったりしないだろうけど」
 「相手は『空の王』、しかも、どこをどう通ってこっちにやって来たのか、独自の変態を行った果てに獰猛さと凶暴さを兼ね備えている。……全く、隊長も難儀な役を仰せつかったものだよ」
 「え――って事はまさか、セティルさん、『コロナトゥス』に?」
 「ああ。戦闘のサポートと緊急メンテナンス要員として、乗艦しているんだそうだ」
 王女の寂しそうな顔が目に浮かぶよ――と、フォートは微苦笑を漏らす。いつもならば柔和一辺倒で通っているその表情と声には、微かではあるが、抑えきれない不安と危惧が滲み出ていた。カイトと言う前例がここに居る事も、それに拍車をかけているのだろう。
 「…………」
 ――王族とも繋がりを持つオルザリスの豪族、ベルンスト家の娘姉妹。その姉の婚約者である彼は、過去にセティルの部下だった筈だ。ここにいる三人と王女、そして彼女の護衛者との縁は、色々と絡み合った浅からぬものがある。
 自分は――と言えば、……まあ、既知の間柄だし普通に名前で呼び合うしで、全く無関係というわけでも無いのだが。だが――きっと、そんなのを誰も良しとはしないだろうが――同じ立場で感情を共有する事は、正直、難しい話だ。
 「…………」
 沈黙の中、空気は流れる事を止めてその場に溜まり、そして淀み始める。何だか湿っぽくなっちゃったね――とは、隣に座っているハルカの囁きだが、彼女もそれを助長する一因が自分にある事は、何となく気付いている様子。声のトーンは明るいが、力が無い。
 そんなリビングの様子をぐるりと見渡して、暫しの間思案にふけった後、カイトは――
 「……ん、よい……しょっ、とぉ!」
 家の中を歩き回り、次々に窓という窓を開けていく。そして全て開け終わるや、ばあん、と音を立てて、玄関口のドアを大きくを開け放っていた。
 「っ、カイト……!?」
 「あんた、何やってんだい? あちこち開けて、一体……」
 「空気の入れ替え。ついでに、ちょっと外を回って気分を変えて来るよ。俺、ここ閉めていかないからさ」
 同じ立場にいないし感情も無理に共有できない、それは仕方ない。なら、違う立場にいる自分に何が出来るか――手を取り合い、一緒に沈めないのなら、いささか無理やりにでも引っ張りあげるまでではないか。
 「今日はどうせ、誰も飛べないんだろ? だったら、家の中で沈んでいるなんて勿体無いって」
 『…………』
 目を丸くする一同の顔が妙に可笑しく感じられる。昔、失敗が重なって意気消沈した時の自分をこうして慰め、励ましてくれた事、ひょっとして忘れてしまっているのだろうか?
 「じゃ、ちょっと出かけてくるよ!」
 叫びと共に、開け放ったドアから外へと飛び出して行くカイト。その視線は後ろを振り返る事無く、眩い白雲とそれを受ける町並みにのみ、真っ直ぐ向けられていた。

 「――っ、ははははっ! やあ、中々やるな、カイト!」
 「漁師連中は、どいつもこいつも無駄に頑丈って言うか、タフだものねー。あの戒厳令を喰らって怒り心頭の様子を見ていると、逆に下手な励ましの方がやばかったりするよ」
 毒づく少女の言葉とは裏腹に、その響きと顔は朗らか。仲間の事をあくまで信じている様が、容易に見て取れる。
 「って言っても、前にやってもらった事を皆にやり返した、ってだけなんだけど。しかし、今日は二人も海に出てなかったのか」
 「ああ、まともに漁場が戒厳令の直下だった。こうなったら、さっさと規制が解かれることを祈るだけだな」
 「だね。考えてみたら、こうやって漁師とクラウダーが同じ店で顔を付き合わせているってのも、あんまし……ねえ?」
 二人の――シオとセーメの言葉は、至極もっともだと思う。現在ルーセスの街の経済を支えている「漁業」と「雲取り業」を担う者達が、同じ日の正午近くに同じ飲食店の外食用テーブルに座る等、普通に考えて有り得ない事だ。
 勿論の事、偶然の出会いだった。硬貨一枚で質量共にきちんとした食事にあり付け、尚且つ近場にあると言うこのレストラン――「ヤタシ・キノマ」にカイトが入ろうとした所、入り口カウンターで彼らと鉢合わせしたのである。その話を聞くに、二人もまた港の空気を避けたいが為、適当な近場で食べて街をぶらつく予定だった、との事。
 「雲取り区画と港って、ちょこちょこ隔たってはいるけど、改めて考えると割合距離が近いんだよな。おまけに店そのものはと言えば、安い上に味も良い……こりゃあ、良く仲間の話に出る筈だ」
 「そういや、今頃どこを放浪してるのかなぁ、ここの先代店主。あたし達、料理のコツを教えてもらって以来、ろくに見かけてすらいないんだよね……はあ、礼の一つくらい言わせろ、サトミの姉御ぉー」
 オーバーな動作で明朗快活さを振りまくセーメ、それを冷静に、且つやんわりと諌めるシオ。そして、そんな二人と話の輪を作るカイト。共通の話題こそ少ないものの、互いの境遇に関する興味も手伝うなど、それぞれの昼食料理を囲んで、基本的に話は弾む。
 と、
 「カイト! 探したよ、どこに行っちゃったのかと……ってあれ、シオ君にセーメちゃんまで?」
 息を乱して皆の元へと走り寄って来たのは、ハルカだった。これまでのいきさつを簡単に説明した後、カイトは彼女に、自宅の様子を尋ねてみる。
 「うん――カイトの言葉、しっかり伝わってたよ。私と一緒に、姉さんも義兄さんも家を出た。二人揃って、今は別の場所でご飯を食べてると思う」
 勿論、窓もドアも閉めた上でね、と、言葉に笑顔を伴うハルカ。どうやら、空気と胸中の浄化がある程度功を奏したようである。
 「と、いう訳で……こんな時間だし、私もここで一緒に食べさせてもらうね。何か注文してくるから、椅子よろしく」
 ――そして数分後。話の輪にハルカも加わって、彼ら四人は円形のテーブルに等間隔で椅子を収め、各々の昼食をつつき合う状態となっていた。
 そんな中、何時しか話題の中心はカイトの事へと移行。この数日間で漁師達の耳にも「変わった飛雲機のお陰でタンストゥールから逃げ延びた、幸運な新米クラウダー」の噂が入っている事を知り、当事者二人は驚きを隠せない。
 「あの日から十日も経ってないのに……もう、そんな噂が」
 「って、それじゃあちょっと前、二人がカイトのお見舞いにわざわざ来てくれたのは――」
 頷くシオに、戒厳令が発令された直後だったからね、とセーメ。そこからさらに言葉を続けようとして、二人は唐突に口をつぐむ。明らかに、次の一語を迷っている様子だった。
 『……?』
 「その――その時、なんだけどさ。俺たち、クラウダーギルドにまたお邪魔して、カイトの事を聞いたんだけど……」
 「『あのひよっ子は色々やらかしてくれるから、見ていて飽きない』って、そう話しているクラウダー達がいたんだ。で、こう続けた――『一ヶ月前の巨大積乱雲を吹き飛ばした件と言い、今回の件と言い……』――って」
 「カイト、だったんだね……あの雲を消してくれたのって。雲の中に消えちゃった父さんを、あたし達に返してくれたのって」
 『っ!?』
 大きく跳ね上がる、カイトの心臓。すぐ隣で、ひくり、と、ハルカの息を呑む音が聞こえて来た。
 「ずっと……ずっとそのクラウダーにお礼を言いたくてさ、休日になったら探していたんだよ。けど、どうしても上手く言葉を整理できなくて、気がつけば延々と二の足踏み状態。ギルドに聞けば分かる事だろう、とは考えたけど、なかなか実行に移せなかった」
 「親父の身体は骨一つ見つける事が出来なかったけど、形見の鞄の中に、俺の帽子とこいつのバンダナが入っていたんだ。だから、その……有難うって言うか……、……前の事、すまなかったな」
 「前の、事……?」
 「ほら、あたし達が料理を振る舞った日の事――」

 (……「じゃあつまり、空でも同じ事が?」
 「そう言う事。先月からこの空域に起こり始めた、生物達の急激な流入と凶暴化……何となく予想はしていたんだけれど、やっぱり海域の方でも起こっていたんだね……」
 「けどさ、この辺りの生き物達って、先月より前までは確か、逆に減少を続けていた筈だよね? これじゃあ何だか、ある日を境に戻って来た……と言うよりも、今までの反動で一気にリバウンドしているみたい」
 「ああ。先輩漁師らの間でも、色々と噂が立っているよ――『一ヶ月前に起こった巨大雲の大爆発が、この事態を呼び込んだんじゃないのか』って」……)

 記憶の棚を検索する事暫し、カイトとハルカは二人の言葉に思い当たる。
 「あの時は知らなかったとは言え……物凄く無神経な事を言っていたよな、俺たち……」
 「構わないよ、そんな事気にしなくても。……それに、全くの的外れ、って訳でもないと思うし」
 「……、カイト――貴方、まさか――」
 つい先ほど、あんな風に私たちを元気付けてくれたと言うのに。よもや、タンストゥールがこんな遠方に出現した事まで、例の件に関連させて気に病んでいるのではないだろうか――カイトの表情は、ハルカの胸中にそんな考えを浮かばせるようなもの。シオとセーメも、共に同種の不安を兆したのであろう、互いの視線を交錯させていた。

 ――その時。大小連なる不規則な轟音が、白い空を突き抜けて街に降り注いで来る。次いで、まるで白海の底が抜け落ちるかのように、海に程近い地域の雲が、斜め下への双方向へと対照的に爆砕した。
 思わず見上げた人々の視界に姿を現したのは、
 
 ――片や。黒煙と炎を吹き上げ、激しい損傷状態で蒼い海へと落ちてゆく、無骨さと剛健さを兼ね備えた戦艦「コロナトゥス」。
 ――片や。全身から血液を流し、振り撒き、その背に巨大な槍みたいなものを突き立てて街の中央部へと落ちてゆく……心なしか一回りほどサイズが小さく見える、タンストゥール。

 けたたましい通信機のシグナルが、セーメのポケットから鳴り響く。慌てながらも手にとってそれを見るや、
 「――! 兄貴、墜落した戦艦の人命救助、私たちにも召集が来てる! ギルドが、誰でも良いから至急船を出せって!」
 「わ、分かった! すまん、カイト、ハルカ! またな!」
 言うが早いか、駆け出す二人、その姿は瞬く間に、騒然となりつつある町並みの中へと消えて行く。
 『…………』
 呆然となる二人の頭上を、ぐんぐんと高度を下げ続けながら通り過ぎて行く、傷だらけのタンストゥール。そこからばら撒かれる唾液と鮮血は、建物に接触するや瞬時に溶解、崩落。悲鳴と怒号は一層加速し、ルーセスの街は争乱の極みと化す。

 ――白き空を彩っているのは、未だ終わりの見えぬ争乱と絶望。そこで生活を営む者達、その周囲で生きる者達に対して、あたかも試練を与え続けているかのようだった。

 逃げ惑う人々を意識の範疇に収めながらも、カイトは空の情景より目を離す事が出来ない。気付けば、ハルカの手の温もりと震えを自分の手の中に感じて、それをぎゅっと握り返していた――



――後編へ続く



前編:1へ  /  後編:1へ

創作ページへ

inserted by FC2 system