―Sky Clouder―




――お前なあ、そりゃ「『空の王』に挑む」ようなもんだぜ。分かるかい? どうしようもない愚か者、って意味だよ。――


(――カシファス=ラギノ編「雲取り人の言葉」より、一部を抜粋)



――人間の矮小さでは届かぬ、あまりにも巨大な、そして強大極まる存在、それがかの『空の王』だ。あの存在を恐れ敬わぬ者に、空で生きて行く資格は無い。――

(――カシファス=ラギノ編「雲取り人の言葉」より、ガル=ラバルクの言葉を抜粋)




 
 『白き星』セルナスの表面を包む、一面の雲海。
 上から下へとその雲を通り抜け、高度を下げて行った果てには、空の色を反映する事無く、自らの力で蒼色に輝く広大な海が広がっている。浮力を失い、空から落ちて来て海の中に溶け込んだ、無数のマテリアル――そんな蒼穹の群こそが、この大洋の色を創り上げていた。
 水平線の果てに至るまで海面は凪ぎ、聞こえて来る音は、小さな波が一艘の小船に当たる音のみ。その甲板上にて、一人の少年が、遥か遠方をじっと見つめ続けていた。
 「…………」
 深く被った帽子の下には、焼けた肌と短い灰髪、そして揺らぎの無い緑蒼混合の瞳がある。と、彼の後方から、軽い足取りを響かせて近付いて来る者が一人。
 「兄貴、どう? 他の船とか何か、見えたりはしない?」
 「……いや、駄目だな。この辺りに入って来る船なんて、物好きでもない限り、そうはいないみたいだ。そっちの方は?」
 「助けが来るまで二十分はかかるみたいだよ。ついでに、シオもセーメも、兄妹揃ってきっちり絞ってやるから、後で覚悟していやがれ、だってさ」
 「全く、親方らしいぜ……。仕方ない、こんな状態で勝手に漁なんて出来ないからな。ここで大人しくしていよう」
 少年――シオ=アヤノは、妹である少女――セーメ=アヤノの報告に溜め息を吐いてそう答えると、ドサリとその場に腰を降ろす。ひぅ、と小さな風が吹き、二人のシャツやジーンズ、セーメの頭に巻かれているバンダナや、その間から覗く長髪をなびかせ、船の上を通り過ぎて行った。
 『…………』
 彼らが漁師長から手酷い叱責をもらうには、それなりの理由がある。職歴半年、まだまだ新米漁師の域を出ていないこの兄妹は、共同で漁を行う筈の仲間達からはぐれてしまった上、魚の大群に誤って船を突っ込ませてしまっていた。
 おまけにどうもその時、群れの流れから抜け出す際にいささか無理をさせ過ぎたらしく、今現在二人の乗っている船はその動きを止めてしまっているのである。
 加えて、彼らのいる海域は近頃『接近禁止区域』に指定されたばかりの場所。応急修理のみの小船一艘で動き回るには、どう考えても危険が大きすぎる場所だった。
 「一ヶ月前までは、何でもない場所だったのに……何でここまで、あちこちの魚が迷い込むようになっちゃったのかなあ? そのせいで、どいつもこいつもえらく気性が荒くなってるよ」
 「さてなぁ……きっと皆、同じ事を思っているだろうけどな」
 そんな会話を交わす二人だったが、不意に身を硬くする。相も変わらず聞こえて来る波の音に、微かに、だが確実に異なる音が混じり始めていた。
 互いに周囲を見回す事、暫し。程なくしてシオとセーメは、揃ったように空中へと視線を向ける。
 「ああ、あれの音か……一体何かと思った」
 「……雲取人(クラウダー)、か」
 言葉と共に、身体の力を抜く。自分たちに害成すものでないのなら、警戒する必要だって無い。余程の下手くそがいたって、こんな場所には落っこちて来ないだろう。
 連なってそびえ立つ入道雲と、その上下に広がる白色の絨毯。その間に時折かいま見える、駆動音を伴った鋼の翼。シルエットの後方から微かに吹き出ている蒼い噴射光と相まって、それがクラウダー達の操る小型飛行機――飛雲機であると、遠目にも確信が持てる。
 「あの人たちって、ああいう風に雲の中を飛び回って、スカイ・マテリアルを採取してるんだよね? あの中に浮かぶ小さな『空晶』に翼をぶつけて有機エネルギーに変換、機体の中に保管している、とか……むー、何だか想像しにくい光景だなあ」
 「はは、きっと向こうもこっちの事をそう思っているだろうぜ。自分の住んでいる場所だけを見ていたら、他の場所の事なんて中々分からないもんだ」
 「まあ、そりゃそうなんだろうけど……でも、少しだけ憧れちゃいそうかも。自分一人だけでああして空の中を飛ぶって、一体、どんな気持ちなんだろうね……」
 妹の呟きに「そうだな」と返して、無意識の内に飛雲機群を視線で追うシオ。
 縦横無尽に白空の内外を飛び回っている彼らは、昔よりその多くが憧れや羨望の的となっている。中でも、この街のクラウダー人口は他の街と比べても多く、ルーセスで育った子供たちにとって、彼らはまさに英雄と同格の扱いだった。
 とは言え、別に彼らが自分の仕事を自慢して回るような事も無い。当然ではあるが、彼らにとってのそれは、あくまで己が生業。セルナスにおいては存在して当然の職業なのだし、ことさら珍しい事をやっているわけではないのだ。
 だからきっと、あのクラウダー達も、自分らと同じような普通の人々なのだろうと予想出来る。で、きっとそこには、自分たちと同じような年若き新米もいて、様々な修練を重ねていたり、師匠に怒られていたりするのだろう――

 ――その時。唐突に、ドグォ、という鈍い音を伴って、船体が大きく斜めに傾ぐ。一瞬浮いた二人の身体は、次の瞬間には甲板に打ち付けられ、未だ続く激しい揺れに翻弄されていた。
 「きゃあっ! な、何!?」
 「……何かが船に当たったんだ! セーメ、銛を取って来い!」
 指示を出しつつ船の縁に駆け寄って、シオは波打つ海面を覗き込む。その瞳に映ったのは――人の背丈を優に一回りほど超えた巨大な魚が勢いをつけて海中から踊り上がろうとしている、まさにその瞬間。
 双方の瞳が交錯し合うや、咄嗟に頭を引っ込めるシオ。刹那、鼻先を掠めるほどの距離で、数メートルはあろうかという高さまで巨影が跳躍する。そして――そのまま、真っ直ぐに降下。爆音と共に上がった盛大な水柱が、容赦なく彼の全身を打ち濡らす。
 まさに間一髪の所だった。僅かでもタイミングが遅れていたら、文字通り魚雷と化した魚の跳躍によって顔の骨が陥没していたに違いなかった――いやそれとも、その尖った口先で団子の如く頭を串刺しにされてしまっていたか。
 「ヴィロート、だと……っ?! 何だってこんな場所に……手前の住み処は、もっと南の海だろうが!」
 ダークグレーの肢体は、目測おおよそ3〜4メートル。その内、鳥のように細長く伸びた口ばしの長さは、優に三〇センチはあるだろう。「ヴィロート」と名の付くこの大魚は、元来仲間を守ろうとする習性が強く、危険を感じた場合、先程のように海面から5〜6メートル近く飛び上がって、危険を知らせたり外敵を誘ったりする性質がある。こう言った殺傷目的の突撃は、自分が身の危険を感じた時のみに現れる行動だった。例えば仲間である集団からはぐれ、見知らぬ大洋を延々と孤独にさまよい続けている場合など――
 「兄貴、これ!」
 セーメの手から備え付けの銛を受け取り、海中へと突き立てて、何とかヴィロートを追い払おうとする。だが、
 「きゃ……っ!」
 「うぁっ! くそ、少しはじっとしてろ、こいつ!」
 波しぶきに塗れ、繰り返される激突で起きる船の揺れを堪え、必死の抵抗を続ける二人。今は縦へのジャンプを繰り返しているだけだが、もしこいつがこの勢いのままに横っ飛びに突っ込んで来たら――人体を軽々と刺し貫くぐらい、造作もない。甲板に飛び込んで来た場合でも、一トン近くあるこいつに潰される可能性だってある……どちらにしても、助かる道は恐らく無い。
 シオもセーメも、脳裏をよぎる最悪の予想を必死になって振り払いつつ、助けが来るのを待ち続けていた。今の自分たちに出来る事は、それくらいだった。

 だから、気付かなかった。その只ならぬ様子を、彼らが先程思いをめぐらせていた場所――白き空の上から見て取った者がいる、等と。

 幾度目かの、ヴィロートによる大ジャンプ。高く上がり、弧を描いたその着地先は……間違いなく、この船の甲板。下手をすれば、一気に傾いた船がそのまま転覆する可能性も高い。こんな状況で、海に落ちてしまったら――
 『…………!!』

 上空より近付いてくる駆動音。その間を縫って聞こえて来る、伏せろ、という叫び声。
 咄嗟に頭を下げた二人の頭上を、ヴィロートとは異なるもう一つの巨大な影が猛スピードで過ぎて行く。そして――グシャア、という、骨と肉を砕く衝撃音が、周囲の空気を瞬間的に震わせた。

 シオも、セーメも、そこにあった代物が、最初何なのか分からなかった。まるで、魚が空を飛んでいるみたいだ――影に目をやった瞬間、そう思った。
 ヴィロートの細長い肢体に翼をめり込ませているそれは……あたかも、トビウオをより流線型に、なおかつ鋼を原料として組み上げたかのような、蒼色のボディと銀色のラインが眩い飛雲機。二人の視界から微かに見える操縦席には、ゴーグル越しにでもその若さを推し量れる少年が、力の限り歯を食いしばっていた。

 丸い眼の中で、刹那、見開かれる瞳孔。その後、全ての力を失ったかのように、ヴィロートは海面へと落下して、派手な水柱を上げる。そしてそのまま、意思無き巨体は海中深くへと没していった。

 「た……助かった、の……?」
 「どうやら……そうみたい、だな……」
 おずおずと周囲を注意深く見回した後に、ゆっくりと身を起こす二人。先ほどまでのやり取りがまるで嘘であったかのように、海は穏やかな凪を取り戻していた。
 件の飛雲機に眼を移すと、それは再び上昇し――豆粒ほどの大きさになった所で雲の中へと入って、姿を消す。

 ――『白き星』セルナスの、白き空と青き海。
 本来ならばさして接触を持たぬ筈の、互いの世界に生きる者達は、かくして、全く予期せぬ形で出会う事となる。

 ましてや。それが一つの物語の起点となる事など、誰にも予想する事が出来なかった――












・Story‐2nd・
「蒼き闇への挑戦者」
<前編:1>




〈1〉


 ゆっくりと角度を傾けて、水平線の向こうへ沈み行こうとしている太陽。その光を受けて朱色に染まった雲の下、ルーセスの街は、夜に際しての準備を慌しく始めていた。
 それぞれの仕事を終えて帰宅の途に着く人々。夕食の買い出しに、市場へと出向く主婦。街の外に眼を向ければ、晶力列車や自動車と言った交通機関を用いて戻って来た労働者達が、それぞれ心地良い疲労を顔や身体に浮かべて、やや足早に家路を急ぐ姿が見て取れた。
 ――そんな中。揃ったように渋い顔を浮かべて格納庫内に籠もり、黙々と一機の飛雲機に張り付いている者達がいる。
 「――フォート、この処置を済ませた後は、ボディをチェックして合計出費を計算! ハルカ、ナビコンから眼を離さないように! カイト、5つ数えたらイグニッション、良いね!」
 「了解! ……あの、レナ姉……」
 「こら、余所見をしない! ……5、4、3、2、1――今!」
 己が師匠――レナ=ベルンストの凛とした声にタイミングを合わせ、クラウダーの少年――カイト=レーヴェスは、エンジンに火を入れて飛雲機を起動させる。空気を震わせる駆動音が格納庫内に轟く中、耳に付けた通信機に意識を集中させていた彼は、
 「ナビコンからのサーチ……オール、グリーン。大丈夫……『アンフィプリオン』の機能は、こちらからの情報で見る限り、100パーセント完全回復! 昨日のシプセルスに続いて、飛行の継続には異常無し!」
 通信機の向こうから聞こえてきた、ナビパートナーの少女――ハルカ=ベルンストの声に、ふう、と大きく肩の力を抜いた。その後、ゆっくりとエンジンを切って操縦席から身体を引っこ抜き、梯子を伝って地面へと降り立つ。
 「……はぁ――……、……ああ、今回もやばかった……。御免レナ姉、また俺、対応が遅れ、でっ!?」
 カイトの言葉を途中から叫びに変えたのは、ばぁん、という乾いた響き、そして彼の前頭部に生じた痛み。呆然となった一瞬の後、自分の頭をぶっ叩いた代物が、レナの手に携えられたバインダーだと理解する。この所、同じような経験を繰り返しているからこそ容易に分かった事だが、勿論嬉しくなどない。
 「謝るならこいつに謝っておきな、『シプセルスの教訓を活かせなくて御免』ってね。……でもまあこの二週間くらい、機体を一々修理に出さなくて済んでいるのは誉めておく。近頃増えて来た空の生き物たちの多さに、あんたが慣れてきている証拠だ」
 「…………」
 「だ、け、ど! 気性の粗い連中が幾ら数を増やしたからって、本来この空域では、空生物の総数なんてたかが知れているんだからね! 訓練から戻って来たら全員でリカバー、なんて事を続ける限り、近いうちに頭が真っ平らになる事を覚悟しておきな!」
 「……はい……」
 細かな言葉の違いこそあれど、一連の動作はここ数週間でほぼ同じという、彼らのやり取りである。最も、最初のころはバインダーがその角だったりレナ自身の拳骨だったり、今でも時折はカイトと一緒にハルカが殴られていたり、と、それなりにバリエーションに富む物ではあるのだが。勿論、これも嬉しくなどない。
 普段ならこの後、ナビルーム側から点検を行っていたハルカとフォートが格納庫に戻って来て、各々の飛雲機を最終点検。それが終われば夕食になる、という手筈になっている――
 「? あれ、ハルカ一人だけ?」
 「フォートさんは? 何かあったのか?」
 が。ナビルームと格納庫を繋ぐドアから姿を見せ、こちらへと近づいて来たのは、予想に反してハルカ一人だけだった。耳に付けていた通信機を外しながら、レナとカイトは彼女に問う。
 「うん、家の方に誰かが来たみたいで。今、少しだけ戻っているんだけど……」
 「客? 珍しいね、こんな時間に……」
 言いつつ、レナは手元にあった二枚のタオルを取り上げ、うち一枚をカイトに投げて寄越す。二人がそれで首周りや顔に貼り付いた汗を拭っていたところ、つい先ほどハルカの通って来たドアが再び開き、
 「――お。やっぱり皆、まだここに揃っていたね」
 縁眼鏡をかけた青年――フォート=オーティスが、その後方に二つの人影を伴って姿を見せた。
 「カイト、ハルカ。君たちにお客さんだよ」
 「え……俺たちに?」
 心当たりの無い来客に、顔を見合わせて首を傾げる二人。と、フォートの後方にいた影が、緊張を含んだ足取りでカイトとハルカに近づいて行き……ぺこり、と、揃って頭を下げていた。
 『!?』
 当然ながら面食らう二人に、二つの影はゆっくりとその顔を上げ、
 「飛雲機『シプセルス』のパイロット、カイト=レーヴェス。そして、ナビパートナーであるハルカ=ベルンスト。俺たち二人は、あんた達のおかげで命を救われた。本当に、有難う」
 「あたしはセーメ=アヤノ、こっちは兄貴のシオ=アヤノ。ちょっと前に、貴方の飛雲機がその翼で吹っ飛ばした魚がいたでしょ? で、襲われていたのが、あたしら。あの時に貴方が来てくれなかったら、ナビが気付いてくれなかったら、きっと陸に上がって来れなかった。本当、有難うね」
 そう言って笑顔を作り、もう一度ぺこりと頭を下げたのだった。

 食欲をそそる匂いがリビング内に立ち込めると、我知らぬ内に心の底が弾んでいくのが分かる。そんな心の向け方一つで、カチャカチャと食器が立てる音すらも何となく楽しいものに聞こえて来るのだから、まったく不思議なものである。
 素朴な色柄のクロスをかけた長方形のテーブルに、次々と並んでゆく料理。スペアの椅子を引っ張り出し、全員が着席して――カイト達の夕食は、ここでの共同生活を始めて以来、最も賑やかな様相を呈する事となっていた。
 「……! うん、美味しい!」
 「ああ、ほんとだ! シオもセーメも、もの凄く上手に魚を料理してる! そうか、こういう風に火を通せば良いのかー……」
 「っはは、照れるよ。まあ、俺らの取り柄って言ったら、今の所これだけだからさ」
 「あたしら、まだ新米だからね。漁業で足を引っ張っちゃう事が多いから、せめて賄いの腕を上げるくらいはやっておかないと」
 「へぇ〜、感心感心。ちゃあんと今の言葉聞こえたかい、そこの新米お二人さん?」
 「こら、いびらない。練習の必要があるのは、君もだろ?」
 食卓を囲むのは、基本的にはいつも四人。だがこの夜、「お礼をさせて欲しい」と言うシオとセーメが、港から持って来た新鮮な魚を用いて料理をこしらえ、彼ら兄妹を含めた六人が思い思いに皿へと箸を伸ばしている。
 カイトやハルカの賛辞に違わず、出来上がった料理は、その腕、レパートリー、共にかなりの高レベル。自然と湧き上がる会話も助勢をしてか、かなりの量だった筈の料理群は、みるみる空っぽの皿へと変化していった。
 「んく……っはぁ、美味かったぁ! ……にしてもシオにセーメ、君ら、良く俺があれに乗っているって分かったよな? 俺や飛雲機の事を前々から知っていた、ってわけじゃないんだろ? 今日だって、アンフィプを使って飛んでいたわけだし……」
 「ああ、あんな特徴的な飛雲機、そうそう他にあるもんじゃないだろうと思ってね。ギルドに出向いてちょっと尋ねてみたら、すぐに分かったんだ」
 「でもまさか、二人揃って兄貴より年が下とは思わなかったよ。あ、ちなみに、あたしが十六で兄貴が十九ね。……けどさ、何でわざわざ違う飛雲機を使って飛んでいたの?」
 「二つの飛雲機――アンフィプとシプセルスを対比して使い分ける事で、技量の低い部分を補ったり、気付いていない欠点をチェックしたりしているんだよ。それで一定以上の力が付けば、アンフィプはギルドに譲渡。シプセルスのみで空を飛ぶ手筈になっているわけ」
 「それでもやっぱり、至らない所は多いんだけどね。何かしら失敗をする度に、姉さんの拳骨やバインダー叩きを二人して食らってる」
 「うわっ、それってうちの親方と同じだ! 全くあのひげ親父ってば、男だろうが女だろうが、ミスとかしたら即、手加減無しのグーが頭の上なんだよ!? ねえハルカさん、あたし達、へこんじゃった頭でいっぱしのおしゃれとか出来るのかなぁ!? いっその事、抵抗同盟でも結成しちゃおうか!」
 「あ、あはは……か、考えておくね、セーメちゃん。でも、あんまりそれ、当人の前で言わない方が良いと思うよ……」
 鼻息も荒くハルカの両手をがっしりと握るセーメ、苦笑するハルカ。そしてそれに溜め息を吐くレナと、女性陣に目をやった後「お互い苦労しているな」と、一様に同じ言葉を表情に出して、各々の顔を見合わせる男性陣。
 楽しさを体現したかのような喧騒の中、彼らの話題は、船を襲撃したヴィロートの一件から、ルーセスに起きている異変へと徐々に移行してゆく。
 「じゃあつまり、空でも同じ事が?」
 「そう言う事。先月からこの空域に起こり始めた、生物達の急激な流入――何となく予想はしていたんだけれど、やっぱり海域の方でも起こっていたわけだね。貴方達を助けた後のシプセルスも、今日のアンフィプも、そいつらにぶつかったおかげで、少なくないダメージを食らってしまった」
 「けどさ、この辺りの生き物達って、先月あたりまでは確か、逆に減少を続けていた筈ですよね? これじゃあ何だか、ある日を境に戻って来た……と言うよりも、今までの反動で一気にリバウンドしているみたい」
 「ああ。先輩漁師らの間でも、色々と噂が立っているよ――『交集季初めに起こった巨大雲の大爆発が、この事態を呼び込んだんじゃないのか』って」
 シオの言葉に続いたのは、一瞬にして訪れた沈黙。兄妹を除いた四人が、刹那の間とはいえ、揃って心身を硬直させてしまった事によるものだった。
 「……? どうかしたんですか?」
 「あ……いや、何でもないよ。と、とにかく、君らに大した怪我が無くて本当に良かった」
 「ええ、フォートさんの言う通りです。折角漁獲量が増えて来ていたって時に、俺たちだけが失態と怪我を重ねたら、それこそ親方に殺されてました」
 「うん、親方ならやる。三日間のメシ抜きと海に出る事の禁止、その間の三食賄い……これだけの事で済んで、つくづく幸いだったと思うよ……」

 玄関口から手を振って、家路に着くシオ達に別れを告げる四人。程なくして兄妹の姿が町の明かりに溶け消え、見えなくなると、レナは静かな口調でカイトの背に言葉を投げかけた。
 「自分のせいだ、なんて思ってる?」
 「……そんな、事は」
 カイトの後ろに立っているレナに、直接その表情を見る事は出来ない。だが、彼の隣にいるハルカの眼差しや、いつの間にか強く握り締められた拳は、何よりもその心情を雄弁に物語っている。
 「自責なんて筋違いだ……って言いたい所だけど、きっと、頭の一部でしか納得出来ていないんだろうね、あんたは。今回、あの二人が置かれた状況を考えるなら、尚更」
 「けれどね、カイト。僕もレナも、勿論ハルカも、これからもずっと、皆で言い続けるよ。『ああしなければ、ルーセスのマテリアルは減るしかなかった。君は、正しい事をした』ってね。リバウンドはそういつまでも続かないし、事故だって減って行くさ」
 「…………」
 レナ、カイトの言葉にハルカも頷きで応え、カイトの沈黙を優しく包み込む。
 ――ルーセスの静かな夜は、かくして暮れて行く。天上から降る蒼い光は、いつもと変わらず空を仄かに照らし出していた。


〈2〉


 カイト達とシオ達の初邂逅から、日が経つこと十日。その日彼らは、すっかり様変わりしたルーセスの中央広場付近にて、二度目の邂逅を果たす事となった。

 「……ーい! おーい、カイトー! ハルカさーん!」
 ひしめき合う人々のざわめき、自分の屋台や出店の大安売りを宣伝する声。それら一連の喧騒を縫って、聞き覚えのある声が二人の耳に届く。カイトとハルカが振り向いた先には、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら大きく手を振るセーメの姿が人波の中で見え隠れしていた。
 長髪の上に巻かれた明るい色のバンダナを目印に、二人はセーメの元へと到着。そこからさらに人の波をかき分けて、一行はどうにか休憩の出来る公園ベンチへと辿り着く。
 「はぁ、はぁ……有難うセーメ、助かった……。ああ全く、この街のお祭りを甘く見てた……」
 「姉さんと義兄さんの忠告、嘘じゃなかったね……参ったなあ、集合場所を確認する前に、離れ離れになっちゃったよ……」
 「そっか、二人ともこの街に来てまだ半年だったんだっけ。クラウダーと漁師の数が多い分『交集祭』の規模も大きいからね、初めての人は大体二人みたくなるよ……ほら」
 そう言って顎をしゃくるセーメ。彼女の視線の先には、自分たちと同じく、人の波をかき分ける事に力を使ってしまった人々が、肩で息を付いていたり、他のベンチに座り込んだりしている。泣きじゃくる子供をしきりに宥める親子連れもいた。
 「それにしても、本当、良くこんなお祭り騒ぎになるよね……。私たち、割とオルザリスの『交集祭』には出向いていたけど、ここまでの大きさじゃ無かったよ?」
 「そうそう、『天使(キュエル)たちの加護が、この星に有らん事を』……ってさ。お祈りを唱えた後は、まあ、多少は屋台が出ていたり、騒いだりもしたけど……あんな大規模パレードまでやるもんか? まさか、このラティメリスではそれが普通なのか?」
 彼らの会話内に織り込まれている〈ラティメリス〉〈オルザリス〉とは、ラティオール大陸の北部と南部で隣り合う、それぞれ二国の名前を指している。そして言葉の内容にある通り、カイトやハルカの出生国は南のオルザリス、ルーセスの街を内包するこの国が北のラティメリスである。
 習慣や文化の細部、言葉尻の違いこそあれど、両国、いや、セルナスという星に住まう人々は、今現在『天使(キュエル)』という存在をひたすらに信じ続け、尊び敬っていた。この世界では、遠く離れた国においても言語を用いた意思疎通がそれほど難しくなかったりするのだが、その主な所以はここにあったりする。
 陸を司り、守護する〈ラグキュエル〉。海を司り、守護する〈マーキュエル〉。空を司り、守護する〈エアキュエル〉。この三天使こそ、白き星に古来より息づく守護者。その姿は普段、万物の内の何かに紛れて見分けられないが、時折ごくごく透明で小さな翼を現し、微かにそれをはためかせるとか。その様を見つけられた者には大きな幸運が訪れる、という言い伝えは、セルナスに生きる幼子すらも周知の事柄である。
 セルナスがその自転によって生み出す四〇〇日きっかりの一年間は、彼らがそれぞれ三つの一〇〇日に加護を与え、残った一〇〇日を〈交集季〉――キュエルらが聖地へと集まり、交流を交わし、各々とその守護対象に恩恵を与え合う日々――として、いわゆる三位一体の形で、より一層の加護を与える。
 交集祭とは、そのキュエル達に感謝をする祝日『交集日』に行われる、街ぐるみの祭りを指す。各々の国や街によって細かな時期と程度の違いはあれど、基本的には〈交集季〉の一〇〇日の内、いずれか一日を用いて行われているのである。
 「うーん……そうだね、さすがに今年はちょっと特別かな。ここ三年くらいは、リガレクスの追悼から一ヶ月経つと街の交集祭になっちゃうから、皆、無意識のうちにひきずっていたところはあったんだ。でもさ、ほら。この前、一つの区切りが着いたじゃない?」
 「……あ……!」
 セーメの言葉の意味は、即座に理解できた。彼女の言う「一つの区切り」とは……恐らく、全ての遺族にあの事故の遺品が戻って来た事を言っているのだろう。
 「だから皆、嬉しくて、その間の溜まっていたエネルギーを出し尽くしたいんだと思うな。かく言うあたし達もそうなんだけど、今はただ、心からお祭りを楽しみたくて……」
 「――っと、いたいた。思った通りここだったか」
 「ありゃ、お前の方はカイト達と一緒だったのか。道理で見つからないわけだ」
 セーメの言葉を遮ったのは、聞き知った二つの声。一同の振り向いた先に見えたのは、レナとフォート、そしてシオが揃って彼らの元へ歩いて来ている姿だった。セーメにも同じ事を言えるのだが、そこに慌てた様子も息を乱した様子もほとんど見られない辺り、この喧騒にすっかり慣れ親しんだルーセス住民の証拠なのだろう。
 「なーんだ、兄貴はレナさんらに合流か。ひょっとしたら意外と縁があるのかもしれませんね、あたし達って」
 セーメの言葉は、前半はシオに、後半はレナとフォートに向いたもの。同意の笑顔を返しつつ、レナはカイトらに向き直る。
 「あんた達に言い忘れていたよ、『迷った時はルーセス中央公園に集合』……ってまあ、ここの事なんだけど」
 「人波に流されたり迷ったりした場合、大体はこの公園に行き着く事になるからね。この街に来た頃は、僕らもそうだった。何はともあれ、合流できて良かったよ」
 にわかに大所帯となった彼ら一行は、その後、年長者組が年少者組――特にカイトとハルカを先導する形で、人と街の間を縫って進む。そして、その過程で屋台や店に顔を突っ込んだりゲームにいそしんだりと、すっかりお祭りを楽しんでいた。
 気が付いてみれば、時間の経過はなんとも早い。街の通りに設けられた大きな鐘付き時計が、正午を意味する鐘の音を街中に響かせて、

 その時。――パラ、と。唐突に混ざる、異音。
 それがたった一つだけだったなら、遥かに大きな鐘の音にたちまち掻き消されていただろうが、――パラ、パラ、パラ、と。
 『?』
 連続音はやがて途切れがなくなり、街ゆく人々の鼓膜を刺激するまでにはっきりと聞こえ出す。
 「なんだ、雨か?」
 「でも、雲は白いわよ。それに、この明るさは晴れてる証……」
 「――いてっ! 頭に何かが……、……え?」
 人々が思わず見上げた先には――何時も通り上空を覆う白い雲から、黒色の粒が降って来ている光景が。速度から判断するに、それは雨と言うよりも、まるで降る時期を間違えてしまった雪のようで。
 ルーセスの街全域に。煉瓦敷きの家の屋根に、窓ガラスに、壁に。屋台の布張り屋根に、土と石造りを交えた地面に。そして人の頭に、パラパラパラパラと、その粒は間断なく降り注いで音を立て続ける。人々が混乱し、慌てふためき、街中が騒然となるまでに、そう時間はかからなかった。
 勿論その中にあっては、カイト達のみ例外、等という事も無く。
 「うわ、わ、痛ぇっ!」
 「皆、あの木の下だ! 尖っているものもある、頭を抱えてあそこまで走れっ!」
 一瞬、白い筈の空が濃い影で遮られてしまうほどの、無数の黒粒。慌てふためきながらもカイト達は、他の人々に混じって比較的近くに植えられていた木の下へと避難する。それほど大きくない針葉樹の為、降ってくる粒の全てを防ぎきれるわけではないが、遮るものが無いよりはある程度ましだった。
 「ふぅ、ここなら多少は防げるみたいだね。しかし、一体なんだってこんな……、……ん?」
 と。何かに眼を留め、その場に屈みこんだレナは、足元に落ちていた粒の一つを拾ってまじまじと凝視する。
 「レナ姉、どうしたんだよ?」
 「ん――うん、……ねえ皆、ちょっとこれ見てよ」
 「どうしたのさレナ、これが一体――、……あれ?」
 「嘘、これって……ボルトの欠片だよね?」 
 鼻先に付き付けられたその粒に目を丸くしたのは、クラウダーとナビであるカイトら四人。他方、突拍子もないその結論を僅かに遅れて理解した漁師二人は、思わず叫びを上げて尋ねる。
 「ボルト――って、えぇっ、あのネジとかを止めるボルト!? 本当なの、ハルカさん!?」
 「うん……色は黒ずんでいるし、ただでさえ小さいものがさらに細かく砕けているけど……これ、R型規格の飛行船で使われているボルトだよ。スクールで習った」
 「――おい、よく見たらこれもだぞ。同じR型規格の加工鉄版……って言うか、もろにリガレクスのボディのものだ……」
 と、足元に落ちていた別の粒を拾って、皆に見せるカイト。
 「そりゃ、こんな代物が空から落ちてきたら、小粒だって痛い筈だ。雨のような速度で降っていたら、今頃、やわな物を貫いていたかもしれない……」
 「怖い事言わないでくれよ、カイト……。……港の方、今日はどこも休みのはずだが、大丈夫だろうか」
 「今さっき、一瞬、空が暗くなっていたよな? 街中に一体どれだけ降り注いでいるんだろう、これって」
 「? カイト、何の事? 確かにこの黒粒、あちこちから降ってはいるけど、雲はずっと白くて明るいままだったじゃない」
 「え、でも、さっきは確かに――」
 「……あ。どうやら、止んだみたいだね」
 フォートの言葉に、木の下から顔を出して空を見上げる一同。
 そこにあるのは、いつもとなんら変わりの無い雲海。暫しの間揃って見上げていたが、それ以上何かが降って来る様子は見られない。
 「…………、……もう、降って来ない、みたいだね」
 「ねえ兄貴、港の様子、見に行った方が良くない? さっき兄貴が言っていたけど、何だかあたしも急に心配になって来た」
 「だったら私たちも家に戻ろうよ。ハンガーや飛雲機たち、無事だとは思うんだけど、万が一って事も……」
 「確かに、とてもお祭りを楽しめる雰囲気じゃないよな……仕方ない、今日はこの場で解散か。それじゃあシオ、セーメ、またな」
 「うん、カイト達もね」
 手を振りつつ、人ごみの中へ消えて行くシオとセーメ。彼らの顔はこわばり、港へ向かう足並みは速い。四肢の末端にまでみなぎる不安と緊張を、遠目からでも簡単に推し量ることが出来た。
 だが、きっとそれは、自分達も同じなのだろう。あちらこちらから聞こえて来るざわめきも、戸惑いや不安と言った負の感情の渦が一様に街全体を巻き込んでいる証拠だ。
 「……さ、僕らも行こう」
 ジャリ、パリ、ガリ、と、地面に落ちた数多の破片を踏みつけ、四人は家路を急ぐ。耳障りな音をひたすらに無視しながら走っていた時、ふと異音を鼓膜に感じて、カイトは思わず空を仰いだ。
 「…………」
 ――一瞬だけ。またもや、空が暗くなった気がした。
 それに、先ほどの音は……聞き間違いでなければ、まるで、何かの生物の鳴き声だったような――
 「カイト、速く!」
 前を走っていたハルカに急かされ、止めかけていた足を速める。
 ルーセスの街を覆っている喧騒は、交集祭の楽しさを表していた先ほどのものと、完全に別種。周辺に散らばる黒い破片は、あたかも、人々のそんな感情を体現しているかのようであった。

 「交集季五十一日、九時五分……イグニッション。シプセルス、離陸許可を承認。発進して下さい」
 「了解。シプセルス、テイクオフ!」
 ルーセスの中央部から東へと進んだ所、海に面した街の一角に『雲取り人区画(クラウダー・セクション)』と呼ばれている箇所がある。十数本の共同滑走路に沿う形で、この街に住まうクラウダー達が軒を構えているため、いつしか自然とそう呼ばれるようになった区画であり……今、シプセルスも、そんな場所から白雲に向かって発進しようとしていた。
 離陸用ブーストを起動させる為、エンジンへと送り込まれるEマテリアル。機体内で弾けた火花によってそれは燃焼され、推進エネルギーへと変化。瞬く間に飛雲機の後方へ流れてプロペラを回転させた後、蒼色の飛沫となって勢い良く飛び散って行く。
 ぎぅ、と、車輪が滑走路を進み始めた事で生まれる、甲高い摩擦音。同時に、まるでそれを追いかけて行くかのごとく巻き起こる強風。路傍の雑草たちが、吹き降ろして来る風の影響をまともに受けて次々と苦しそうに頭を垂れ、身を伏せた。
速度を上げつつ走る事、数秒間。やがて、ぐい、と機首を起こした飛雲機は、あたかも大気に存在する見えない坂道を登っていくかのように、その角度のまま空中へ。そして一定の高度を保つや、爆音を伴って再び加速し、巨大な雲へと飛び込むのだった。
 「離陸、成功。計器類に異常なし」
 「こちらも異常なし、そのまま飛行を。周辺の飛雲機は東北41に1と西29に2。一番近い雲取り場には、誰も来ていない。……昨日の代返とは言え、やっぱり皆、お祭りを楽しんでいるみたいだね」
 「フォートさんにレナ姉、揃って出かけているしな……俺達も、この街に慣れてあれの良さがもっと分かったら、わざわざ予定を変えてまで参加するんだろうか?」
 「多分、そうなんじゃないかな。今確認しているんだけど、この辺りを飛んでいるクラウダーって、クロルにカイリ、後はエナさんみたい。……待って、今、ミナギも上がって来た」
 「って、ルーセスに最近来た奴らばっかりじゃないか……きっと皆、俺たちみたく人の波に辟易したんだろうな」
 あの黒粒が空から降ってきた後、ルーセスにおける交集祭は果たしてどうなったか――結論から言えば、矢張りそのまま何事も無く、とは流石に行かなかった。
 死者や重傷者こそいなかったものの、破片を裸足で踏んでしまったり、四肢の皮を切り裂かれたり、人波に揉まれて転倒する等の軽傷を負った人が多数。パレードに用いられる出し物や、道端に軒を連ねていた屋台にしても、小さいながら目立つ穴やら傷やらが数ヶ所付いてしまい、ある程度の修復は必要な状態。その他、物的被害や人的被害を諸々合わせた末の結論は……午後に行うはずだった祭りの予定を次の日へ引き延ばす事だった。
 「二人が祭りの続きを楽しんで街から戻って来るのって、午後の二時か三時頃だったよな。……どうするよ、ハルカ? 俺たち二人で出向いて、またあの人ごみに揉まれるか?」
 「うー……、駄目、想像しただけで頭痛くなる。大体、休日じゃない日の昼過ぎから夜なんて、ごった返すに決まってるよ。正直、はぐれちゃった時が怖い」
 「だな。昨日の不完全燃焼が尾を引くとしたら、どんな騒ぎになっているやらだし……。……なあハルカ、今日は上がって来ている飛雲機も少ないし、俺たちだけで一日飛んでみないか?」
 「え――私たち二人で、このまま?」
 「ああ。勿論、細心の注意を払って、ダメージを受けないよう心がける。マテリアル採取は二の次で、だ。考えてみればこれって、訓練には良い機会じゃないか?」
 「……うん、確かにそうだね。姉さんや義兄さんが戻って来たら、飛行の継続を提案してみようか」
 午前中から昼過ぎにかけての雲取りが、カイトとハルカの担当。それから夜までがレナとフォートの担当であり、その間もう片方の組が祭りを楽しむ。そして一通り仕事が終われば、交集祭の締めを改めて皆で見に行く。――それが、平日にずれ込んだお祭りと達成すべき稼業ノルマを天秤にかけた結果、カイト達が導き出した結論であった。勿論ながらそこには、クラウダーとナビの腕や予測される空域の状況もしっかりと付け加えられている。
 「久々に私たち抜きでの水入らずデートだもの、なるべくゆっくり楽しんできて欲しいよね。……っとカイト、アルカティスの群れが前方16! 雲が切れた場所を東北から西に飛んでる、気を付けて!」
 「またあいつらかよ、本当に最近多いよな……了解!」
 群れを作り、雲の間やその内部を飛行する小型の渡り鳥――アルカティス。綺麗な羽根を優雅に羽ばたかせて飛び、しかも大人しくて賢い為、飼い慣らしてペットにしている人を良く見かける。
 だが、何度も何度も飛雲機のそこかしこにダメージを与えられては、幾ら評判や見栄えが良かろうとも、可愛いなどと思える筈も無い。今となってはその名を聞くだけで、カイトもハルカも意識せず眉をひそめるようになっていた。
 「群れを回避、コース修正……3―1―2―9を飛行して。到着次第、7―6―11に。それで雲取り場に着くから」
 了解、と通信に答えて、カイトは操縦桿を切り、視界のほとんど効かない白闇の中を突き進む。近くを飛雲機が飛んでいない今、時折姿を覗かせる蒼き空晶とパートナーのナビ、そしてこれまでの経験が、上下左右の平衡感覚を繋ぎ止める。
 途中、幾度か雲と雲の隙間を通り抜け、その度に白色と蒼色は濃淡や大小を忙しなく変化させる。遥かな上空を見れば、雲の切れ間より微かに青空が顔を覗かせていた。

 ――いつもと、同じ。いや、飛び交う飛雲機の姿がいつもより少ない分、幸先は良いと思えた。
 加えて、普段ならもう二〜三度ほど鉢合わせている筈の鳥たちも、今朝は何故か姿を見せていない……空や海に起きている生物らの流入が漸く終わったのかも、と思ったりもした。
 それならば、尚更今までのように失敗は出来ない。改めて気合いを入れ直し、頑張っていこう。カイトとハルカは、そんな風にお互いを鼓舞しつつ、雲取り作業へ移行を始めてゆく。

 ――それは、良い意味でも悪い意味でも若い二人だったからこそ、導き出された結論だったのだろう。少なくとも、この時に飛んでいたのがレナとサルディノであったら「突然、鳥たちが姿を消した不自然さ」に、まず不安を抱いたに違いなかったのだから――

 「――?」
 その瞬間、まただ、と思った。カイトの頭上に広がる雲海が、一瞬だけ色を変える。まるで何かの影のように、マテリアルの色を映す蒼に濃い灰色が映りこみ……ふ、と掻き消えていった。
 だが今度は、地上にいた時と違う。あたかも紙にインクや墨を滲ませるが如く、重苦しい圧迫感を伴う気配が、じわりじわりとカイトの頭上に覆い被さって来ているのだ。それも、秒刻みで、その程度を膨張させながら。
 この前見た奴と同じものか。ひょっとして、航路を変えた旅客艇だろうか? いやまさか、こんなクラウダーがしょっちゅうひしめくエリアにわざわざやって来る筈が無い。そもそも、影の大きさやこの圧迫感、何もかも絶対に違う――
 「(……ちょっと、待てよ……大きさ?)」
 思考がその言葉に至った瞬間、己が背筋を氷の束に撫でられて、カイトはぞわりと身を震わせた。先ほどの影の大きさは、目測でもリガレクスの優に二倍以上あった筈ではないか……それほどまでの巨大さを誇る代物、旅客艇どころか、そもそも船の大きさとして異常だ。新たな巨大船が建造された、等と言うニュースも、聞いた事が無い。
 しかし、それでは一体何だと――、…………。
 「――は。何考えてるんだ俺、どうかしてる。いくらなんでも、まさかこんな空域に……」
 「カイト? どうかしたの?」
 ぶんぶんと首を振りつつ「何でもないよ」と、カイトは通信機に声を投げかけようとして――突然の叫び声に、それを遮られていた。
 「……ろ! おい、今空を飛んでいるクラウダー達、聞こえているか!? すぐに雲の中から逃げろ!」
 「ECO(外部向け緊急通信)……この声は、クロル!?」
 周辺の空域を飛ぶクラウダー達に向けられた、相手を選ばない送信専用のタイプ――Emergency Call‐Outside。そこから流れてくる既知のクラウダーの声には、一体何があったのか、焦燥と混乱、そして恐怖がべったりと張り付いていた。
 「馬鹿でかい化け物が、雲の中に……! どうなっているんだ、なんであの図体で、飛雲機よりも速いんだよ! 今、方位43の雲取り場に向かって……ああもう、何でも良いから早く離れろ! 俺みたく雲から出れば追って来ない、だからさっさと」
 パニックの為か言葉は支離滅裂となっており、故に咄嗟の理解と反応が遅れた。方位43の雲取り場……そこは正に、今、シプセルスが居る場所に他ならない。
 飛行を始めて一時間、ぽつぽつとではあるが飛雲機の数が増え始めていた。カイトと同じ場所で雲取りを行っていた機体は、その時点で四機。空に上がっている全機体のうち、四分の一。
 彼らも一様に通信を受け取り、その声の感じから何かただならぬ事態を察したのだろう。それぞれがシプセルスに先んじる形で、少しずつ機首を下げ始めて、

 ――その時点まで、通信は耳に入って来ていた。さっさと……という言葉までは、聞こえていた。恐らくその後、逃げろ、という語尾が付いたのだろう。
 だが、聞こえなかった。耳ではなく、頭が馬鹿になっていた。カイトも、ハルカも、他のクラウダー達もナビ達も、揃って。
 『――――』
 有り得ない、と叫びたかった。だが、眼前の光景に、信頼を置くナビコンの表示に、全員の願望ははっきりと否定される。

 スカイ・マテリアルが散在して空中に浮かび、それが放っている蒼色の光と有機エネルギーは、雲の中に蒼色の空洞――雲取り場を形成している。
 そんな場所の一角。丁度、先を行く飛雲機が機首を突っ込ませようとしていた、雲取り場の外枠下部。そこが突然、鈍い音を伴って広範囲に弾け飛んだ。
 勢い凄まじく斜め上へと付き上がる、白き爆炎。だがそれは、治まる気配を見せないばかりか、まるで長細い卵のような形へと変化して、速度を落とさないままに先頭の飛雲機目掛けて進み行く。
 雲取り場へと外枠を突き破って、何かが突っ込んで来た……それ自体はさして珍しい事ではない。事実、飛雲機はそうして此処へ来ているのだし、空を行き交う生物たちも時折迷い込んで来る事がある。だが、問題は規模。何かの悪い冗談かと思えるほどに、その「何か」はあまりにも巨大だった。
 蒼き空間の只中へと突き上げられ、勢いよく躍り上がった雲の高さは、目測でもざっと三〇メートル……いや違う、まだ止まらない。たちまちの内に、四〇メートルを超え、六〇メートルへと至り、80メートルにまで届こうとする。既にその雲柱は、リガレクスの全長さえ凌駕する程に高くなっていた。
 と。流石にそこまでが限界だったのだろう、あちこちの雲が途切れて下へと剥がれ落ち、柱の中身が露になって行く。
 「な……っ!?」
 墨を滲ませたような灰色と濁りの混じった白色の二色で構成された、細長い全身。無駄を排したその身体には、空を飛ぶ為に特性の皮膜を備え付けた胸びれや背びれ、尾びれが生えている。その全長、目測だけでも優に一〇〇メートル前後。
 飛雲機など十機纏めてすっぽりと収まってしまいそうな口にはずらりと鋭利な牙が並び、その間からはだらだらと涎が垂れている。それは、子供の頃に図鑑や映像で見て抱いていたイメージより、遥かに馬鹿でかくおぞましい代物。
 そう言えば。その図鑑には〈マテリアルを体内で増幅させ、なおかつ大量に飲み込んでゆくという性質ゆえ、稀に予想だに出来ない変態種が生まれている〉という記述があった。ならばこいつも、その一例という事になるのか。
 ――だからって何で今、本来の住み処から遠く離れたこの場所に。俺たちの街の上空に、そんな奴が姿を現す道理がある……!

 マテリアルを餌とし、ただひたすらにそれを求めて、遥か海の底より陸を経由せず空へと直接躍り上がった、セルナスでも最も古い種族の一つ。セルナスの空を住み処としている空生物、その中でも最大にして最強、人間の力が到底届かぬ存在。
 白天禄は記す。『死を自ら求める愚か者でない限り、決して彼らを怒らせる事無かれ。天使らの直径の申し子なる彼ら、空を直に監視する為の存在である』――と。
 ――星空魚、タンストゥール。通称、〈空の王〉――

 『――――っ!!』
 クラウダー達の絶叫。咄嗟に身をひねって回避しようとした飛雲機群だったが、巨躯を覆う硬い皮膚に接触し、機体にダメージ。たちまち総じて翼をもぎ取られ、ボディ表面までもこそぎ取られた彼らは、瞬く間に飛ぶ力を失って落下して行く。
 幾ら咄嗟の事で判断が遅れたとは言え、小型で小回りの効く飛雲機は既に回避動作を始めていた。その上で接触し、そして墜落に至らしめる――常識では考えられない、あまりにも巨体に釣り合わぬ加速度である。
 「う、嘘だろ……あっという間に、皆が!?」
 「どの機体も、辛うじてクラウダーを守ってはくれたけど……全部、一瞬で破壊されてる……!」
 他方。孤独なナビルームにて瞳をわななかせるハルカは、瞬きも忘れてモニターを凝視し続けていた。三次元を斜め上の視点から見下ろしたその画面には、今や残り一機の飛雲機となったシプセルス。そして、つい先ほどまで感知されなかった巨大な反応が映っている。
 ――巨体を維持する為に必要な、大量のマテリアル。他の生物たちがそれを餌とする前に、なるべく気付かれず接近して、至近距離から一気に飲み込んで行く。ゆえに彼らは、気配限りなく消す術を長い進化の中で身に付けるに至った――講義の一環で丸暗記を要求された文章が、彼女の頭に蘇る。
 「自分の意志で周囲の景色に溶け込める迷彩器官……どうしてこんな、こんな反則! カイトお願い、逃げて――早くそこから逃げてぇっ!!」
 速度を落とさぬまま、タンストゥールはシプセルスに方向を転換……いや、元よりその狙いはただ一つ。この雲取り場へと最も先に到着し、そして最も多くのマテリアルをその内に含んでいる存在――即ち、カイトとシプセルスのみだった。
 未だ脆弱さを備えし空飛ぶ魚はこの瞬間、空の王に捕捉され、標的に定められる。
 精神が絶望に侵食されようとする中、しかし状況はそれへの対処を待つ事無く。生き残る為の戦いが、あまりにも突然に、そして無情にも、ここに幕を開けたのだった。




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